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コタバル着。

タイ時間午前11時40分、ナラティワトのタンヨンTanyongホテルをチェックアウト。レセプションにいたのは、カタコトの英語を話す感じの悪い色黒のタイ族女だった。

肌色でどうこう言いたくないが、事実、経験則として、色黒のタイ人女は、人に「イヤーな」感じを与えるのが非常に上手いことが多い。英語をしゃべるのは尚更。タイに旅行するとしても「色黒のタイ女」はできるだけ避けるのが精神衛生上良い。旅行の楽しみにも影響する。

その女に呼んでもらったモーターサイクル(バイタク)で、ミニバスの発着場まで行く。10分ぐらい。40バーツ。

ナラティワトに普通のバス停はない。ミニバスの発着場にはミニバンを改造した大きめの車もあったが、タクバイへ行く車はピックアップトラックを改造した天井の低い乗り心地の悪い「ミニバス」だった。こういうのに乗るのは何年ぶりだろう。インドネシアのアンコタよりはるかに粗末な乗合自動車である。ネパールでも今はこんなのはないのではないか?

幸い乗客が少なかった。ヒジャブをつけた若い女の子が二人、向かいに座ってマレー語の方言らしい言葉で話していた。精一杯おしゃれをしているようだが、全体に薄汚く、とてもみすぼらしい。貧しいだけでなく、社会の辺縁に追いやられていじけてしまっているような印象を受ける。対岸のマレーシアのマレー人とはまったく境遇が違う。

このソンテウ(と呼ばれる乗り物だと思う)はタクバイまで40バーツ。50分ぐらいでタクバイに着く。

タクバイでまず両替をする。9バーツ1リンギでぼり取られた。

タイのイミグレーションオフィスへ行き、スタンプを押してもらった後、再びタクバイの町に戻り、コピを飲み、国境の川スンガイ・ゴロクを渡るボートに乗る。ボートは1リンギ。フェリーもあるが、わざわざ乗る意味はない。ボートは頻繁に出ているし安い。

マレーシア時間、午後2時半ごろ、対岸のプンカラン・クボールに着く。マレーシアの入管窓口でスタンプを押してもらい入国。

窓口はワークパーミットをもったタイ国民もパスポートを持っている者も同じだったが、ワークパーミットを持って入る連中が、ここはワークの窓口だ、とか言って割り込んできたので混乱した。そうなのかと思って、窓口のマレー人女役人に確認すると、頷いたので、いったん列を離れて2階の事務所に行った。スタディか、とか聞かれツーリストだと言うと下へ行けと言われる。

この辺りで気持ちの悪いタイ人男につきまとわれた。気持ちの悪い大きな声で英語をしゃべり、あれこれ話しかけてくる。

プンカラン・クボールで27番のバスに乗り、コタバルに向かう。気持ちの悪いタイ人男も同じバスに乗っていた。離れて座ったが、ネットリ気持ちの悪い大きな声で話しかけてくる。明らかにタイ族である。ところが、母親と妹も一緒にいて、彼女たちはちゃんとヒジャブをしている。ムラユなのかと聞くと、タイだと言う。マレー語は話せるかと聞くと、少しだけという。タイ族ムスリムだった。

午後4時頃、コタバルの市内バス停に着く。

コタバルで一泊することにした。数年前に時々泊まったAzamホテルに入ってみた。以前、バス停近くではこのホテルくらいしか泊まるところがなかったように記憶しているが、周囲に安宿がいくつもできていた。そのせいか、昔より宿代が安くなっていた。老朽化もしているようである。ロビーにだけWi-Fiがある。窓無しの一番安い部屋が74.20リンギ。窓無しだが、ダブルベッドで、かなり広く、エアコンはもちろん、湯沸かし器と無料のインスタントコーヒーなどが付いている。まあまあ快適そうである。Azamホテルは、数年前は一番安い部屋でも80リンギ以上だった。しかも週末は一週間以上前に予約しておかないと泊まれなかった。

ナラティワトを出ることにした。

ナラティワトで少しゆっくりしようと思って来たが、2泊で逃げ出すことにした。行きと同じルートで、今日マレーシアに戻る予定。

ナラティワトが悪いわけではない。住民の大部分はマレー人である。しかし役人やホテルはタイ族ばかり。

国家磁気のようなものがあり、どうしてもタイの国家磁気から逃れられない。そのタイの国家磁気が、私はとても嫌で、本当に気分が悪くなるのである。

国家というのは不思議な化物で、気持ちの悪いものだ。北アイルランドがイギリスから独立できないのも、沖縄が日本から独立できないのも、この国家磁気にあてられてしまっているからだろう。国家は貨幣と同様の魔術的な引力をもつのだと思う。それを振り払うことは、領内にいる限り難しい。

昨夜は嵐だった。雨に濡れた早朝のナラティワトのビーチ。

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ナラティワトでは白人はまったく見ない。タクバイのイミグレにたくさんいた白人は、どこへ行ったのだろう。

これを食べてみたかったのだ。

タイの甘い菓子だが、マレー人が売っていた。甘いもち米とこれまた甘い熟したマンゴに、ココナッツミルクをかけて食べる。マレーシアでは見ない。

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これは甘すぎるので、しょっちゅう食べるものではないが、たまに食べると美味い。45バーツだった。

私が唯一評価するタイ料理は、「ただの餅米」である。タダのもち米に辛い緑色のペースト(名前は忘れた)を付けて食べると美味い。

マレー人の経営する食堂でも、タイの魚醤の臭いをぷんぷんさせている店もある。私は、あの臭いがたまらないので、そういう店は避ける。

数年前に来た時によく見かけた、「マレー人によるマレー人のための小さな茶店」は、ほとんど見なくなった。コピとテーだけで食事はでない、マレー人の避難所のような、小さな茶店が所々にあった。タイ当局によって陰に陽に弾圧され、消えてしまったのかもしれない。「テロ」(つまり反タイ的な運動)の温床になっている、とかいう口実で。

タイ族警官によるマレー人住民監視

街の各所にこのようなタイ警察の検問所があり、マレー人住民を常に監視している。植民地支配が続くマレー半島の町、ナラティワトで。タイ族警官ほど気持ちの悪いものはない。

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もともとマレー人のイスラム国家であったところを、タイ族が侵略占領したのである。モスクを破壊し建設を規制したりするだけでなく、自分たちの偶像崇拝を押し付けてきた。神格化されたタイ国王崇拝を、マレー人に強制し、国王や王族の写真を神殿のような所に嵌め込んで拝ませている。学校などではもっとひどいだろう。

そんなことをやっていれば、たまに爆弾がはじけたりするのは、むしろ自然ではないか?

タイの歴史は、タイ族による他民族の地の侵略占領、および同化強要(タイ化強制)の歴史である。

もともと雲南の少数民族であったタイ族が、モンゴルに圧されて流民化したのが小タイ族(現在のタイ国家の支配民族)の始まりである。インドシナ半島に侵入し、先住の(古い時代にインドから移住したドラヴィダ系といわれる)モンMonやクメールの土地を侵略し、彼らを底辺に追いやった。さらにはマレー半島を侵略し、マレー人を抑圧している。これがタイ族である。

もっとも、もともと雲南で「中華」の隷属民であったので、中国系には弱い。現在の国王も、元をたどれば「鄭」という華僑の商人の家柄である。しかも謀叛を起こして国王に成り上がった恥ずかしい一族だ。

力がすべて、カネがすべて、という考えなので、「強い者をその強さの故に崇拝する」こと、その前に跪くことに、タイ人は何の抵抗も感じない。

東南アジアには、昔から白人が来ていて、その強さを見せつけていたので、白人を崇拝することは、タイ人にとって昔からまったく自然なことであった。

白人に媚びへつらい、女でも何でも差し出して、「独立」=王族をはじめとする特権層の利権、を守ってきただけである。

対照的に、白人の前に跪かなかったビルマの王家は、イギリスにすべての財宝を奪われ、悲惨な目にあっている。

タイ王室は昔から白人が大好きで、婚姻関係も抵抗なく結んでいる。(日本の天皇家も近い将来そうなるかもしれないが)。

ネトウヨは「タイは親日国!」などと叫ぶことが多いようで、タイに親しみを感じるようだが、それはおそらく、タイ人の「強い者をその強さの故に崇拝する」心性に、自分と共通のものを感じているからではないかと思う。「親日的」という尺度を強いて当てはめるなら、太平洋戦争末期に日本が劣勢になったと見るや日本軍の駐屯地を襲撃したりして連合国に媚を売っていたタイよりも、ミャンマーやインドネシアのほうがはるかに「親日的」といえるのだが、ネトウヨはタイのほうが好きなのである。

白人のいないタイのビーチ

ナラティワトNarathiwatのビーチ。

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タイ深南部のこの町、ナラティワトも以前に比べるとかなり発展している。(最後に来たのが何年前だったか自分のブログを検索してみないと正確には分からないが、7,8年前だと思う)。

ビーチ周辺は大きな公園のようになっていて、土産物屋などが並んでいて、騒々しい音楽をかけている店もある。しかし、ビーチには砂浜も残っている。白い砂が綺麗である。ゴミも落ちていない。

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タイのこんなビーチに白人がいないというのは、タイを回った旅行者には、奇跡のように感じられるであろう。イスラムのお陰とも言える。

コタバル周辺のビーチが、ペナンやランカウイのように白人に荒らされていないのも、イスラム色の濃い地域だからである。

ナラティワトのビーチは、若い女の子も独り歩きしており、決して危険なところではない。しかし、白人には危ないと思わせておいたほうが良い。実際に本当に危ないところがあるとすれば、一番危ないのは私が今日チェックインしたタンヨン・ホテルのナイトクラブとかだろう。

ナラティワトNarathiwat着。

タクバイからナラティワトはタクシーしかない。両替台のマレー人のオバサンがタクシーの周旋もしている。両替レートは、100リンギ860タイバーツだった。

オバサンは、ナラティワトまで300バーツだが、一人だから200バーツでいい、と言ってくれたが、ナラティワトに着いてみると、運転手は、そんなことは聞いていないという風情で、どうしても300バーツだという。

200バーツがなく500バーツ札しかなかったので、払わざるを得なかった。600円と900円の違いだから大きい。この国では、ネパールやインド以上に、しつこく値段の確認をしておかないと、嫌な思いをするようだ。

50分ぐらい走って、午後12時50分ごろ、ナラティワトのタンヨンホテルに着く。タクシー料金で揉めたが、諦めて、すぐにチェックイン。

タンヨン・ホテルTan Yong Hotelは、私が最近泊まったホテルの中では一番の高級ホテルで、立派なものである。一番安いツインルームが690バーツだが、設備にも広さにもケチの付け所がない。レセプションもボーイも、タイのホテルとは思えないほど感じが良く、仕事も速かった。タイ訛りのマレー語も耳にした。

タクバイからナラティワトまでの間には、セキュリティチェックポイントがいくつもあり、イスラム女性の服装について指図する絵が貼ってあったりした。「こういう服装は良いが、こういうのは許さない」といったものである。国王や王族の大きな美化された写真が随所にあり、拝殿のような設備に掲げられていて、通行人や住民に礼拝を強要している。写真の拝殿に捧げ物が置かれていることすらある。偶像崇拝の極みである。この地域は解放されなければならないと強く思った。