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日本人がテロとの戦いに組み込まれる可能性 | パリ連続テロとイスラム、そして日本 | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト

西欧キリスト教世界は、自己の文明認識において、「ギリシャ文明に起源を持つ」と主張していますが、ギリシャ文明は一度滅んでアラブ世界に継承されました。ギリシャ語のおびただしい文献をアラビア語に翻訳して医学、天文学、数学、哲学などの諸科学を継承・発展させたのはアラブ・イスラーム文明でした。

西欧は12世紀ころからイスラーム世界の文化・文明を取り入れて、近代文明をテイクオフ(離陸)させました。代数学(algebra)、アルコール(alcohol)、提督(admiral)、砂糖(sugar)、暗号(cypher)、米(rice)、シャーベット(sherbet/sorbet)等々、身近な単語がアラビア語起源であることからもそれが窺えます。

現在の西欧キリスト教世界の心理の底流には、過去のアラブ・イスラーム世界に対するコンプレックスと同時に政治的・経済的優位に立つ現在の優越感とがあるように思います。中世から近世にかけてはアラブ世界の方が文明的にも優位にあったことは西欧の知識人たちも知っていますが、それを認めることには抵抗感もあるように思います。

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鼻すすりが習慣になってしまった

グローバル社会に生きる子どものための6歳までに身に付けさせたいしつけと習慣

改訂版「さすが!」といわせる大人のマナー講座

世界に通用するマナーを教えてさしあげます!

欧米では(そして欧米人の多いアジア諸国では)タブー中のタブーと行っても良い鼻すすりが、日本滞在中に習慣になってしまった。とくに、この冬の寒さで鼻風邪(といっても軽いものだが)をひき、鼻すすりを意識的にこらえることも難しい。

日本の電車内などで白人がすごい音を立ててハンカチで鼻をかんでいるのを見かけることがあるが、あれは欧米では無問題だそうである。以前、ロンリープラネット「日本」を見ていたら、日本で守るべきマナーとして「人前でハンカチで鼻をかんではいけない。だが、では何のためにハンカチを持っているんだろう?」などと書いてあった。欧米人は、汗はハンカチで拭かないようだ。ティッシュペーパーで拭くのだと。(ティッシュペーパーというものは、それほど古いものではないので、ティッシュがなかった時代は何で汗を吹いていたのか疑問だが)。

アジアの連中も、欧米作法はよく勉強していて、くしゃみをすると独り言のように謝ったりしているので、アジアに行く場合にも欧米作法は心得ておかないと実際馬鹿にされることになるかもしれない。

今度海外に行くまでには、鼻すすりの習慣を改めておかなければならないと思う。

なお、鼻くそほじりは、アジアでは若い女性が公の場所で平気でやっているのを見るのも珍しくない。欧米人もやるようである。16世紀に来日したイエズス会宣教師ルイス・フロイスは「ヨーロッパ文化と日本文化」で、「われわれは人差し指で鼻くそをほじるが、日本人は小指で鼻くそをほじる」と指摘している。

たまにはまともなことも書くようだ →フランス、シャルリーエブド襲撃事件でパリ在住日本人が感じた違和感

しかし、日を追うごとに事件の報道や反テロ運動の熱が加速していき、今回の事件が少しエンターテイメント化してきたような気がする。最初は事件に衝撃を受けて、亡くなった被害者に同情していたが、次第にテロリストを話題にすることがある種の”流行”のようになってしまい、どのフランスのニュースを見ても上っ面な印象を受けるようになった。

テロリストVS言論の自由、テロリストは逃走ゆえに人質をとって立てこもる…といった映画のような展開を半分面白がっている人がいるような感じがしてしまうのは、筆者の性格がひねくれているからなのかもしれない。

今回の事件では「フランスはテロに屈せず、言論の自由を守るのだ!」と息巻いているが、これにも何となく違和感を抱いてしまう。言論の自由は当然守られるべきものだが、だからと言って何を書いても許されるというわけではない。筆者もこのブログを通してこれまで様々な主張をしてきたが、筆者が伝えたいことと読者が受け取る意味合いが違うこともあり、やはり”情報を発信する側の責任”として、言葉は慎重に選ぶべきだと改めて考えさせられた。

via フランス、シャルリーエブド襲撃事件でパリ在住日本人が感じた違和感.

性奴隷と日本の「淳風美俗」

従軍慰安婦が日本軍や日本の官憲の「強制連行」でなかった、というか、慰安婦に関する朝日新聞の報道が嘘だったことを朝日新聞が白状したことで、右翼たちは大喜びしているようですが、欧米人から見れば、そんなことは何の特別な意味もないことであり、彼らの日本に対する見方が変わるわけではありません。「強制連行」がなかったということは、韓国や福島みずほ氏にとっては痛手ですが、欧米の日本に対する評価には何の影響も与えません。日本人が悪いことをしていたという事実、日本人は今も反省がなく、今も悪いことを実は続けている、という事実。この認識を欧米は断固としてもっています。アメリカ国務省が、日本の女子高生売春を人身売買だというのは、ふざけているのではなく、彼らの真面目な認識です。女子高生売春の話は極端だとしても、この欧米の認識は根拠のないものとはいえません。

いまさら言うまでもないことですが、日本においては、売春は常に人身拘束と不可分なものでした。小作人が凶作やデフレで小作料を払えなければ借金しなければなりません。娘がいれば前借り金で拘束された「年季奉公」に出すことになります。娘がいるなら娘を「売る」べきだ、というのが日本では当然の「義務」でした。親(親権者)が法定代理人として契約する、契約の効果(権利義務)は未成年者本人に帰属する、つまり親が売るわけですが、人身売買に変わりはありません。風俗産業における事実上の人身売買は今でも続いており、たとえば「吉原」で売春している人が本当に「自由意志」で働いているなどというのは事実に反したことです。彼らの大部分は今でも事実上の性奴隷であり、嫌でも逃げられない人々なのはちょっと想像してみればわかるはずです。オカルト右翼(「日月神示」関係者)のブログに次のような記述を見つけましたが、これが日本の保守層の常識水準なのでしょう。

日本軍が強制的に慰安婦として連行したというのと、自分から仕事として慰安婦になったのでは180度違うわけです。歌舞伎町や吉原の風俗店で働いている女性は、自分の意志で働いているのであって、強制連行されたわけではないことは、誰でも知っています。http://blog.goo.ne.jp/hitsuku/e/6b1c8998e6bc3c554cf9abe9b4ef8d0f

「誰でも知っています」と言い放つこの感覚が問題でしょう。欧米人が問題にしているのも、日本に土着しているこの感覚だと思います。我々はあいかわらず何の反省もなく変わっていません、とわざわざ言っているようなものです。

右翼はよく、売春は戦前は合法だったのだから問題ないとか、戦前は普通のことで、現代の感覚で判断してはいけない、などといいます。このような言い訳をすればするほど、彼らは不利になることがわかっていないようです。

戦前、「禁足制度」を伴う公娼制度の廃止は、我が国の「家族制度」「淳風美俗」を害する、と大まじめに主張する愛国者たちがいたのですが、慰安婦問題で「日本は悪くない」と言いつのる人々は、自分たちはこのような愛国者たちの後継者だと主張しているようなものです。「禁足制度」を伴う日本の公娼制度は国際的な基準からかけ離れたものである、という認識は、戦前にも存在したのです。1935年に書かれた戸坂潤「日本イデオロギー論」(八 復古現象の分析 ――家族主義のアナロジーに就いて)より。

….内務省は一九三五年の四月を期して全国的に公娼廃止を断行することに決定したと伝えられる(実は四月には断行されなかったが)。すでにこれまでに、秋田・長崎・群馬・埼玉・の各県では、公娼廃止即ち遊郭廃止が実行されている。前年警視庁では公娼制度に固有な禁足制度を撤廃し、同時に自由廃業の実質的な自由を多少とも尊重する方針を取ったが、之は内務省の今の方針の先触れをなすもので、天下の大勢がどうやら廃娼の必然性に帰着したように見えることは、否定出来ない事実だ。

….今日まで廃娼運動が目標として来た直接の目的は、婦女子児童売買乃至一般に人身売買と、それに当然伴わなければならぬ人身抑留とを、国家が法的に保護の責に任じるという、所謂文明国では非常に珍らしい公娼制度につきている。

…併し注目すべきことは、これよりしばらく前、二千名の全国貸座敷業者が、やはり同じ趣旨に帰着する処の存娼大会を持ったという事実である。処がその発表された宣言が今何より大切なのである。
曰く「西洋文明に心酔せる為政者識者が、徒らに国法無視の私娼を奨励して、国法に準じ家族制度を尊重して永き歴史を有する貸座敷業者を圧迫することは、将来救い難き禍根を淳風美俗のわが国家社会に残すものとして絶対反対す」というのである。之は決して楼主達の与太気焔ではない。全く彼等の生活の叫びなのだ。そればかりではない。例の娼妓愛好家の議員達の云いたくて流石に云い切れなかった一点を、極めて率直に勇敢に云って退けたものに他ならないのだ。私は議員達の大半が楼主達に買収されたとは到底考え得ない。それから実を云うとまさかそんなに愛娼家揃いだとも思わない。するとつまり彼等天下の選良達は、公娼制度がわが日本の「家族制度」と「淳風美俗」とかから離れることの出来ないものであり、いやしくも之を疑う者は之即ち「西洋文明」の唯物思想(?)に他ならぬ、と私かに信じているものと見做す他はあるまい。….

….つまり公娼制度の必要は、わが国三百年来の、否三千年来の、淳風美俗たる家族制度から結論される一結論だというわけである。処がこの滑稽な哲学は、案外一部識者の手近かな常識と縁遠いものではないのではないかと私は思う。無論こうした馬鹿げた常識(?)は、そのものとしては取るに足りないが、併しこうした馬鹿げた気分の動きが、案外思わぬ処で、民族精神の或る一つの秘密を告げているということが大切である。
公娼制度の問題は大にしてはその本質に於て無産者農民の桎梏の問題だが、之とつらなる家族制度の方は、抑々日本民族生活の本質なのだと今日主張されている。だから例の貸座敷業者の亭主達は、決して馬鹿に出来ない民族主義的社会理論の一端を本能的につかんでいるわけなのである。その成否はとに角として、存娼運動は、現在日本に於ける、復古観念の単に最も色情的な一表現に他ならないのだ。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000281/files/3596_39403.html

「ある程度の年齢になると海外で生活するからにはそれなりのビジョンが必要になります。」

・・・大した目的や目標もなく、何となく語学学校に通うバカンスの延長のような生活をするために海外へ来た人をあなたは素敵だと思いますか?若いうちはそれでも社会が許してくれますが、ある程度の年齢になると海外で生活するからにはそれなりのビジョンが必要になります。

妙にグサッと来るのは私だけでしょうか。前記事で引用したサイトからの再引用ですが、

ある程度の年齢になると海外で生活するからにはそれなりのビジョンが必要になります。

ということです。

それがなんで必要なんだとか、誰に必要とされるんだとか、ここで暴れてみても、見苦しいだけでしょうかね。
まぁ、欧米様に定住できるような人は違うということか。かっちりとした堅気で、しっかりしたビジョンを持ち、立派に家庭をもってるんだろう。
しかし「年齢」とか「必要」とか誰が決めたんだよ、とどうしても言いたくなる。
アフリカからイギリスに押し寄せていく人たちだってたくさんいるんじゃないか。彼らと同じで何が悪い。
ビジョン?
ビジョンなんかあるもんか。
日本にいたってないものを。
ビジョンがないから出てきたんじゃないか。
どこに行って何を漁ろうと人の勝手。けちな所帯をもって堅気ぶってる○○○にとやかく言われたくないね。男だって女だって関係ない。
と。

「外国人の彼氏がほしい人へ。恋人探しに海外へ行ってもうまくいきません。」

http://www.madameriri.com/2014/09/18/%e5%a4%96%e5%9b%bd%e4%ba%ba%e3%81%ae%e5%bd%bc%e6%b0%8f%e3%81%8c%e3%81%bb%e3%81%97%e3%81%84%e4%ba%ba%e3%81%b8%e3%80%82%e6%81%8b%e4%ba%ba%e6%8e%a2%e3%81%97%e3%81%ab%e6%b5%b7%e5%a4%96%e3%81%b8%e8%a1%8c/

 「日本人の彼女が欲しくて日本に来ました」という外国人男性がいたとします。あなたはこの男性を魅力的だと思いますか?おそらくほとんどの人がそうとは思わないはずです。

 「恋人探しに海外へ行く」というのはまさにこういうことです。大した目的や目標もなく、何となく語学学校に通うバカンスの延長のような生活をするために海外へ来た人をあなたは素敵だと思いますか?若いうちはそれでも社会が許してくれますが、ある程度の年齢になると海外で生活するからにはそれなりのビジョンが必要になります。

 実際には海外で素敵な男性と出会って幸せな結婚生活を送っている人もいますが、こういう人は恋愛が海外生活の目的ではなかった人です。他に目標があって海外で努力しながら生活するなかで”たまたま出会った”わけで、恋人を見つけるために海外へ行った人ではありません。

 まずは、あなた自身が「あなたが出会いたいと思う人」になること。類は友を呼ぶと言いますが、あなた自身が魅力的なら、魅力ある男性が自然と近づいてくるはずです。

ありがちな一般論で、当たり前のようなことしか書かれていませんが、あえてこういうことが書かれることが興味深いです。この筆者はフランス人と結婚していてフランス在住6年だそうです。曖昧な期待を持って、いい加減な気持ちで恋人さがしに外国(この筆者の「外国」は「欧米」のこと)へ出かけていく日本人女性が多いのでしょう。フランスあたりでは目に余るのかもしれません。

ただ、外国人と言ってもいろんな国の人がいるし、恋愛観・結婚観も人それぞれなので、一概にはこのように断言できないと思います。

相手が半ばカネ目当てであってもかまわないと割り切る人がいても、必ずしも間違っているとは言えないし、だから良い恋愛や結婚ができないとも言い切れません。

例えば、途上国の人は先進国に渡航するのが難しいのですが、なんとか先進国に行けるようになりたい(そしてそこで働く機会を得たい)という動機から、先進国の女性と結婚したがる途上国の男性はたくさんいます。そういう男性が結婚相手にふさわしくないとも言い切れません。人それぞれです。

ネパール人の場合を考えればわかりやすいですが、ネパール国籍の人はなかなか日本には来られないので、ネパール人男性との結婚を望む日本人女性は、まずネパールへ行くべきです。日本女性と結婚したがるネパール人男性は、多かれ少なかれ、日本女性との関係に「豊かさ」や「チャンス」を見て魅力を感じているわけですが、それが絶対に悪いこととも言えないし、必ず失敗に繋がる条件だとも言えません。相手の本音がそこにあってもそのネパール人と結婚したいという日本人女性がいても良いし、現にいるでしょう。日本人は嫌だ、という人もいるし、自分もネパールに住めるようになりたいと思う人もいます。日本人同士の恋愛や結婚でも、相手の肩書や経済力やさまざまな外的なレッテルが動機になっていることが多いので、下心という意味では同じです。また、日本女性と結婚できないためにフィリピン人女性と結婚する日本人男性も多いですが、女性に側の主たる動機は上記と同じでしょうが、良い結婚ができないとは断言できません。

アメリカには、野蛮な悪習に染まった未開な民族を征伐し、戦争の手段で馴致し開化させ民主国家を建設させた実績がある。

イラク戦争に際してブッシュ大統領の口から出た言葉の意味です。アメリカがこれからも戦争を続けていくためにぜひ必要な、譲れないストーリーであり、今後も変わることのないアメリカの日本観、日本に関する「歴史認識」です。これを根本から覆すようなアメリカの認識の修正は期待できません。「日本人のインディジェナスな悪質性」を否定してしまったら、日本敗戦がほぼ確定した後も日本の地方都市の住民に対して無差別爆撃を続けたアメリカの戦争を肯定することができなくなります。アメリカはこれからもさまざまなメディアを通じて「かつての日本の悪質性」を宣伝していかなければならない立場にあります。アメリカから発せられる宣伝は国際世論になります。日本人の野蛮性、悪質性、性的な不道徳性、人権感覚の生来的な欠如、という欧米の日本観の基調は、これからも変わらないと思います。