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日本人が西洋人に劣っている事実 

白人が優れていることは認めなければならない | Kuantanlog

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例えば、日本とドイツを簡単に比較した場合、ドイツ語を学んだことのある日本人は何百万人もいるのではないか。大学に進む人の1割がドイツ語を学習するとしても、全人口の数パーセントはドイツ語をかじったことがあることになる。他方、ドイツで日本語を学んだことのある人などというのは、ごく一部の好事家と日本関係の仕事をする人を除き、ほぼいない。ドイツの思想家について知っている日本人はさらに多い。カント、ヘーゲル、ニーチェ、ハイデッガーなどの名前を知っている人は多いだろう。翻って、ドイツ人は、「日本に思想があるの?ハラキリか。日本に思想家がいるの?ニンジャか?」という程度の日本理解だろう。実際、西洋の思想のような思想が日本に存在するのか、思想家と呼べる者が日本にいるのか、疑問である。音楽ともなれば更である。ドイツとの比較でもこれだけの開きがある。フランスやイギリスと比較するなら、彼我の格差は絶望的なものになる。

結局、日本は西洋(白人キリスト教諸国民)にはかなわないのだ。日本人は西洋人には勝ち目がない。このことは100年後も変わっていないと思う。(日本国、日本国民が今のような形で続いている限り。大幅な混血や言語改造=英語公用語化の実現があれば事情が変わるかもしれない)。このことをよく認識しなければいけないと思う。

ちなみに、欧米では今でも、子供が日本語を学びたいと言うと親が激しく反対することが少なくないらしい。日本語学習者=nerdというイメージもあるらしいが、伝統的な野蛮イメージもあるのだろう。ハラキリされたら困るとか。イスラムを学びたいと子供が言い出した時に似た困惑があるようだ。日本で言えば、ホッテントット語を学びたいとか、パプアのペニスケースをつけたいと言うようなものだろうか。

March 25, 2017 at 03:30PM

「英語は論理的で日本語は論理的でない」というのが通説だと言う人がいるので驚いた。それ以外の話はネトウヨ臭い。英語が良くできてカナダの永住権を持ってるそうだが、なぜかカナダには住まず、ネトウヨ臭い話を連投。根本的に頭が固くて知能が低いという感じがして仕方がないが、みなさんはどう思うでしょうか。

https://youtu.be/-E-kx0ds1zo

March 25, 2017 at 02:50PM

この動画のコメント欄を読んでみてください。
日本人の嫌らしさ、醜さ、そして頭の悪さがわかるはず。性根も歪んでいて頭が悪いんじゃどうしようもないですね。

https://youtu.be/-E-kx0ds1zo

日本文化と挨拶、日本語廃止の必要性。Telegramからの投稿です。 February 19, 2017 at 09:05PM

日本人は、モノを買ったり、お金を払ってサービスを受ける時、無言で挨拶をしないことが多い。売る側に立つとくどく丁寧な「感謝の言葉」を並べることが多いが、買う時はたいてい無言である。無言が良いと思っているようにも見える。

私は、今、海外で、モノを買う時、たいていThank youという。現在、タイのコンビニ等で、店員がムスっと無言でも、とりあえずThank youは言っておく。但し、必ず英語で言う。ネパールでもマレーシアでもそうしていた。

私も以前は無言のことが多かった。今、Thank youと言うとき心理的に手本にしているのは、マレーシア華人の知人の態度である。モノを買う時、サービスを受ける時、相手に関係なく(日ごろから嫌っていることを隠さないマレー人であっても勿論)、必ず手際良くThank youとつけている。それだけのことで、実際はドライで合理的で厳しい性格のその人が、柔らかく見え、品位を感じさせるようになる。もしもいつも言うThank youがなかったら、随分違う人間に見えるだろうと思う。

これも英語の力だと思う。英語の優れたところである。Thank youという言葉がなかったら、同じ状況で同じ意味のことは言えないと思う。Thank youという言葉があるから、可能になっている良い行いである。

日本人が日本語で「ありがとう」などと言っても、これと同じ意味を持たすことはできない。「ありがとう」といえば、ちょっとボス面して目下の者を見下すような気持ちを表すことになるだろう。「ありがとうございます」「ありがとうございました」と言えば、卑屈にへりくだって目上の人に仕える気持ちになる。つまり、日本語にはThank youに当たる言葉がない。

このことは、日本文化に、対等な立場で他者に感謝の気持ちを伝える、という要素が欠けていることを示している。他者との関係は、お互いの立場を知って初めて可能になり、しかも「対等な立場」というものは原理的に存在しない、と考えるのが日本文化の習慣である。立場の上下関係がわかって初めて人との関係が可能になる。

また、日本文化には、無条件の感謝というものが、そもそも存在しない。感謝の表現も、見返りを求めるものであり、または受益の代償である。だから、金を払う客は感謝を表現する必要がなく、買う人が感謝を伝えるのは不自然だと考えるのだ。

感謝に限らず、無条件に「与える」ということが、日本文化には存在していない。与えるときには見返りを期待するのが当然、というのが日本文化である。感謝の言葉も、見返りなしには発せられない。だから、金を払っている者がそれ以上に感謝の言葉を口にすれば、「恩着せがましい」「何か下心があるに違いない」と受け取られることになる。それが予想できるので、ますます無言になるのだろう。

日本語は日本文化と切り離すことのできないものだから、日本語を使っている以上、人と対等な人間関係を築くことはできないと思う。個人が尊重されるまっとうな市民社会を作るためには、日本語廃止が必要な所以である。

勿論、英語を話しても、心を入れ替えなければ何も変わらず、今度はその英語のほうが毒されてしまうだろう。日本人が日本文化を打ち壊し、乗り越え、「日本人でないもの」に進化しなければ、まっとうな社会、即ち一人ひとりの人間が尊重される社会は作れない。日本語廃止は、日本文化克服のための必要条件であるが、それだけでは十分ではない。

「そこまで」

日本に帰ってわりと暇な生活をしています。旅行中はタブレットとスマホだけだったのが、いまはパソコンがあることもあって、主にインターネットで日本語の文章をじっくり読むことが多くなりましたが、変な日本語が気になります。

特に、「そこまで」という言い方。

最近使われるようになった表現だと思いますが、本来なら「それほど」とか「それほどまでに」と言うべきところを、「そまで」と言っているようです。話すときは「こ」を上げるようです。

これは私には日本語の乱れとしか思えません。しかも、誰も指摘しないようです。

話し言葉だけならともかく、文章にまで「そこまで」が出てくるのは不快です。

「日本語で話しかけているのに英語で答えてくるのは日本人の外人差別だ」と主張する外国人の真意と心理

結論から言えば、たとえ日本語で話しかけてきたとしても、そこが自分の家の庭先だったとしても、話しかけてきたのが外国人と分かる者であるなら、英語で応対すべきです。道を教えられる程度の英語は覚えられるはずなので、そのような事案は英語で処理すべきです。

欧米人が日本人に対して日本語を使うのは、自分が「高い地位」にいるという意識に基づくものです。高みに身をおきながら、「下の者」に合わせてやり、媚び、改めて自分の高い地位を確認するのです。

日本語で話してやっているのに英語で答えられるということは、この優越意識に楯突かれることであり、彼らにとっては不愉快です。この不愉快さを「日本人の外国人差別」にすり替えているのです。

あるいは、無意識に持っている「日本語で話しかける行為」の背後にある自らの優越意識や差別意識に気づかされることも、彼らにとっては不愉快です。それも「日本人の差別意識」にすり替え、投影します。

英語で話すということは、対等の立場に立つということです。日本人にそういう意思表示をされることが、この種の外国人にとっては不愉快なのです。

英語のネイティブだと言っても、必ずしも正しい文法や語法を使えているわけではなく、一種の英語コンプレックスを持っていることもありえます。