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日本人女性は白人男性と結婚するのが幸せ

まず、これからの時代、日本以外に住める場所を確保することが大事です。日本は災害の多い国。火山の大爆発もいつ起こるかわからない。過去の記録からはM9級の地震の後には数年内に火山の大爆発が起きているそうです。東日本大震災後の日本ではまだそれが起きていません。大爆発というのは、例えば九州全体が火砕流に飲み込まれ、日本列島全体の環境に大変動を引き起こす規模のものらしい。原発事故もまたいつ起きるかわからない。

外国人と結婚するなら、女性であれば白人男性を選ぶべきです。この世界には確固とした人種カーストが存在します。良い悪いではなく、これが現実です。得られる利益や機会も、人種によって変わってきます。例えば、タイで活躍したいなら、外国人であれば白人が圧倒的に有利です。わざわざ下位カーストを選ぶ必要はありません。また、子供が出来た場合、白人ハーフならチャンスが大きく広がります。日本だけでなく、タイや中華圏でも同じでしょう。子供モデルなど小遣い稼ぎの道が得られます。若者の貧困が深刻な時代はこれからも続くでしょう。深刻さは一層増していくと思われます。そういう時代に子供を生むならば、少しでも有利な条件を自分の子供に用意してあげるべきです。

日本人女性には、白人男性との結婚をお勧めします。英語圏の白人が理想です。

福島原発「トリチウム」についての「スプートニク」の報道

「スプートニク」は、ソ連時代の「モスクワ放送」、少し前までは「ロシアの声」という名前だった(本来)ラジオ放送ですが、現状は音声配信を含むニュースウェブサイトで、ロシア政府の立場を代弁するメディアです。東スポ風の記事もあり、面白いサイトですが、あくまでロシアの国の広報です。

放射能について恐怖を煽りがちな「スプートニク」ですが、福島原発から出ている放射性のトリチウム(三重水素)については、「大騒ぎすることではない」と示唆しているようです。

http://jp.sputniknews.com/opinion/20160706/2435339.html

2016年07月06日 22:22(アップデート 2016年07月07日 16:09)短縮 URL

リュドミラ サーキャン

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研究者らは世界海洋の放射能レベルは福島第1原発事故後、通常のレベルに戻りつつあると考えている。全世界の研究者をまとめる海洋研究学術委員会(Scientific Committee on Oceanic Research)の出したレポートにはこうした帰結が書かれた。

「RosRAO」率いるロシア企業のグループによって構築された福島のトリチウムを除去するためのテスト設備。

© SPUTNIK/

ロシア 福島第一原発の汚染水を最大限効果的に浄化する装置を日本に提案

レポートは日本から北米沿岸部までの太平洋の水域の様々な場所で20回行われた放射能レベルの計測に基づいている。放射能レベルが低下した理由について研究者らは世界海洋の深部から有害物質をあちらこちらに運ぶ海流がうまく働いたおかげだろうと推測している。海洋の深部では有害物質は致死的な性質を失う。研究者らはさらに5年後にはこうした放射性物質は完全に水に溶解してしまうか、全く姿を消してしまうと確信を表している。

海洋生物については、レポートの執筆者の一人、豪州の環境放射性化学のペレ・マスケ教授の指摘によれば、2011年には福島県沿岸部で採取されたサンプルの半分近くに通常レベルをはるかに超える放射性物質が含まれていたのに対し、2015年にはその数値は1%以下に下がった。このことからこの先、海洋生物の体内の放射性物質の数値はさらに下がり、この水域の魚はすべて健全化するものと期待されている。こうした結果が出たものの、環境状況に対するモニタリングは今後も続けられる。

放射線生態学の分野では有名なロシア人地球化学者のヴァレリー・コペイキン氏は放射性物質が除去された放射性廃棄物は特殊な方法で海洋に流すか、または海溝に閉じ込めることが十分可能だとして、次のように語っている。

「ふつうは汚染度の高い放射性廃棄物の常時保存の期間は千年ほどとされている。この際、保存容器の密封性は保証されねばならない。だが実際はこうした保証を与えることのできる人は誰もいない。なぜなら数千年にわたって全く今まで何もなかったような場所で破壊度の高い大災害は前触れもなく起きているのを目にしているからだ。さかんに地震の起きている日本などもってのほかだ。固形、水溶性の放射性廃棄物の扱いおよびその埋蔵については夥しい数の国際規則が編まれている。

ロシアのTENEX、フクシマ処理に助力へ

© AP PHOTO/ SHIZUO KAMBAYASHI

ロシアのTENEX、福島第一原発処理に助力へ

海洋へ流すことは禁じられているが、世界海洋には実際、大きな深みはたくさんなり、そういった場所には数千年にわたって放射性廃棄物を安心して保管することが可能だ。水溶性の廃棄物はあらかじめ液を加え、濃度を下げておけば、海洋自身が通常レベルまで混ぜ合わせてくれる。今日、海底の石油ガスの採掘だって、カタストロフィーが起きていながら、禁じられてはいない。事故を起こした原子力潜水艦は北洋の海底に沈められているが、それにどれだけの放射性物質や核燃料が積まれていることだろうか。戦時中、バルト海では汚染度の極めて高い軍事物質があまりにも多く沈められた事実もある。」

福島第1原発の領内にあった数十万トンの放射性汚水からはセシウム、ストロンチウムが除去された。だがトリチウムだけは除去できていない。なぜならこれは水素の同位体であるため、水に混在し、これを切り離すことは難しいからだ。今年、特別委員会は3つのプロジェクトを検討する。これは国際テンダーと日本が合同で行うトリチウムの除染プロジェクトの最終段階に入ったもので、ロシアの「ロスRAO」、米企業「クリオン」、カナダ日本のコンツェルン「GEヒタチ」が残った。

だがトリチウムの除染は莫大な費用を要する。このため汚水の海洋放棄も除外されていない。日本人エコロジストらはトリチウムの放射能はストロンチウムやセシウムより弱いにもかかわらずこれを水から除去するよう求めている。だが多くの研究者らは、トリチウムは原発で生まれる放射性物質の中でも最も害が少ないため、こうした憂慮には根拠がないと主張している。

日本原子力研究所の田中 俊一副理事長はトリチウムの放射性はプラスチックのカバーを通過することもできないほど非常に弱いとし、福島第1原発領内に蓄積された汚水のトリチウムは通常の地球の汚染レベルよりはるかに低いとの考えを示している。

「日本列島を覆うトリチウム水蒸気で日本はもう終わり」という、ネットの一部で言われていた話は、甘い終末期待だったようですね。

「放射能対策」

手続き通りに進めば、私は今日深夜コルコタを出て、飛行機でクアラルンプールに向かう。クアラルンプールは日常的な旅行起点である。非日常の旅行から引き離されて日常の(惨めな)現実に引き戻されていく感じがする。

ネット論者の中には、日本は全国的に危険な放射性物質を含んだ水蒸気に覆われていて、日本国家が近々崩壊するのはもちろん、「日本民族」の滅亡も必定だ、という煽動をしきりにしている者がいる。

ただ、そんな人に限って、「日本民族」をなんとか救いたい、と言ったかと思うと、他人のことはどうでも良いから自分と家族のことだけを考えろ、と言ったり、ロシアや中国への集団疎開が必要だと言ったかと思うと、もう4年間も放射能を吸ってしまったのだから疎開や避難など無駄であり、自宅に「放射能ゼロ空間」を作って引きこもるのが一番だと言ったり、支離滅裂である。私のようなヒキコモリならいくらでも引き篭もれるが、普通の社会生活をしている人は屋外の放射能空気を避けて引きこもることなど出来ないだろう。そのうえ、放射能に効くという自分の健康食品を売り込んでいる。

こういう詐欺師の言論を真に受けないのがまず大切である。

本題に戻ると、自分が確かに知りうる範囲を明確にすることがまず大切である。次に、自力でコントロールできる範囲を(明確にはならないが)よく吟味することが大切だ。

いずれも非常に少ないことがわかるはずである。日本列島がどんなに放射能汚染されているとしても、日本列島の「日本民族」が滅亡しないことは前にも書いた。むしろ淘汰されて強力な民族になるだろう。生命力のない者、ストレスに弱い者、運の悪いものから、肉体や精神の病気になって死んでいき、放射能も将来の不安もモノともしない、真に強靭な精神と肉体の持ち主だけが生き残り再び優生な子孫を増やすという、愛国者に取ってはまことに都合の良いことになるだけだ。

個人にとっては、確かに知りうる範囲はほとんどない。当然、コントロールできることもほとんどない。いくら免疫力が強い人でも、放射能への感受性が高い人もいるだろう。

だから、仮に日本が放射能汚染で「もう終わりになっている」とした場合の話だが(これもどんな科学者にも確かに知りうることではない)、個人としてできることは限られており、シンプルである。

まず、事情が許す人は海外に移住することである。4年間放射能水蒸気を吸ってしまったとしても、これから何十年も吸い続けるよりは良いだろう。海外生活にはさなざまなリスクがつきまとうが、「日本の放射能」から逃げたいのなら、海外に逃げるしかない。

それができない人は、くよくよしないことが一番だと思う。くよくよすることによるストレスは、非常に健康に悪い。私がくよくよする方だからこのことはよくわかる。おそらく「放射能水蒸気」よりも実害が大きいだろう。くよくよしているところに放射能のダブルパンチで、何も気にしていない人は罹らないような放射能障害を起こす可能性もある。

くよくよしないために、具体的にどうすればよいか。

結論を言えば、神を信じることが一番有効である。神を信じて、すべてを委ねるのが良い。神がお決めになるだろう。神はご自分の愛する者を救いたまう。誰かが神に愛されているかどうかは、やはり人智の及ぶところではない。これはオカルトではなく、宗教でさえない。神という言葉でしか表現できない究極的な最高叡智の存在者が存在する。そのような存在者に「委ねる」ということである。これ以外に、安心の決め手はない。もちろん、自分が確かに知りうる範囲を見定め(非常に小さいが)、自分がコントロールできそうな範囲で最善を尽くすことを前提としての話である。(タバコを吸えば放射能の影響も大きくなることは確かに知られているから、タバコを吸いながら放射能を憂いているのは意味がない)。今夜私が乗る予定の飛行機も、インド洋に落ちても少しも不思議ではないのだ。誰もが、気づいていないだけで、そういうギリギリの線の上を生かされている。神は偉大なり、と言うことである。

放射能地獄の中で「日本民族」が生き残る方法

一部のネット論客によれば、日本列島は全域が福島発の放射能を含んだ水蒸気に覆われていて、日本はもう終わりだそうである。私は、この話にどれだけ科学的な根拠があるのかわからないし、判断する能力もないが、仮にそれが事実だとして、どうすればよいかを考えてみたい。

「どうすればよいか」を考えるためには、まず「何のために」どうすればよいかを考えようとしているのかをはっきりさせなければならない。「目的」をはっきりさせないで、いたずらに思い悩むのは全く無駄である。この種の怖がらせのほとんどが、これが決め手だといいながら「何のために」の部分ははっきりさせていない。

仮に日本が「終わり」だとして、『個人として(または自分の家族、一族だけ)生き残ること』が目的なら、海外移住が良い。例えば、私が現在滞在しているネパール東部とか。さまざまな民族が混住しているので、異民族にも比較的寛容で慣れれば住みやすいところだと思う。(ただしヒマラヤの空気は意外にキレイではない。車の通らない山奥でも細かい砂が混じっているような感じがする。感覚的には日本の山国の方がずっとキレイ)。法的には、本気になればいろいろやり方があると思う。少数で移民したら自分の文化的なアイデンティティを失ってしまうのではないか、という不安があるかもしれないが、それはその人次第である。ミャンマーのチャイントーンという町には、英軍傭兵としてビルマ戦線に従軍しそのまま残留したネパール人の子孫が数家族いるが、戦後ネパール本国から同じカーストの嫁さんを呼び寄せたりして文化や言語を守り、ミャンマーしか知らない3代目の子供たちもネパール語が話せる。もちろん、ほとんどの日系人のように、現地への同化と現地多数派への同調を再優先にして日本語も全く忘れてしまう、という選択もある。個人として生き残ることが今の目的なのだから、それはどうでも良いことである。

「目的」が、個人ではなく「日本民族」を存続させること、そして将来繁栄させることであるなら、方法はもっと簡単である。何もする必要はない。騒がないのが一番である。福島原発至近の高度な汚染地帯に住んでいても、健康に生き健康な子孫を残せる人は、少なくとも1割ぐらいはいるだろう。放射能汚染に対する感受性には個人差がある。免疫力やいわゆる「生命力」も個人差が大きい。仮に、一部の人が言うように、日本列島が放射能汚染で「もう終わり」だったとしても、少なくとも数百万人は汚染に対する耐性を持っていて、健康に生き残ることができるだろう。数百万人の日本人が同じ地域に固まって生存すれば、民族の存続という意味では全く安泰である。

ネパール東部の所謂モンゴロイド系の民族であるリンブー族は(日本人はリンブーに似ているとネパール人に言われるほど、所謂モンゴロイド系カーストの中でも日本人に似た民族だが)、ネパールの諸民族の中でも弱小な少数民族だが、リンブーとしての強いアイデンティティを持っている。革命時代には「リンブーワン」の独立運動もあったようである。チェトリ(所謂アーリア系)やグルン(所謂モンゴロイド系)やタマン(所謂モンゴロイド系)の人たちと混住し隣同士助け合っていても、個人的に聞くと彼らは「嫌いだ」と断言する。好きなのは「リンブーだけ」で、あとはみんな嫌いだという。少数民族としてアイデンティティを保つためには、このくらいの強い意識が必要なのだろう。(ただし、彼らは部外者である私に対してだからそういう話をするのであって、隣近所の異民族と日常助けあって生活していることを見落としてはならない。もちろん互いに嫌っていることも互いに知りながら協力もするのである)。

「民族の存続」という意味で一番脅威なのは、むしろ「インターカーストマリッジ」だろう。人種差別主義からいうのでなく、ネパールで見ていてそう感じるのだ。ネパールの所謂モンゴロイド系カーストの一部では「インターカーストマリッジをすると可愛くて頭の良い子供ができる」と信じられていて、チェトリやバウンの男性と結婚したがるモンゴロイド系の女性がいる。上昇志向の強い人ほどそういう人が多いようである。ちょうど、可愛い子供が欲しいからという動機で白人男性と結婚する日本女性のようなものだが、そういう人は自民族のアイデンティティも希薄で、子供はどちらの文化も失っていくように思う。

本題に戻ると、個人として助かりたいなら「安全な海外」に移住すべきだが、日本民族は(世界の指導的な民族にはなれないし、なる必要もないと思うが)、何もしなくても安泰である。仮に、一部のネット論者が主張するように日本列島が放射能汚染で「終わり」になっていて、日本人が数百万人しか生き残れないとしての話である。

日本の「放射能恐怖」煽動と「自己責任」主義、および民族主義

インターネットにおける「放射能恐怖」の煽動は、福島原発事故以来盛んに行われてきたが、4年後の現在ところ扇動者たちが期待したような結果は出ていないようである。なにしろ、事故直後は「8月には」誰の目にも明らかになる、とか、「東日本は人が住めなくなる」とか扇動していたのだから。それで去年辺りは、ごく一部のアルファツイッタラーを除いて、放射能恐怖扇動はネットでも下火になっていたように思われる。

ところが、今年に入ってまた放射能恐怖扇動が復活の兆しを見せている。どこかの放射能測定器が高い値を示したということである。原発内部の、特に地下の状態がどうなっているか、正確なことは誰にもわからない。

現在の日本の「放射能の状態」がどれほど危険なものか、私にはわからないし、あまり興味もない。

私が興味があるのは、むしろ、ネットにおける放射能恐怖扇動者たちが表現している「思想」である。(煽動の主観的な動機については「卑しい」につきる)。

ある人は「隣人愛」「助け合い」の思想を装うが、その人の一連の発言には、他者を尊重したり隣人を愛したりする要素は感じられない。放射能恐怖扇動者に共通して言えることは、本当に「隣人愛」的な思想を持っている人はいないということである。当然それを動機として扇動している人はいない。

「愛国心」「日本民族主義」を主張し、それに立って放射能恐怖を扇動している人もいる。日本民族の将来が心配だというのである。なかには、日本国はもう破綻しているから日本民族さえ生き延びれば良い、というようなことを書いている人もいる。日本列島はもう住めなくなるから大陸へ移住しなければならないとか、500万人でも日本人が生き延びられれば日本民族は存続できるとか。

500万人説についてひとこと言っておくと、仮に日本の放射能汚染が本当に深刻なものだったとしても、避難(疎開)も、特別な防備や「乳酸菌」療法などしなくても、500万人くらいは十分に健康に生き延びられるだろう。放射能の影響は個人差が大きいというのが定説である。癌になりやすい人もいれば、ヘビースモーカーで不摂生な生活をしていても全く癌にならない人もたくさんいる。チェルノブイリ事故による高度な汚染地域でも、病気になる人もいただろうが、全く健康に成長した人もたくさんいるはずである。だから、500万人程度健康に生き延びられればよいのなら、何も心配する必要はないし、何もする必要はない。実際、数百万人の日本人がまとまって存続するなら、日本民族も民族として十分安泰だろう。

ネットの放射能恐怖扇動者にほぼ共通して見られる思想は、「自己責任」主義である。500万人説の自称愛国者、日本民族主義者も、選ばれた500万人に入れるかどうかは「自己責任」である、という立場だ。民族主義を宣伝しながら、他人のことなど考えるな、自分の身の安全だけ考えよ、隣人のことなどどうでも良い、と宣伝している。

最も大袈裟に放射能恐怖を扇動し続けているアルファツイッタラーも、少数の選ばれた覚醒者(オレを称賛する者)だけが生き延びればよく、オレを称賛しなかった愚民どもは自業自得である、という立場だ。

確かに、自己責任主義には一定の真理がある。途上国に長く滞在した人ならまさにその通りだと思うだろう。毎日、日本では経験しないような危ないことが起きる、本当に困ったときには誰も助けてくれない、日本ではしないケガもする、痛いのは自分自身である。自己責任主義は、旅人、放浪民の思想かもしれないと思う。

しかし、私が滞在している山の中では、隣人同士は、民族(カースト)が違っても、常に助け合って生活している。そうしなければ生活がなりたたない。定住者は、隣人同士助け合うものなのだ。

私の見る所、日本人は先進国の標準から見ても、助け合いを嫌う民族だと思う。助けることに高い値をつけるので、助けられることをも重い負担だと感じて嫌う。日本の「遠慮」の文化は、日本人の「隣人愛」の欠如の表れだといえる。

日本人には隣人愛が決定的に欠如している。このことが「放射能」以上の日本の問題だと思う。放射能恐怖扇動者のさまざまな発言からも見て取れることである。

もちろん、個人主義も欠如している。個人の自由を尊重することは極めて重要だし、自己責任も現実である。しかし、個人の自由は「隣人愛」と矛盾しない。近所同士常に助け合っているネパールの山村のほうが、隣人の不幸をむしろ喜ぶ日本社会よりも、「個人の自由」を尊重しているように見えるのだ。

だらだら書いてきたが、日本の放射能を怖れる必要はない。人間は皆病人である。問題は、そこが病人や困窮者、困っている旅人や余所者に手を差し伸べて助け合う風土のある社会かどうか、だけである。仮に、日本に大量の放射能病者が出ることになったとしても、そういう社会であれば問題はない。人間は皆病人なのであり、皆いずれは死ぬのである。人間とケダモノの違いは、隣人を愛するという要素をもつかどうかだろう。そしてこのことは、互いに「個人の自由」を尊重することと矛盾しない。

「隣人」が誰かわからない人は、新約聖書のルカ10「良いサマリア人」のところでも読むといいだろう。(私は、日本のキリスト教徒で、イエスが「やれ」と言っていることを実際にやっている者を見たことがない。私はオヨヨと信心の涙を流すことには価値はなく「行為」が何より重要だと思う)。

“放射線についてはじめて語る人間だから言えること(南相馬市立病院 勤務医師より)”

まともな人のまともな手記。頭のおかしい人はよく騒ぐので目立つが、世の中はまともな人のほうが多い。
http://www.asyura2.com/14/genpatu41/msg/138.html

どこで何をしていても「絶対安全」などないし、危険な物質を体に蓄積しない生活もありえない。そもそも永久に生きるわけでもないし、寿命で死ぬまで健康体でいなければならないわけでもない。放射能物語を吹き込まれたとたん「絶対安全」を求めるようになってしまった人は、それは心の病だと自覚すべき。「これさえ飲んでおけば大丈夫」というような宣伝もカルトの手法。そういう宣伝をする者は、最初は「これさえ」で売り込むが、それが当たると必ず、あれもこれも、実はこれが決め手だ、とやり始める。実例はネットにも転がっている。「決め手」などそもそもないし、最初から安全などなかったしこれからもないことを直視できない人間の弱さに付け込むのが、あらゆる恐怖扇動カルトのやり方。

放射能恐怖扇動に何の意味があるのか

福島事故以後、いろいろな人たちによって放射能測定は行われているが、福島以前には行われていないので、合理的な比較はできません。核実験の残留放射能もあるだろうし、産廃もかつては河原や山林に捨て放題だった。運悪くそういう放射能の影響を受ける人は、福島事故に関係なく、昔も今も存在するでしょう。また、福島が排出する程度の微量放射能の健康への影響については、まっとうな学者のほとんどは否定的です。それが間違っているというのは、学問の世界を否定してオカルトの世界に行くということです。花崗岩の多い地域の砂には微量のウラニウムが含まれているはず。大昔から風に舞っているはずです。微量放射性物質を怖れるということは、そういうのを恐れて生活するということです。イランのラムサールでは年間260ミリシーベルトの被曝量だというが、健康被害は出ていない。

放射能恐怖を扇動している人で、動機がわかりやすいのは、やはり東海アマさんという人だと思う。彼の主張は、もう関東はダメだから、疎開するしかない、子供達だけでも全員避難させるべきだ、というものです。どこにいても食品が仮に汚染されていたら同じことですが、とにかく疎開だという。現実的にそんなことが無理なことであるのは、誰が見てもわかること。この国家社会のシステムを壊すことにほかなりません。不完全とはいえ、人間がよりましに生きられるように作ってきたシステムを、「放射能の害」なるものを避けるために、破壊してしまわなければならないというのです。もちろん、仮にそんなことを実行した場合、その結果目に見えているのは、放射能の害をはるかにまさる社会的混乱、弱者の死亡、老人の遺棄、病気の蔓延、そして狂気です。彼らにとって放射能は口実に過ぎず、現在の国家社会を破壊したいというのが本当の目的です。それならそれと、ハッキリそういえば良いのであって、放射能を口実にして恐怖心を煽るなどというのは、汚いやり方です。

我々は確かに病んでいるかもしれませんが、人間はそういうものでしょう。人間は健康で100歳まで生きなければならないものではなく、そのほうが不自然です。ある食品にかなりの放射性物質が含まれていたとしても、その食品の栄養素がもたらす有益性のほうが総合的に見れば優位であるかもしれない。結果的にはその食品を適量摂取することが健康に資するかもしれない。市場に出回っている食品の殆どはこのようなものだと思う。放射能などよりバランスの悪い食事の方がはるかに健康に悪いだろう。そして放射能恐怖扇動は、バランスの悪い食生活をもたらすことになる。人間は病気を抱えてふうふう言いながらも、それなりの楽しみを見つけてある程度生きられれば良いのだと思います。それ以上の決め手はないし、個々人の運も大きい。これが決め手だというような宣伝をする人は、みな詐欺師だと思ったほうが良いです。

放射能恐怖を煽り、何でも放射能のせいにするような宣伝は、百害あって一利なく、他者に対する嫉妬や悪意を本当の動機とするものです。