Tag Archives: ネパール

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喫茶店「ちくさ」は本当に感じが悪い。最悪だ。あの、おそらくチェトリの男。
乞食か犬にくれてやるように、釣り銭をほうる。
投げてよこすのではない。目の前のテーブルに放るのだ。
チェトリ最悪。
なぜそんな店に行くかと言うと、比較的コーヒーの味が良く、今のネパールでドリップコーヒーとしては最安の部類だから(ブラックコーヒー85ルピー)。ドリップコーヒーだと120ルピー前後が多く、ちくさより不味いことも多い。
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#カトマンドゥ #タメル #ジャータ の喫茶店 #ちくさ のこの男、本当に最悪だ。ネパール人水準でも最悪の部類。釣り銭を、手渡しできるにもかかわらず、必ず乞食にやるように投げて来る。必ず。俺には必ずだね。

http://ift.tt/2gWirVV

“タメルの喫茶店「ちくさ」を仕切っている男。俺なんかには最悪の接客態度。ナマステもハローもひと言もない。こっちが何か言っても、ことさら無視するか、嫌な顔をするか。注文も聞いたのかどうかわからない。俺が何を言っても完全無視。しかし、白人客が入ってくると一転して態度が変わり「ナマステー」。タイ人みたいなやつ。 #kathmandu #thamel”

カトマンドゥの喫茶店「ちくさ」

http://kuantan.tumblr.com/post/154932738773/カトマンドゥ-タメル-ジャータ-の喫茶店-ちくさ

#カトマンドゥ #タメル #ジャータ の喫茶店 #ちくさ の男。ネパール人の水準から言っても最悪なやつ。
必ず釣り銭を、目の前のテーブルに投げてよこす。まるで犬にでもくれてやる、という態度。こんなのは中国でも経験しない。
客を馬鹿に仕切った仕草。
ちょっとでも手が触れると穢れるとでも言うのか。チェトリか何かのようだが。

http://kuantan.tumblr.com/post/154932738773/%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A5-%E3%82%BF%E3%83%A1%E3%83%AB-%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%BF-%E3%81%AE%E5%96%AB%E8%8C%B6%E5%BA%97-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%95

ネパール

http://twilog.org/Kuantanlog/date-161130

今日は寒い日だった

体調かもしれないが、突然底冷えのする日になった。カトマンドゥは今日、日差しがなかった。風邪をひいたようになり、朝も眠り、夕方も眠る。土曜日は公休日。もとより俺には関係のないこと。平日でも休みたい時に休めなかったら、すぐに身体を壊してしまいそうだ。

ネパールの夜は早い。都会でも早い。タメルでも、この時間を過ぎて街に出ている人は危ない人が多くなるという。午後11時ごろには売春婦がウヨウヨしているらしいが、兼強盗または強盗連携プレーである場合も多いという。

このアパートの建物も、午後9時にはシャッターが閉まり、鍵がかけられる。シャッターの鍵ももらってはいるが、昼間でも開けにくく暗闇で開けられるかどうか。夜更けになれば、シャッターを開く音だけでもアパート中に響く大騒動になりそうだ。暗くなったら出歩くな、暗くなる前にまともな者は帰れ、というのが基本のようである。

8時20分頃

http://telegra.ph/kathmandu-evening-11-26

「ニーハオ」と言われたら

タメルを歩いていて客引きにかけられる言葉は、たいてい「ニーハオ」。昔は「トモダチ、トモダチ」というのが多かったが、今はほとんど聞かない。以前「ニーハオ」と言われると、ムカっとしたりしていた。どうして腹を立てるのかだが、10年くらい前はタメルでも地元の高校生のような連中にチンチョンチャンで弄られることがあったのだ。今でも馬鹿にしたような様子でニーハオと声をかけるやつはいるが、さすがにチンチョンチャンは聞かなくなった。

個人的に、「ニーハオ」でムカついたのはなぜだろうかと思う。自分は中国人ではなく日本人なのだから日本人として扱われたい、というのは案外軽視されているが尊重すべき理由だろう。ただ、日本人であることは自分の属性の1つに過ぎない。中国人が嘲笑されているのを見聞きしたり、中国人として嘲笑されたりして、中国人扱いされたくないと思ったのも事実。しかし、やはり自分にも中国人を蔑視する気持ちがあり、そのせいで中国人扱いされたくないと感じるようになったのも大きいと思う。

ただ、最近はニーハオが気にならなくなってきた。今年の台湾旅行が転機だったかもしれない。台湾では自分も毎日ニーハオと挨拶していたし、されていたと思う。「中国人」という感じの人たちではなく、「普通の」日本と同じような国の自分と同じような人たちの間でごく普通に使っていた便利な挨拶の言葉が「ニーハオ」や「シェシェ」だった。

http://telegra.ph/newar-house-11-26

放射能地獄の中で「日本民族」が生き残る方法

一部のネット論客によれば、日本列島は全域が福島発の放射能を含んだ水蒸気に覆われていて、日本はもう終わりだそうである。私は、この話にどれだけ科学的な根拠があるのかわからないし、判断する能力もないが、仮にそれが事実だとして、どうすればよいかを考えてみたい。

「どうすればよいか」を考えるためには、まず「何のために」どうすればよいかを考えようとしているのかをはっきりさせなければならない。「目的」をはっきりさせないで、いたずらに思い悩むのは全く無駄である。この種の怖がらせのほとんどが、これが決め手だといいながら「何のために」の部分ははっきりさせていない。

仮に日本が「終わり」だとして、『個人として(または自分の家族、一族だけ)生き残ること』が目的なら、海外移住が良い。例えば、私が現在滞在しているネパール東部とか。さまざまな民族が混住しているので、異民族にも比較的寛容で慣れれば住みやすいところだと思う。(ただしヒマラヤの空気は意外にキレイではない。車の通らない山奥でも細かい砂が混じっているような感じがする。感覚的には日本の山国の方がずっとキレイ)。法的には、本気になればいろいろやり方があると思う。少数で移民したら自分の文化的なアイデンティティを失ってしまうのではないか、という不安があるかもしれないが、それはその人次第である。ミャンマーのチャイントーンという町には、英軍傭兵としてビルマ戦線に従軍しそのまま残留したネパール人の子孫が数家族いるが、戦後ネパール本国から同じカーストの嫁さんを呼び寄せたりして文化や言語を守り、ミャンマーしか知らない3代目の子供たちもネパール語が話せる。もちろん、ほとんどの日系人のように、現地への同化と現地多数派への同調を再優先にして日本語も全く忘れてしまう、という選択もある。個人として生き残ることが今の目的なのだから、それはどうでも良いことである。

「目的」が、個人ではなく「日本民族」を存続させること、そして将来繁栄させることであるなら、方法はもっと簡単である。何もする必要はない。騒がないのが一番である。福島原発至近の高度な汚染地帯に住んでいても、健康に生き健康な子孫を残せる人は、少なくとも1割ぐらいはいるだろう。放射能汚染に対する感受性には個人差がある。免疫力やいわゆる「生命力」も個人差が大きい。仮に、一部の人が言うように、日本列島が放射能汚染で「もう終わり」だったとしても、少なくとも数百万人は汚染に対する耐性を持っていて、健康に生き残ることができるだろう。数百万人の日本人が同じ地域に固まって生存すれば、民族の存続という意味では全く安泰である。

ネパール東部の所謂モンゴロイド系の民族であるリンブー族は(日本人はリンブーに似ているとネパール人に言われるほど、所謂モンゴロイド系カーストの中でも日本人に似た民族だが)、ネパールの諸民族の中でも弱小な少数民族だが、リンブーとしての強いアイデンティティを持っている。革命時代には「リンブーワン」の独立運動もあったようである。チェトリ(所謂アーリア系)やグルン(所謂モンゴロイド系)やタマン(所謂モンゴロイド系)の人たちと混住し隣同士助け合っていても、個人的に聞くと彼らは「嫌いだ」と断言する。好きなのは「リンブーだけ」で、あとはみんな嫌いだという。少数民族としてアイデンティティを保つためには、このくらいの強い意識が必要なのだろう。(ただし、彼らは部外者である私に対してだからそういう話をするのであって、隣近所の異民族と日常助けあって生活していることを見落としてはならない。もちろん互いに嫌っていることも互いに知りながら協力もするのである)。

「民族の存続」という意味で一番脅威なのは、むしろ「インターカーストマリッジ」だろう。人種差別主義からいうのでなく、ネパールで見ていてそう感じるのだ。ネパールの所謂モンゴロイド系カーストの一部では「インターカーストマリッジをすると可愛くて頭の良い子供ができる」と信じられていて、チェトリやバウンの男性と結婚したがるモンゴロイド系の女性がいる。上昇志向の強い人ほどそういう人が多いようである。ちょうど、可愛い子供が欲しいからという動機で白人男性と結婚する日本女性のようなものだが、そういう人は自民族のアイデンティティも希薄で、子供はどちらの文化も失っていくように思う。

本題に戻ると、個人として助かりたいなら「安全な海外」に移住すべきだが、日本民族は(世界の指導的な民族にはなれないし、なる必要もないと思うが)、何もしなくても安泰である。仮に、一部のネット論者が主張するように日本列島が放射能汚染で「終わり」になっていて、日本人が数百万人しか生き残れないとしての話である。