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米国:イスラム教徒3人射殺される 白人男逮捕 動機不明

【ワシントン及川正也】米南部ノースカロライナ州チャペルヒルで10日、地元のノースカロライナ大学に通う男子歯学生(23)らイスラム教徒の家族3人が近所に住む白人の男に銃で射殺された。男は地元警察に出頭し、殺人容疑で逮捕された。地元メディアが伝えた。男はクレイグ・スティーブン・ヒックス容疑者(46)。殺害されたのは歯学生の妻(21)と妻の妹(19)。地元警察は動機や銃撃の状況を明らかにしていない。

via 米国:イスラム教徒3人射殺される 白人男逮捕 動機不明 – 毎日新聞.

「サウジ王族がアルカイダを資金援助」、9.11実行犯が証言

【2月5日 AFP】2001年9月11日の米同時多発テロの実行犯で唯一、米国で有罪判決を受けたザカリアス・ムサウイ(Zacarias Moussaoui)受刑者が米弁護士に対し、国際テロ組織アルカイダ(Al-Qaeda)が1990年代にサウジアラビア王族から多額の寄付金を得ていたと話していることが分かった。

ムサウイ受刑者は「20人目のハイジャック犯」の異名で知られるアルカイダ構成員で、フランス市民権を持つ。問題の証言は、サウジアラビアがアルカイダを支援しているとして9.11被害者らが起こした訴訟の原告側弁護団が先ごろ米ニューヨーク(New York)の連邦裁判所に提出した文書で明らかになった。

ムサウイ受刑者の話によると、以前アルカイダへの寄付者のデータベースを作成したが、その中にはサウジアラビア情報局長官だったトゥルキ・ファイサル(Turki al Faisal)王子と、2005年まで22年間にわたって駐米大使を務めたバンダル・ビン・スルタン(Bandar bin Sultan)王子の名前が含まれていたという。

また、アルカイダによる米本土攻撃計画について協議するため米駐在のサウジアラビア政府高官とアフガニスタンで面会したと、ムサウイ受刑者は供述している。この人物とはその後、米大統領専用機エアフォースワン(Air Force One)撃墜計画への支援を得るため米ワシントンD.C.(Washington, DC)で再会する約束だったという。

さらにムサウイ受刑者は、アルカイダの最高指導者だったウサマ・ビンラディン(Osama bin Laden)容疑者と、トゥルキ王子をはじめとするサウジ政府高官の間には直接やりとりがあったとも述べている。同受刑者は、両者の間で交わされる直筆の手紙を届けるため、サウジアラビアを2回訪れたという。

同受刑者によれば、90年代後半のアルカイダにとってサウジアラビアによる資金援助は「極めて重要だった」という。

via 「サウジ王族がアルカイダを資金援助」、9.11実行犯が証言 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News.

日本憎しの中国も韓国も、日本でまだテロはやっていないという僥倖

ヘイトスピーチ 表現の自由はどこまで認められるか

フランスで元植民地出身者によるテロがありましたが、日本ではまだあのようなテロは起きていません。日本には、日本および日本人に深い恨みを抱く中国人や韓国人がたくさん在留しているはずですが、あのようなテロは起きていません。それはきっと、中国も韓国も、恨みごとを言い、相手に頭を下げさせ、自分が道徳的・文明的に優位に立っていることを認めさせることで満足を得る、という考え方をする人々だからだと思います。

中国人や韓国人が、パリの新聞社襲撃レベルのテロを日本で起こすことは、その気になれば簡単です。東京でナイフを振り回して日本人無差別殺人をするだけでもテロリストとして英雄になれそうなものですが、そういうことをする者が出ないのは、やはりそういう文化がないからだろうと思われます。それでは満足を得られないし、命に替えても良いほど十分な賞賛を得られないという文化が背景にあるからでしょう。このことは日本にとってはラッキーなことだったと思うべきです。

日本は中東諸国から憎まれることも少なかった。彼らは、日本がアメリカに楯突けない気の毒な立場にある国であることを理解してくれていた。東南アジアの華人も、日本に対して複雑な感情を持っているようではありましたが、現在の日本が「アメリカに楯突けない国」であることを理性的に理解してくれていました。

ところが今、日本の安倍首相は、日本が独自に国際社会の主体となって悪人の「罪を償わせる」と息巻いています。国際法に従ってとか、そういう話でもない。我が国が被害者だから我が国が「罪を償わせる」のだと言っているのです。

これからはもう、「アメリカに言わされているから」とか、「アメリカに金を出させられているから」とか、「アメリカが自衛隊を出せと迫っているから」という、従来世界でなんとか通用していた卑屈な言い訳も通用しなくなります。

池田信夫氏やNEVADA氏も危惧するように、日本がアメリカに見捨てられる可能性もあります。戦場に連れて行かれて置き去りにされるようなものです。米軍が沖縄から撤退したら(アメリカは本当はそうしたいようですが)、日本の自衛隊が国際社会の矢面に立たなければならなくなります。しかも集団的自衛権で、アメリカの言うことは聞かなければならない。アメリカが世界中で起こす戦争に実名顔出しで付き合うことになります。

東京都心の高層ビルに飛行機が突っ込むとか、渋谷の交差点でTNT火薬が大爆発するとか、地下鉄で毒ガスが巻かれるとか、エボラ感染者が渡航してくるとか、そういうテロが現実性を帯びてきたのではないか。

「チョン」とか「チャンコロ」とか言って喜んでいられた頃は平和だった、ということになるかもしれません。日本ではいまのところどんなに口汚い「シナチョンたたきメディア」も襲撃されてはいないでしょう。

宗教のことなど何もわからない日本人が、中東の宗教がらみの戦争に関与すべきではないのです。

イスラム国とは何か

たそがれゆく日米同盟―ニッポンFSXを撃て (新潮文庫)

本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」 (「戦後再発見」双書2)

日本人が外国に「罪を償わせる」という傲慢さ

ゼロからはじめる法学入門

ジャーナリストの後藤健二氏がイスラム国によって処刑されたことについて、日本の安倍首相は「(彼らの)罪を償わせる」と発言したと報じられています。私はこの発言に強い違和感を覚えます。

国際社会において、「罪を償う」べき立場にあるのは日本の方なのではないか。
日本がまず罪を償い、完全な謝罪をすべき立場にあるのではないか。天皇制を存続させている以上、天皇の謝罪が必要です。日本のような国に、外国に対して「罪を償わせる」と発言する権利があるのか。

侵略戦争の責任もとらないまま、アメリカの庇護のもとに利益を得させてもらい良い思いもさせてもらってきた日本が、国際社会の場で、外国に対して「罪を償わせる」などという言葉を用いて断罪する資格があるのか。このような傲慢な発言を国際社会に発したのは、戦後は安倍首相が初めてでしょう。大変危険なものを感じます。

イスラム国も外国です。イスラム国は「テロリスト集団」に過ぎず国家ではないという意見もあるようですが、私は、勿論邪悪な国家でありますが、ナチス・ドイツも国家であったように、イスラム国も「国家」だと思います。承認している国はないかもしれませんが、国家の要件である「領域」と「人民」と「権力」を具えた政治的な実体であることは確かです。

邪悪な国家はイスラム国の他にもあります。日本がアメリカの都合でアメリカの庇護を受けて分不相応な豊かさと安全を享受しているように、イスラム国と変わらない邪悪なナチス国家でありながら、アメリカの都合でアメリカの庇護を受けて安泰に存続しているサウジアラビアのような国家もあります。

イスラム国 テロリストが国家をつくる時

満州裏史 甘粕正彦と岸信介が背負ったもの (講談社文庫)

岸信介―権勢の政治家 (岩波新書 新赤版 (368))

ワッハーブ派(サウジアラビア)はナチスと同じ。

イランのシーア派イスラーム学教科書 (世界の教科書シリーズ)

私は以前、テヘランのMarvi通りにある神学校でちょこっと講習を受けたことがありますが、そこでシーア派の先輩たちが強調していたことは、イスラエルやアメリカが悪いという話ではなく、サウジアラビアこそ恐怖国家だということでした。サウジの国教であるワッハーブ派は、シーア派などは皆殺しにして良い、皆殺しにすべきだという思想を本気で信じており、国是としています。そんな国を庇護しているのがアメリカです。中東を旅行するときはシーア派だと言わないほうが良い、危ないから、ともアドバイスされた。

イスラム国 テロリストが国家をつくる時

アブドゥル・ワッハーブの主要な教義のひとつがタクフィール(不信仰者の宣告)の主要な考えとなった。タクフィールの教義のもとでアブドゥル・ワッハーブと彼の追随者たちは、何であれ絶対の権威(すなわち王)の主権を侵害するような活動に携わった仲間のイスラム教徒を異端者とみなすことができた。アブドゥル・ワッハーブは、死者、聖人、天使をあがめたイスラム教徒すべてを非難した。そのような感情は、神に対し、また神にのみ示されるべき完全な服従を損なうと考えたのだ。よってワッハーブ派のイスラム教義は、聖人や死んだ愛する人に祈ることや、墓や特別なモスクへの巡礼、聖人をたたえる宗教的祭り、イスラムの預言者ムハンマドの誕生日を祝うこと、そして死者を葬る際に墓石を使用することさえ禁じた。

この考えに従わない者は殺されるべきであり、その妻や娘たちは犯されるべきであり、その財産は没収されるべきだと彼は書いている

アブドゥル・ワッハーブは服従を要求した――物理的、具体的に示される服従だ。彼は、イスラム教徒すべては1人のイスラム指導者(カリフ、もし存在するならば)に個人的に忠誠を誓う必要があると論じた。この考えに従わない者は殺されるべきであり、その妻や娘たちは犯されるべきであり、その財産は没収されるべきだ、と書いている。死に処されるべき背教者のリストには、シーア派、スーフィー派、そして他のイスラム宗派、すなわちアブドゥル・ワッハーブが決してイスラム教徒であるとは考えなかった人々が含まれていた。

ここにはワッハービズムとイスラム国を区別するものは何もない。裂け目は後に現れることになる。後の、ムハンマド・イブン・アブドゥル・ワッハーブの教義を制度化した”1人の支配者、1つの権威、1つのモスク”―― これら3つの柱のそれぞれがサウジ王、すなわち正統ワッハービズムにおける絶対的権威を現す、そして”言葉”を支配することだ(つまりモスクだ)。

これが裂け目――イスラム国による、スンニ派が全権を振るうこれら3つの柱の否定――、すなわち他のすべての要素についてはワッハービズムを受け入れるイスラム国を、サウジアラビアの深刻な脅威としているものだ。

まともな文明人なら、サウジアラビアもイスラム国もどちらも殲滅しなければならない悪党だと理解できるはずです。

日本にも中田考という「イスラム国」の走狗がおり、ワッハーブ派のようです。北大生だけでなく、彼のやったことも私戦予備陰謀に該当するのは明らかではないか。「イスラム国」が国境のない国なら日本にもイスラム国がすでに侵攻していると言えるから外患誘致罪に該当するとも解される。内乱予備または陰謀罪に該当してもおかしくない。それらの教唆は明らかだから、少なくとも破壊活動防止法で逮捕すべきだ。それ以前に、中田考のような恥知らずな外道は、「人道に対する罪」で国際社会の管轄も時効もない法廷に引き出されて死刑にされて当然だと思う。

日本人がテロとの戦いに組み込まれる可能性 | パリ連続テロとイスラム、そして日本 | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト

西欧キリスト教世界は、自己の文明認識において、「ギリシャ文明に起源を持つ」と主張していますが、ギリシャ文明は一度滅んでアラブ世界に継承されました。ギリシャ語のおびただしい文献をアラビア語に翻訳して医学、天文学、数学、哲学などの諸科学を継承・発展させたのはアラブ・イスラーム文明でした。

西欧は12世紀ころからイスラーム世界の文化・文明を取り入れて、近代文明をテイクオフ(離陸)させました。代数学(algebra)、アルコール(alcohol)、提督(admiral)、砂糖(sugar)、暗号(cypher)、米(rice)、シャーベット(sherbet/sorbet)等々、身近な単語がアラビア語起源であることからもそれが窺えます。

現在の西欧キリスト教世界の心理の底流には、過去のアラブ・イスラーム世界に対するコンプレックスと同時に政治的・経済的優位に立つ現在の優越感とがあるように思います。中世から近世にかけてはアラブ世界の方が文明的にも優位にあったことは西欧の知識人たちも知っていますが、それを認めることには抵抗感もあるように思います。

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キリスト教はお金を取る。イスラム教はお金をくれる。

イスラム―癒しの知恵 (集英社新書)

中東にもキリスト教徒は少なくないのですが、中流以上や富裕層が多く西洋的な教育を受ける機会がある人が多いのだという。それに対して、多数の貧困層はムスリムが多い。

どうしてそういうことになるのだろうか。

立派な信徒になるために「勉強」が必要という点では、イスラム教のほうが厳しいはずです。クルアーンはアラビア語原典以外は認められず、暗唱できなければならないし、ギリシャ哲学と結びついて発展したので神学理論も難解です。だから、立派なムスリムになることは貧困層には難しい。ただし、一応ムスリムになるだけなら、簡単な告白だけでムスリムと認めてもらえる。あとは、どういう共同体の仲間になるかだけでしょう。そして、イスラム共同体では、貧しい信徒には施しがなされることが多いようです。マレーシアのように、国家がマレー人(ムスリム)に限って生活保護を優先的に出す国もある。私もイランのマスジェデを見学していたとき、「お金に困っているフィリピン人」と間違えられてもう少しで施しを受けるところでした。

これに対して、キリスト教は信徒からカネを巻き上げるのに熱心な宗教です。昔々、東京に住んでいたころ、福音派の教会に出入りしたことがありましたが、パンフレット等を見ると献金の要請がやたら目立つ。お布施が信仰の証であり、信仰を行為で示すことであるかのような書きぶりで、日本語の文章としてはしつこいくらいお布施を要求していました。(私は信徒にならなかったので一円も出しませんでしたが)。

キリスト教も「異邦人」向けのカルトとして成立した宗教なので、本来間口は広いはずです。知識よりも「信仰」が重視されるらしい。信徒になりやすい点ではイスラム教と変わらない。ただし、キリスト教はカネにがめついところが違う。信徒はお金をせびられる。イスラム教の場合はすごい金持ちが献金して、貧乏人にはお金をばらまくようだ。その結果、中流や普通の金持ちはキリスト教に傾き、貧乏な人がイスラム教に行く(または残る)ようになっているのではないか。

ただ、キリスト教もイスラム教も、仏教も、基本的に「新興宗教」であり、信仰とか信心だけで仲間に入れてくれる宗教という点では同じです。世界全体から見れば「信仰」があれば受け入れてくれるという宗教のほうが少なく、血が繋がっていなければダメという宗教のほうが(宗教の数としては)多いと思います。