Category Archives: 日本

April 22, 2017 at 01:40PM

萩藩を乗っ取った人たちが幕府を倒した。テロリストたちがイギリスの引き立てで国家指導者に。明治国家はイギリスのステルス植民地。
日本人がインドに行ってシタールを学ぼうとしたらぶっ飛ばされる。バラモンの専業。ところがビートルズはそれが出来た。
(形式的には独立しているがイギリスのステルス支配下という点で、近代日本とタイは似ている)

https://youtu.be/Ao1e2xYy9Sk

April 21, 2017 at 11:58PM

北朝鮮から飛んでくる予定のミサイルは通常兵器ということでいいのか。空襲警報が鳴れば、日本は有無を言わさず戦時体制。国民精神総動員体制だ。共謀罪もできるし、もう日本にいる理由はない。

地面に伏せ、窓から離れて…政府HPにミサイル避難方法:朝日新聞デジタル

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April 21, 2017 at 11:15PM

緯來日本台で「東京妄想女子」というドラマを見ていますが(原題は同じか?30女三人の話)、「進歩がないのが可愛い」とか「頭が悪いのが可愛い」という思想が底流にあるのでは?

俺は、進歩がないのや頭が悪いのは、全然可愛いことではないと思います。

登場人物たちはまるで小6女子。今に始まったことでなく、小6くらいからセックスや大人の恋愛をする女の子は多い。彼女たちはこのドラマと同じレベルの会話をしてると思う。

アメリカの研究で、テレビを一日3時間以上見ると確実に認知能力が低下する、という結果が出ているそうだ。日本のテレビは、ドラマでもIQが低下しそうな勢いである。

関西空港総合案内の感じの悪い女

関空の総合案内「?」の女に、タイガーエアのことについて聞いたが、非常に居丈高で不快な態度。

こちらが下手に出てやると偉そうな態度になる。少し声を強めて荒い言葉遣いにすると、かえって低姿勢になる。

関西人の卑劣な特徴をよく表している。京都人がこの典型だ。日本人の卑しい性格の発祥地は関西だとわかる。

アメリカが京都、神戸、大阪に原爆を落としてくれればよかった。ケロイド狂乙女どすえでちっとは謙虚になったかもしれない。京都は徹底的に爆撃すべきだった。高山さえ空襲されたのだ。

日本人はなぜ「困っている人は助けなくても良い」と考えるのか? February 25, 2017 at 03:16PM

日本は実際は貧困率が高い。貧困に苦しんでいる人が多く、生活保護を受けている人は少ない。(OECD加盟国で)

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比較の対象としてよく取り上げられるOECD加盟国だが、アジアからの正式加盟国は日本と韓国だけ。非西洋世界としては貧しいこと自体はやむを得ないかな、という感じはする。

ただ、相対的貧困というのは、その社会の中で普通の人ができる生活ができない、ということを意味するという。「自分も普通である」ことを何よりも大事にする日本人社会では、自由社会におけるよりも、相対的貧困は、深刻なストレスになるだろう。日本の社会では、いろいろな場面で、「自分も普通であること」を証明していくことが要求され、それに逆らえば、徹底的に排除されるから。

日本は、「困っている人は助けなくても良い」という考えの人が、世界で一番多い国だという。このような考え方はどこから来ているのだろう。

ヒンドゥー教国のネパールでは、今生(こんじょう)の不幸は、前世の因果だから、いま苦しんでいる人は前世の業を落としている最中であり、苦しませておいてやるのが良い、と本気で思っている人が多いようである。タイでも、「前世の因果」思想。ネパールよりもっと自己責任論に近いかもしれない。ある程度恵まれている人々は、「自分は前世でそんなに悪いことをせず、あんな真っ黒の下層民に生まれなくて良かった」と素直に胸をなでおろして終わり、という感じらしい。こんな国でもかつては左翼運動が存在したことがあったが、分離運動との絡みを除けば、原始的な「妬み」「やっかみ」の情念の噴出に過ぎない。

日本の場合は、輪廻転生思想とはあまり関係がないと思う。日本の自己責任論は、日本の文化や美意識に根ざしている。困っていてもそれを口に出さず、どうにもならなくなった所で「静かに自殺する」のを立派だとするのが、日本の美意識である。弱者は、自殺するところまでやらないと同情されない。貧困であれなんであれ、自殺ないし心中ですべて自分で解決できるのだから、困っている人を他人が助ける必要はない、ということになる。

日本の自己責任論の根底にある思想は、このように、「死の美化」だと思う。要するに自己責任論者の言いたいことは、「見苦しい境遇に陥って自力で這い出せないなら、自殺しろ。(自力で麗しく這い出てくれば美談にしてやるが)」である。福祉施設での大量殺人犯人も、良いことをしてやったと信じており、この思想に依っている。

日本の保守思想、右翼思想、国粋主義思想等はすべて、この死を美化する思想を根底にもつ。彼らが弱者に恩を着せて与えようとするのは、「死」、麗しい死、に過ぎない。右翼や愛国主義者の中に、国家社会主義的な平等主義の主張をする者がいるように見えるが、彼らの施しも、せいぜい一緒に涙を流して自殺に共感してやるよ、ということだと思って間違いない。

日本人は、無償で与える、報いを期待しないで与えるということを嫌う。与えられることも嫌うようだが、与えることを何よりも嫌う。これも日本文化である。インターネットのサービスひとつとっても、日本のものはグロテスクな広告だらけ。日本がインターネットで遅れを取ったのは、言語や技術よりも、グロテスクな営利主義が原因ではないかと思う。とにかく、見返りをもとめないで与えるということが、日本人は嫌いである。

日本文化と挨拶、日本語廃止の必要性。Telegramからの投稿です。 February 19, 2017 at 09:05PM

日本人は、モノを買ったり、お金を払ってサービスを受ける時、無言で挨拶をしないことが多い。売る側に立つとくどく丁寧な「感謝の言葉」を並べることが多いが、買う時はたいてい無言である。無言が良いと思っているようにも見える。

私は、今、海外で、モノを買う時、たいていThank youという。現在、タイのコンビニ等で、店員がムスっと無言でも、とりあえずThank youは言っておく。但し、必ず英語で言う。ネパールでもマレーシアでもそうしていた。

私も以前は無言のことが多かった。今、Thank youと言うとき心理的に手本にしているのは、マレーシア華人の知人の態度である。モノを買う時、サービスを受ける時、相手に関係なく(日ごろから嫌っていることを隠さないマレー人であっても勿論)、必ず手際良くThank youとつけている。それだけのことで、実際はドライで合理的で厳しい性格のその人が、柔らかく見え、品位を感じさせるようになる。もしもいつも言うThank youがなかったら、随分違う人間に見えるだろうと思う。

これも英語の力だと思う。英語の優れたところである。Thank youという言葉がなかったら、同じ状況で同じ意味のことは言えないと思う。Thank youという言葉があるから、可能になっている良い行いである。

日本人が日本語で「ありがとう」などと言っても、これと同じ意味を持たすことはできない。「ありがとう」といえば、ちょっとボス面して目下の者を見下すような気持ちを表すことになるだろう。「ありがとうございます」「ありがとうございました」と言えば、卑屈にへりくだって目上の人に仕える気持ちになる。つまり、日本語にはThank youに当たる言葉がない。

このことは、日本文化に、対等な立場で他者に感謝の気持ちを伝える、という要素が欠けていることを示している。他者との関係は、お互いの立場を知って初めて可能になり、しかも「対等な立場」というものは原理的に存在しない、と考えるのが日本文化の習慣である。立場の上下関係がわかって初めて人との関係が可能になる。

また、日本文化には、無条件の感謝というものが、そもそも存在しない。感謝の表現も、見返りを求めるものであり、または受益の代償である。だから、金を払う客は感謝を表現する必要がなく、買う人が感謝を伝えるのは不自然だと考えるのだ。

感謝に限らず、無条件に「与える」ということが、日本文化には存在していない。与えるときには見返りを期待するのが当然、というのが日本文化である。感謝の言葉も、見返りなしには発せられない。だから、金を払っている者がそれ以上に感謝の言葉を口にすれば、「恩着せがましい」「何か下心があるに違いない」と受け取られることになる。それが予想できるので、ますます無言になるのだろう。

日本語は日本文化と切り離すことのできないものだから、日本語を使っている以上、人と対等な人間関係を築くことはできないと思う。個人が尊重されるまっとうな市民社会を作るためには、日本語廃止が必要な所以である。

勿論、英語を話しても、心を入れ替えなければ何も変わらず、今度はその英語のほうが毒されてしまうだろう。日本人が日本文化を打ち壊し、乗り越え、「日本人でないもの」に進化しなければ、まっとうな社会、即ち一人ひとりの人間が尊重される社会は作れない。日本語廃止は、日本文化克服のための必要条件であるが、それだけでは十分ではない。