Category Archives: 日本人

Youtubeコメントです March 25, 2017 at 03:10PM

【Youtubeのある在日外国人の動画に私がしたコメントです】

ここはレーネさんの動画のコメント欄なので、視聴者の論争は慎みたいと思いますが、この動画のテーマは、世界で台頭する排外的な民族主義・ナショナリズムについてです。

私は日本に於いても危険な自慰的愛国主義が強まっていることを危惧しており、今は日本人が「謙虚」になることが大事だと思っているのです。

日本人は明治以来、強い白人コンプレックスを抱いてきました。(日本の近代文学を注意深く読めば、戦前戦後を通じて日本人が恥ずかしいほどの「白人コンプレックス」を持っていることがわかります)。

近代日本人は、白人に追いつきたい、白人のようになりたい、白人と同じ(悪い)ことがしたいと頑張ったのですが、白人には相手にされず、中国人には馬鹿にされ嫌われて、白人と同じことはやらせてもらえず、逆ギレして無謀な戦争に突入し、破綻しました。「大東亜戦争」「白人支配からのアジアの解放」などと後付の屁理屈をつけていましたが、劣等感の反動で暴走したに過ぎません。

「白人たちがやっている悪いことを自分たちもしたい」「白人に代わってアジアを支配したい」というだけのことでした。要するに、タイの売春バーで、日本人がカッコイイ白人の兄ちゃんと女を取り合ったが、女はみんな白人が大好きで、相手にしてもらえなかったので、逆ギレして暴れだした、という構図です。

しかし、仮に白人が悪いことをやっていたからといって、日本人も同じことをして良いということにはなりません。例えばタイで、白人ツーリストが売春バーに入り浸っているからといって、日本人も買春して良いわけではない。白人が幼い少女を連れ歩いているからといって、日本人が児童買春をして良いわけではない。

悪いことは誰がやっていようと悪いことなのです。

日本人は「俺にも悪いことをさせろ」と言って世界を敵に回して乱行を働き、一度破滅したのです。アメリカの慈悲で救ってもらい、国の滅亡は免れましたが、失敗の教訓に学ぶことは絶対に必要です。だから、「謙虚」にならなければいけないのです。

それに、「格」の違いということも厳然としてあると思います。人類文明は地中海周辺(メソポタミアを含む)で生まれ、欧州に広がりました。印欧語系の言葉を話す西アジア発祥の強力な種族がその担い手になりました。文明的にも遺伝的にも、所謂「白人」は日本人などよりはるかに強力で優秀であることを認めなければならないと思います。

https://youtu.be/-E-kx0ds1zo

March 25, 2017 at 02:50PM

この動画のコメント欄を読んでみてください。
日本人の嫌らしさ、醜さ、そして頭の悪さがわかるはず。性根も歪んでいて頭が悪いんじゃどうしようもないですね。

https://youtu.be/-E-kx0ds1zo

日本人はなぜ「困っている人は助けなくても良い」と考えるのか? February 25, 2017 at 03:16PM

日本は実際は貧困率が高い。貧困に苦しんでいる人が多く、生活保護を受けている人は少ない。(OECD加盟国で)

http://ift.tt/1mPRWN6

比較の対象としてよく取り上げられるOECD加盟国だが、アジアからの正式加盟国は日本と韓国だけ。非西洋世界としては貧しいこと自体はやむを得ないかな、という感じはする。

ただ、相対的貧困というのは、その社会の中で普通の人ができる生活ができない、ということを意味するという。「自分も普通である」ことを何よりも大事にする日本人社会では、自由社会におけるよりも、相対的貧困は、深刻なストレスになるだろう。日本の社会では、いろいろな場面で、「自分も普通であること」を証明していくことが要求され、それに逆らえば、徹底的に排除されるから。

日本は、「困っている人は助けなくても良い」という考えの人が、世界で一番多い国だという。このような考え方はどこから来ているのだろう。

ヒンドゥー教国のネパールでは、今生(こんじょう)の不幸は、前世の因果だから、いま苦しんでいる人は前世の業を落としている最中であり、苦しませておいてやるのが良い、と本気で思っている人が多いようである。タイでも、「前世の因果」思想。ネパールよりもっと自己責任論に近いかもしれない。ある程度恵まれている人々は、「自分は前世でそんなに悪いことをせず、あんな真っ黒の下層民に生まれなくて良かった」と素直に胸をなでおろして終わり、という感じらしい。こんな国でもかつては左翼運動が存在したことがあったが、分離運動との絡みを除けば、原始的な「妬み」「やっかみ」の情念の噴出に過ぎない。

日本の場合は、輪廻転生思想とはあまり関係がないと思う。日本の自己責任論は、日本の文化や美意識に根ざしている。困っていてもそれを口に出さず、どうにもならなくなった所で「静かに自殺する」のを立派だとするのが、日本の美意識である。弱者は、自殺するところまでやらないと同情されない。貧困であれなんであれ、自殺ないし心中ですべて自分で解決できるのだから、困っている人を他人が助ける必要はない、ということになる。

日本の自己責任論の根底にある思想は、このように、「死の美化」だと思う。要するに自己責任論者の言いたいことは、「見苦しい境遇に陥って自力で這い出せないなら、自殺しろ。(自力で麗しく這い出てくれば美談にしてやるが)」である。福祉施設での大量殺人犯人も、良いことをしてやったと信じており、この思想に依っている。

日本の保守思想、右翼思想、国粋主義思想等はすべて、この死を美化する思想を根底にもつ。彼らが弱者に恩を着せて与えようとするのは、「死」、麗しい死、に過ぎない。右翼や愛国主義者の中に、国家社会主義的な平等主義の主張をする者がいるように見えるが、彼らの施しも、せいぜい一緒に涙を流して自殺に共感してやるよ、ということだと思って間違いない。

日本人は、無償で与える、報いを期待しないで与えるということを嫌う。与えられることも嫌うようだが、与えることを何よりも嫌う。これも日本文化である。インターネットのサービスひとつとっても、日本のものはグロテスクな広告だらけ。日本がインターネットで遅れを取ったのは、言語や技術よりも、グロテスクな営利主義が原因ではないかと思う。とにかく、見返りをもとめないで与えるということが、日本人は嫌いである。

日本文化と挨拶、日本語廃止の必要性。Telegramからの投稿です。 February 19, 2017 at 09:05PM

日本人は、モノを買ったり、お金を払ってサービスを受ける時、無言で挨拶をしないことが多い。売る側に立つとくどく丁寧な「感謝の言葉」を並べることが多いが、買う時はたいてい無言である。無言が良いと思っているようにも見える。

私は、今、海外で、モノを買う時、たいていThank youという。現在、タイのコンビニ等で、店員がムスっと無言でも、とりあえずThank youは言っておく。但し、必ず英語で言う。ネパールでもマレーシアでもそうしていた。

私も以前は無言のことが多かった。今、Thank youと言うとき心理的に手本にしているのは、マレーシア華人の知人の態度である。モノを買う時、サービスを受ける時、相手に関係なく(日ごろから嫌っていることを隠さないマレー人であっても勿論)、必ず手際良くThank youとつけている。それだけのことで、実際はドライで合理的で厳しい性格のその人が、柔らかく見え、品位を感じさせるようになる。もしもいつも言うThank youがなかったら、随分違う人間に見えるだろうと思う。

これも英語の力だと思う。英語の優れたところである。Thank youという言葉がなかったら、同じ状況で同じ意味のことは言えないと思う。Thank youという言葉があるから、可能になっている良い行いである。

日本人が日本語で「ありがとう」などと言っても、これと同じ意味を持たすことはできない。「ありがとう」といえば、ちょっとボス面して目下の者を見下すような気持ちを表すことになるだろう。「ありがとうございます」「ありがとうございました」と言えば、卑屈にへりくだって目上の人に仕える気持ちになる。つまり、日本語にはThank youに当たる言葉がない。

このことは、日本文化に、対等な立場で他者に感謝の気持ちを伝える、という要素が欠けていることを示している。他者との関係は、お互いの立場を知って初めて可能になり、しかも「対等な立場」というものは原理的に存在しない、と考えるのが日本文化の習慣である。立場の上下関係がわかって初めて人との関係が可能になる。

また、日本文化には、無条件の感謝というものが、そもそも存在しない。感謝の表現も、見返りを求めるものであり、または受益の代償である。だから、金を払う客は感謝を表現する必要がなく、買う人が感謝を伝えるのは不自然だと考えるのだ。

感謝に限らず、無条件に「与える」ということが、日本文化には存在していない。与えるときには見返りを期待するのが当然、というのが日本文化である。感謝の言葉も、見返りなしには発せられない。だから、金を払っている者がそれ以上に感謝の言葉を口にすれば、「恩着せがましい」「何か下心があるに違いない」と受け取られることになる。それが予想できるので、ますます無言になるのだろう。

日本語は日本文化と切り離すことのできないものだから、日本語を使っている以上、人と対等な人間関係を築くことはできないと思う。個人が尊重されるまっとうな市民社会を作るためには、日本語廃止が必要な所以である。

勿論、英語を話しても、心を入れ替えなければ何も変わらず、今度はその英語のほうが毒されてしまうだろう。日本人が日本文化を打ち壊し、乗り越え、「日本人でないもの」に進化しなければ、まっとうな社会、即ち一人ひとりの人間が尊重される社会は作れない。日本語廃止は、日本文化克服のための必要条件であるが、それだけでは十分ではない。

白人が優れていることは認めなければならない

https://twitter.com/RepUruma/status/801662297181540352

「白人」というより「西ユーラシア人」というのが適切でしょうが、エジプト文明に始まり、地中海の文明、メソポタミア文明、ギリシャ、ローマ、ペルシャの文明、インド文明、イスラム文明など、人類の主要な文明を作ってきたのはみな「西ユーラシア人」です。黄河文明も漢民族の文明ではなかったと言われています。いわゆる「コーカソイド」つまり西ユーラシア人が作った文明です。クメール文字(タイ文字などの原形)もインド由来の文字で、もとをたどればローマ字と同じくフェニキア文字が源流です。だから、いわゆる白人は、日本人などよりは知的に優れており、高度な文明の歴史の担い手なのです。

このようなことをツイッターに書いたら、たちまち「白人至上主義」「人種差別主義者」などとレッテルを貼る人が出てきましたが、まったく違います。その程度の区別もつけられない人が多いから、日本人は知能が低いと言われるのです。

例えば、知的障害者は知能が低い、と言うのは事実の指摘であって「差別主義」ではありません。彼は知的障害者だ、というのも事実です。頭の良い人も悪い人も、教養のある人もない人も、さらに、道徳的に高い人も低い人も、人間としての価値・資格は同じであって、公の場所では出来る限り平等に扱われるべきであり、不当な差別扱いをしてはならない、というのが「平等」の理念です。

パブリックな場所で、人を日本人か白人かによって差別扱いしてはならないが、白人が日本人より優れているのは事実です。この2つの命題は互いに矛盾しません。特に男性に関しては白人が圧倒的に優れているので、日本人女性が白人男性と恋愛や結婚をしたいと願うのは自然なことであり、まったく「差別」ではありません。

これだけのことすら理解できず、強烈な白人コンプレックスを露わにし、白人男性と交際する日本人女性を執拗に非難し、自分は正しいことをしていると思い込んでいる日本人男性がいまだに少なくないようですが、ひとことで言えば「恥」です。それは「人種差別反対」とは無関係な動物的情念の表現であり、妬み嫉みに理屈をつけただけのものです。

白人は日本人より優れており、見た目も美しい。また、白人の言語も、概ね日本語より優れています。それにもかかわらず、法的にはもちろん、ホテルやレストランなどパブリックな場所では、白人も日本人も平等な扱いを受けるべきである。これが「人種差別反対」の意味です。

とにかく、日本女性が白人男性に惹かれるのは自然なことであり、「差別」ではありません。

ネトウヨ希望の星「テキサス親父」とはこんな人。

ネトウヨによればこれが「親日」なのだそうだ。「親日」の定義は?と聞きたくなるね。「一般的にアジア人を蔑視しつつ、白人に媚びてくれる低脳黄猿は可愛がってやる白人の立場」という意味のようだ。

http://kuantan.tumblr.com/post/148545409843/必見沖縄住民を現場で嘲笑するテキサス親父こういうレイシスト白人に媚を売るのがネトウヨ

三宅洋平が安倍昭恵を沖縄・高江に連れてきて、傷つき疲れきった住民に見せびらかした件

​三宅洋平が安倍昭恵を高江に連れてきたことを擁護するやつ、というか批判者を批判するやつって、進歩的学生院生によくいる<ひねって気の利いた頭良さそうなことを言ってみたいだけ>のやつ。日本に和解できない「階級」が存在するということを認められない者は「普通の民主派」にさえなれない。

彼らお利口な学生さんたちは、三宅洋平=安倍昭恵の振る舞いを徹底的に叩く大きな怒りの表現だけが、彼らの周辺にいる者らをこの問題に「引き込む」唯一のものであることが理解できない。
https://twitter.com/Kuantanlog/status/762136171577081856
https://twitter.com/Kuantanlog/status/762136171577081856