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「本当に好きなことを見つけろ」という話 

「本当に好きなことを見つけろ」という話

なんであれ人生において成功の秘訣は、自分が「好きなこと」を見つけて、それに没入することだと言われる。寝食を忘れて没入できるようなことが「本当に好きなこと」である。成功しない人は、本当に好きなことをやっていないから成功しないのである。

この説はそのとおりだろう。自分が本当に好きなことをやっているなら、他人の評価など問題にならない。金になるかどうかも関係がない。それが大好きなのだから、金を払ってでもやる。本当に好きなことをやっている時点で、既に勝ち組である。寝食を忘れてあることに没頭していれば、そのことにまつわるスキルも身について来る。それが誰かに評価されて「マネタイズ」できるようになる可能性も高い。

この話はあまりにも筋が通っていて、誰も反論することができない。好きなことは誰にも必ずあるはずだ。それを思い切りやっていけば良いのだ。好きなことならできるはずだから。

私は、自然科学は別として、「誰も反論できない」ような理屈こそ、大嘘である可能性が高いと思っている。私は法学部出身で、理念が大好きだが、理念というものは、内心ウソが半分だなと思いながらも「それにもかかわらず」と決意して、切り捨てて打ち出すものだと思う。

生きることが本来「苦」であるなら、この世に「本当に好きなこと=無条件に楽しいこと」などあるはずがないだろう。また、「現世には価値がない」と信じる人は、「本当に好きなこと」などをこの世に見つけてはいけないはずである。お祈りに耽溺する人は不信仰者でなければならない。

「本当に好きなことを・・」という論は、上記のような考え方を断固切り捨てる立場に依る特殊な思想である。

沖縄の子供の貧困。海兵隊が子供食堂 February 27, 2017 at 02:55PM

ネトウヨは、海兵隊が好きなら、自分の地元にも来てくれるように誘致運動すれば良いんじゃないのか?

https://mobile.twitter.com/mcipacpao/status/803171059511873537

俺の立場はハッキリしていて、米軍はなるべく沖縄にいてね、東京、横須賀も自由に使って良いけど、というのが本音です。

沖縄の米海兵が子供食堂。沖縄の子供の3人に1人が貧困。日本政府が何もしないので、米軍が施しをしてくださっている。

思いやり予算をなくして日本政府が対策すべき、という批判に対し、ネトウヨがムキになって反発。

ネトウヨにも一理あるか。思いやり予算をなくしても、日本政府が沖縄の子供の貧困対策をするわけがない。日本には貧困の対策をする思想が、官にも民にも、そもそも存在しない

ハジャイではタイ式しかめっ面を見ない。 February 26, 2017 at 10:18PM

そういえば、ハジャイでは今回、タイ式の「しかめっ面」を見ていない。タイ式しかめっ面がどんなものか知らない人は2泊3日でチェンマイに行ってみれば、すぐにコレだとわかるはず。タイが「微笑みの国」だなんて悪い皮肉としか言えないが、タイを知らない人は信じてしまう。
しかし、南国で後進国で色が黒くて鼻が潰れた人が多い国だから、つまり土人国だから、皆んなむやみにニコニコしていて、おおらかで、優しいはずだ、なんて先入観は、オリエンタリズムであり、「差別」「偏見」です。
そういう偏見に乗じて、先進国向けに「微笑みの国」イメージを売春的に売り込もうとしてきたタイ自身の責任も大きいのだが。
白人ツーリストが殺到するチェンマイやチェンライの女性が、ことさらな「しかめっ面」に特に熱心なのも、「馬鹿でお人好しな土人」だと思われたくない、「私は土人じゃないんだー」という心の叫び、日々襲い掛かってくるオリエンタリズムに対する精一杯の抵抗なのかもしれない。が、タイ人自身が安易な道を選んできた結果が「土人売春国家」のブランドなのです。
タイ南部にいくほど「しかめっ面」の勢いは弱くなり、ハジャイではほぼ単なる無愛想まで希釈されるようです。

日本人はなぜ「困っている人は助けなくても良い」と考えるのか? February 25, 2017 at 03:16PM

日本は実際は貧困率が高い。貧困に苦しんでいる人が多く、生活保護を受けている人は少ない。(OECD加盟国で)

http://ift.tt/1mPRWN6

比較の対象としてよく取り上げられるOECD加盟国だが、アジアからの正式加盟国は日本と韓国だけ。非西洋世界としては貧しいこと自体はやむを得ないかな、という感じはする。

ただ、相対的貧困というのは、その社会の中で普通の人ができる生活ができない、ということを意味するという。「自分も普通である」ことを何よりも大事にする日本人社会では、自由社会におけるよりも、相対的貧困は、深刻なストレスになるだろう。日本の社会では、いろいろな場面で、「自分も普通であること」を証明していくことが要求され、それに逆らえば、徹底的に排除されるから。

日本は、「困っている人は助けなくても良い」という考えの人が、世界で一番多い国だという。このような考え方はどこから来ているのだろう。

ヒンドゥー教国のネパールでは、今生(こんじょう)の不幸は、前世の因果だから、いま苦しんでいる人は前世の業を落としている最中であり、苦しませておいてやるのが良い、と本気で思っている人が多いようである。タイでも、「前世の因果」思想。ネパールよりもっと自己責任論に近いかもしれない。ある程度恵まれている人々は、「自分は前世でそんなに悪いことをせず、あんな真っ黒の下層民に生まれなくて良かった」と素直に胸をなでおろして終わり、という感じらしい。こんな国でもかつては左翼運動が存在したことがあったが、分離運動との絡みを除けば、原始的な「妬み」「やっかみ」の情念の噴出に過ぎない。

日本の場合は、輪廻転生思想とはあまり関係がないと思う。日本の自己責任論は、日本の文化や美意識に根ざしている。困っていてもそれを口に出さず、どうにもならなくなった所で「静かに自殺する」のを立派だとするのが、日本の美意識である。弱者は、自殺するところまでやらないと同情されない。貧困であれなんであれ、自殺ないし心中ですべて自分で解決できるのだから、困っている人を他人が助ける必要はない、ということになる。

日本の自己責任論の根底にある思想は、このように、「死の美化」だと思う。要するに自己責任論者の言いたいことは、「見苦しい境遇に陥って自力で這い出せないなら、自殺しろ。(自力で麗しく這い出てくれば美談にしてやるが)」である。福祉施設での大量殺人犯人も、良いことをしてやったと信じており、この思想に依っている。

日本の保守思想、右翼思想、国粋主義思想等はすべて、この死を美化する思想を根底にもつ。彼らが弱者に恩を着せて与えようとするのは、「死」、麗しい死、に過ぎない。右翼や愛国主義者の中に、国家社会主義的な平等主義の主張をする者がいるように見えるが、彼らの施しも、せいぜい一緒に涙を流して自殺に共感してやるよ、ということだと思って間違いない。

日本人は、無償で与える、報いを期待しないで与えるということを嫌う。与えられることも嫌うようだが、与えることを何よりも嫌う。これも日本文化である。インターネットのサービスひとつとっても、日本のものはグロテスクな広告だらけ。日本がインターネットで遅れを取ったのは、言語や技術よりも、グロテスクな営利主義が原因ではないかと思う。とにかく、見返りをもとめないで与えるということが、日本人は嫌いである。

日本文化と挨拶、日本語廃止の必要性。Telegramからの投稿です。 February 19, 2017 at 09:05PM

日本人は、モノを買ったり、お金を払ってサービスを受ける時、無言で挨拶をしないことが多い。売る側に立つとくどく丁寧な「感謝の言葉」を並べることが多いが、買う時はたいてい無言である。無言が良いと思っているようにも見える。

私は、今、海外で、モノを買う時、たいていThank youという。現在、タイのコンビニ等で、店員がムスっと無言でも、とりあえずThank youは言っておく。但し、必ず英語で言う。ネパールでもマレーシアでもそうしていた。

私も以前は無言のことが多かった。今、Thank youと言うとき心理的に手本にしているのは、マレーシア華人の知人の態度である。モノを買う時、サービスを受ける時、相手に関係なく(日ごろから嫌っていることを隠さないマレー人であっても勿論)、必ず手際良くThank youとつけている。それだけのことで、実際はドライで合理的で厳しい性格のその人が、柔らかく見え、品位を感じさせるようになる。もしもいつも言うThank youがなかったら、随分違う人間に見えるだろうと思う。

これも英語の力だと思う。英語の優れたところである。Thank youという言葉がなかったら、同じ状況で同じ意味のことは言えないと思う。Thank youという言葉があるから、可能になっている良い行いである。

日本人が日本語で「ありがとう」などと言っても、これと同じ意味を持たすことはできない。「ありがとう」といえば、ちょっとボス面して目下の者を見下すような気持ちを表すことになるだろう。「ありがとうございます」「ありがとうございました」と言えば、卑屈にへりくだって目上の人に仕える気持ちになる。つまり、日本語にはThank youに当たる言葉がない。

このことは、日本文化に、対等な立場で他者に感謝の気持ちを伝える、という要素が欠けていることを示している。他者との関係は、お互いの立場を知って初めて可能になり、しかも「対等な立場」というものは原理的に存在しない、と考えるのが日本文化の習慣である。立場の上下関係がわかって初めて人との関係が可能になる。

また、日本文化には、無条件の感謝というものが、そもそも存在しない。感謝の表現も、見返りを求めるものであり、または受益の代償である。だから、金を払う客は感謝を表現する必要がなく、買う人が感謝を伝えるのは不自然だと考えるのだ。

感謝に限らず、無条件に「与える」ということが、日本文化には存在していない。与えるときには見返りを期待するのが当然、というのが日本文化である。感謝の言葉も、見返りなしには発せられない。だから、金を払っている者がそれ以上に感謝の言葉を口にすれば、「恩着せがましい」「何か下心があるに違いない」と受け取られることになる。それが予想できるので、ますます無言になるのだろう。

日本語は日本文化と切り離すことのできないものだから、日本語を使っている以上、人と対等な人間関係を築くことはできないと思う。個人が尊重されるまっとうな市民社会を作るためには、日本語廃止が必要な所以である。

勿論、英語を話しても、心を入れ替えなければ何も変わらず、今度はその英語のほうが毒されてしまうだろう。日本人が日本文化を打ち壊し、乗り越え、「日本人でないもの」に進化しなければ、まっとうな社会、即ち一人ひとりの人間が尊重される社会は作れない。日本語廃止は、日本文化克服のための必要条件であるが、それだけでは十分ではない。

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#逃げ恥 は笑わせてくれるところが上手かったから、視聴率も高かっただけだが、左側を中心に、これをネタに「論」にしようとする醜い連中が湧いているのが何とも気持ち悪い。
最終回も海賊コピーで見たが、左側の期待するようなものはなく、普通だった。
俺の感想を言えば、「小賢しい」のは良いが、非処女はやっぱり嫌だな。
非処女(中古女)と同じ屋根の下で暮らすなんて、それだけで気持ち悪い。
生活の負担になるならなおさらだ。
ヒラマサさんの選択としても、ミクリとは縁を切り、家事代行を雇うのが一番合理的。ヒラマサさんは、家がいつもきちんと掃除されているのが好きなのだし、ミクリに関してもっとも評価していたことは、食生活が良くなったことだった。
しかし、ミクリと因縁ができてしまい、執着(しゅうじゃく)から、不自由な選択を続けることにし、それを合理化する理屈を考えた。それが最終回の結論。
#tweet

ミクリは非処女

話題のTBSドラマ #逃げ恥 だが、最初のうちは笑わせてくれて面白かったが、回を重ねるごとにつまらなくなっていった。

イライラする。

女の独りよがりを、女がダラダラ書いたマンガにすぎない。(原作はまったく知らないが)

所詮ミクリは非処女。何人の男とやってきたか知らないが、男の前でアラレもなく大股を開いて、ニヤついた男に性器を舐められたり吸われたり舌を押し入れられたり、指を入れてかき混ぜられて、2本入れられてヨガり、3本入れられそうになってダメと言ったり結局3本も入れられたり、男はこの硬いのが子宮頚部かと思ったりGスポットを探ってみたり、グジャグジャの膣をとにかくかき回し嬲り倒したわけ。ミクリはそのたびにヒイヒイ声を出す。それが男にはまたたまらない。中出しだってしただろう。色んな体位もやってみただろう*。10代20代だと、カーセックスはもちろん、外でスリルを味わいながらやるのも楽しい。そんなこと、あんなことも、すっかりやってきた非処女オンナが、25過ぎて何エラそうな講釈たれているのか?

ヒラマサさんが気の毒。

ヒラマサさんは、ミクリには全然もったいなさすぎる。ミクリは、ヒラマサさんの無経験につけこんだ詐欺オンナみたいなもの。

俺が今いるネパールでも、軽い男でも、結婚する相手は、たいてい、処女からのつきあい。俺が知ってる限り、非処女の中古女とわざわざ結婚する男はいない。カトマンドゥでいくら遊んでいても、結婚する相手はちゃんとした子を自分の村やその近辺から連れてくる。これだけ文化が違う国でも、男は、結婚相手に関しては、処女であることを大いに重視する。

女の価値は、半分は処女であることだ。中古女は、精液まみれのイソギンチャクみたいなもの。ヒラマサさんのように騙されてはいけない。若い方々への忠告。

*いろんな性具を使ったりしたし、電動歯ブラシや野菜なんかも試した。

*中出ししたあと女性器から自分の精液が流れ出すのを見るのは、興味深かった。賢者モードの時とはいえ、いかにも卑猥で、珍しい光景。リスク感も悪くない。

*素人女が出す声は、素人女とやった者しか知らない独特の声。経験の浅い女だけが出す、ヒイーッと頭から上に抜けるような声。征服できた男にはそれもたまらなく良かったりする。