Category Archives: 売春

ハジャイではタイ式しかめっ面を見ない。 February 26, 2017 at 10:18PM

そういえば、ハジャイでは今回、タイ式の「しかめっ面」を見ていない。タイ式しかめっ面がどんなものか知らない人は2泊3日でチェンマイに行ってみれば、すぐにコレだとわかるはず。タイが「微笑みの国」だなんて悪い皮肉としか言えないが、タイを知らない人は信じてしまう。
しかし、南国で後進国で色が黒くて鼻が潰れた人が多い国だから、つまり土人国だから、皆んなむやみにニコニコしていて、おおらかで、優しいはずだ、なんて先入観は、オリエンタリズムであり、「差別」「偏見」です。
そういう偏見に乗じて、先進国向けに「微笑みの国」イメージを売春的に売り込もうとしてきたタイ自身の責任も大きいのだが。
白人ツーリストが殺到するチェンマイやチェンライの女性が、ことさらな「しかめっ面」に特に熱心なのも、「馬鹿でお人好しな土人」だと思われたくない、「私は土人じゃないんだー」という心の叫び、日々襲い掛かってくるオリエンタリズムに対する精一杯の抵抗なのかもしれない。が、タイ人自身が安易な道を選んできた結果が「土人売春国家」のブランドなのです。
タイ南部にいくほど「しかめっ面」の勢いは弱くなり、ハジャイではほぼ単なる無愛想まで希釈されるようです。

ハジャイ Telegramからの投稿です。 February 17, 2017 at 09:12PM

ハジャイは、まだまだマレー文化圏で、タイ臭が希薄。まだまだ甘い。
犬もたまにいるが、躾けられていておとなしい。
それでも時々出くわすタイ人特有の、白痴的で、低知能丸出しな上、根性の悪さを凝縮した表現に触れると、本格的なタイ、タイ北部に突入する覚悟ができない。
このまま飛行機か長距離バスでクアラルンプールへ直帰するのがいいのかもしれない。あるいは、パッタニとヤラくらいを回ってゆっくりマレーシアに戻っていくか。
タイ好きな連中というのは、本当にこのタイ人が好きなのだろうか。信じられないことである。
本当は、単に、タイの売春文化が好きなだけだろう。セックスだけでなく「恋愛」も手の届く値段で買えてしまうタイの売春文化。「心」まで買ってしまえば「売春」と言わないのはどの国も同じだが、その「心」の値段がタイは比較的安いのだと思う。セックス自体はいまどき日本のほうが安いくらいではないか?ネットカフェ女子の「ワリキリ」とか。

2017/02/17
ハジャイ

Telegramからの投稿です。 February 14, 2017 at 10:17PM

今日はタイマッサージに行ってきた。今その店のWi-Fiを使っている。
意外に良かった。バンコクやチェンマイより良いかもしれない。
何より、マッサージをしてくれたのがミャンマー人だった。18歳の小さな女の子だったが、指先だけのマッサージはせず、体重を使って主に手のひらや肘でやってくれたのは良かった。尖った指先を筋肉に突っ込むような、若い女にありがちなヘタなことはしなかった。
仕事中に何度も携帯電話が鳴っていた。SMSも通話もあったようだが、しかしこの子は見事に一切無視して、スマホに触らなかった。そのことが、手抜きしない真面目な仕事態度と相まって好印象だった。タイ女なら必ず電話に出ていただろう。日本なら当然電源を切れということになるが、1時間200バーツのタイのマッサージでそこまで求めるのは無理かもしれない。
若い女に薄暗い個室に連れて行かれたので、エロ勧誘があるかもしれないと思ったが、そういう気配は一切なかった。それも好印象だった。チェンマイやチェンライの店だと、健全を謳っていて実際途中までは普通にやっていても、突然抱きついてきたり、性器の上にまたがって来たりすることがあった。特殊なサービスは断るだけだが、エロと二股の人はマッサージを真面目にやらないと思う。
俺は若い頃からヨガとか仙道のマネゴトをしていて、そういう世界に関心があった。最初にタイに来たころは、タイマッサージも何か神秘主義的な奥深い技術なのではないかと勘違いしていて、足繁く通っていたものである。ノンカイで上手な人を見つけて毎日指名していたこともある。その時は男性の術者だった。男が好きだと思われていたかもしれない。そもそもタイマッサージは、そんな何か立派なものではなく、一種のムフフな風俗(日本なら風俗営業になるような形で体に必ず触れてしまう)に過ぎないという事を悟るまで、しばらく時間がかかった。上手な人もいたからだが、妙にオッパイをこすりつけてくるような人も多かった。ああいう時は、こっちも手を出して揉んでやるのが礼儀だったのだろう。そのあとは同伴外出や「ホテル出張オイルマッサージ」の約束でもするしきたりなのだろう。
カオサン近くにもタイマッサージ屋は多かった。本当に投げやりな、ツーリストズレした不快なのが多かったが、アメリカ出身の若い白人女性が働いているところもあった。その人も、タイマッサージを真面目なものと勘違いしている人だったが、非常に真面目にやってくれた。ワットポーで教わったと言っていた。
タイマッサージは、概して一種のソフト風俗または「売春の窓口」だが、中には200バーツくらいの価値はあるものもあり、術者次第である。そして、良いマッサージ師はタイ人でないことが多い。

白人のいる風景 【 犯罪】 東南アジア 某所にて 2007年4月26日撮影 [crime] White Sex Tourists in S.E.Asia

【犯罪】 東南アジア某所にて 2007年4月26日撮影 [crime] White Sex Tourists in S.E.Asia

コメントのしようがない。.

これでもまだ「東南アジアで児童買春しているのはほとんど日本人」などと言い続けるつもりだろうか。それは自虐というよりむしろ「うぬぼれ」といったほうがいいくらいである。

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いま東南アジアでこんなことをしている日本人はまずいないだろう。もちろん最近急に白人がこういうことをやり始めたのでないのは言うまでもない。

白昼堂々とこのざまである。この刺青したごろつきたちは「孤児と遊ぶボランティア」だとでもいうのだろうか。

東南アジアの児童買春は今なお非常に深刻である。かつて日本人などアジア系セックスツーリストが児童を買っていた「置屋」での児童買春の取り締りがすすみ、「子供を買っているのが白人ばかり」という状態になったことによって事態は却って深刻になっている、とさえいえるだろう。白人がやる悪事は有色人種の悪事と違い、マスメディアにさらされ強く批判されることが少ないからである。

被写体の「ココログ掲載」許可あり。

ウソだと思うなら本人たちに聞いてみればいい。

くだらない難癖つけてこないように。

つくづく思うのは、もしもこの海兵隊野郎がモンゴロイド系か黒人で、手を引かれて連れて行かれていく少女が白人だったとしたら、世の中どんな大騒ぎになっていたことだろうかということ。想像してみて。場所はヨーロッパの最貧国でもいい。

もしそのような現実があるとしたら世界中の白人メディアが殺到するだろうが、その前にただちに権力が動くだろうから(もしその国の権力が動かないときはアメリカのゲバルトが)、そのような現実がおびただしく展開するということはほとんど考えられない。

しかし、こういう(肌色逆の)写真一枚が流出したとしたらどんな大騒ぎになるか。そういう写真一枚で白人メディアは連日の狂騒を引き起こし、国際的な公的機関を動かすに十分だろう。

植民地主義時代以来の世界の枠組は今もなお健在である。

これらについて少し想像力を働かせてみれば、「人権」も、「女性の権利」も、フェミニズムも、「子供の人権」も、(子供の)「性的自由」も、なにもかも、これらのお題目は「白人の世界支配」という構造の中でのみ存在し機能しうる、白人イデオロギーに過ぎないということがわかるはずである。

(この記事はリンクフリーです)

http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2007/05/ranon_kaw_thaun_2b26.html

Ketou to dojinonna

PCBで初めてこういうの見た。このビーチ付近にこういう女はいないから、タイから連れてきたのだろう。ここは名にし負うクランタン州。警察呼ぶかな。

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クアンタンにおける「売春」

「クアンタン 置屋」で検索してくるような人もいるので、一応書いておきます。

マレーシアのクアンタンは、マレー半島東岸の町にしては、華人の多いところだと思います。少なくともここより北の東岸の町よりは中国系やインド系が多い。中華街的な一画もあり、薬種商が並んでいたり、床屋やスヌーカー屋があったりします。薬屋の前には、立ち飲みの煎薬が並べてあったりするのは、バンコクの中華街を思い出さなくもない。床屋やプールバーの奥で何が行われているのかは、立ち入ったことがないのでわかりません。立っている女性も少しはいます。声をかける人もいる。

ただ、重要なことは、マレーシアでは絶対的な供給が少ないということです。マレーシアは売春に厳しい国です。警察の取締りが厳しいのです。タイのような公然たる売春はほとんど存在しません。クアラルンプールのブキビンタンで「ジキジキジキジキ!」と叫んでいるインド人を見るかもしれませんが、その言葉は(インドやネパール経験のある)日本人にしか意味がわからないからです。取締りが厳しくても、売春が存在しないわけではありませんが、厳しい分だけ役人の取り分も多いのです。

供給が少ないうえに役人の取り分が多いとどういうことになるか。需要は確実に存在しています。比較的若い男性の中には、どうしてもという人が必ずいます。切迫した欲望に駆られている場合には、下品な表現になりますが「穴があればいい」という状況になるでしょう。そういう男性がたくさんいるはずです。しかし、供給は少ない。そうなるとどういう事態が生じるのか。

時間とお金に余裕のあるマレーシア男性は、その目的では、「タイへ行く」のが常識になっています。マレーシアとタイの間に、スンガイゴロクという国境の川があります。国境のクランタン州側はランタウバンジャンという何もない町ですが、タイ側には「スンガイコーロク」というちょっとした町があります。このスンガイコーロクがかなり悪名の高い町で、一見してそれとわかる売春宿が並んでおり、タイ北部やミャンマーの少数民族の少女の人身売買の目的地になっているとも言われます。マレーシア人男性の目的地でもあるのでしょう。

既婚のマレーシア男性にとって、パスポートに(事情のはっきりしない)タイのスタンプがあるということは、非常に都合の悪いことです。これだけで大変な家庭争議の原因になる。そこで、タイのスタンプがついたパスポートを破り捨ててしまい、紛失したとか盗難にあったと届け出る者が後を絶ちません。そういうこともあり、マレーシアではパスポートの再発行が難しくなっているということです。

話がそれましたが、もう一つ、「クアンタン 置屋」で来るような人にとって重要なことですが、需要は(切迫した需要が)確実に存在するが、供給が少ないと、どういうことが起きるかということをよく考えるべきです。誰もが必要なときにタイへ行けるわけではない。その需要は深夜に激しく燃え上がることが多い。若い男性の需要である。

簡単なことですが、一言でいえば、お化けみたいな人が多くなるということです。しかも、需要は切迫しているので、値段は高くなる。(切迫していない客はタイへ行っている)。タイより物価も高い。取締りが厳しい(賄賂が上乗せされる)ので、さらに高くなるでしょう。

町を歩いていても、一見して売春婦とわかる人は少なくありませんが、たいていは非常に太っています。薄暗い床屋に続く階段の下に身を潜めている女性も、この道何十年で悪い病気でがりがりになっているような人だったり、肉の塊に白い粉を塗ったような人だったりです。このことは、クアラルンプールの中華街でも同じです。

だから、クアラルンプールであれクアンタンであれ、「マレーシアで買春」などということは、(お化け愛好家以外の人は)、考えないことです。人に対して「お化け」というのは失礼な言葉ですが、まぁ、このような検索で来る人に理解してもらうには、ほかの表現が見つからないので、仕方がありません。

マレーシアは、結構なことに、売春の取り締まりがどんどん厳しくなっているようで、このような女性も数年前に比べると見かけなくなったように思います。

実は、最近気づいたことですが、私が3週間滞在している旅店も、半ば売春宿のようなところでした。中庭があり、向かいの列に2、3人の女性が長期滞在しています。このホテルに住んでいるようです。やはりみな太った厚化粧の女性ですが、その人たちも売春をしているようです。自分の部屋に客を入れているのかどうかまではわかりませんが、中途半端な距離でマレー人男性と出入りするところを見かけます。また、私の隣の部屋はいつもしまっています。私は、だいたい夜10時ごろに寝るのですが、12時や午前1時に目が覚めることがあります。トイレに行こうとして部屋の外に出ると、隣の部屋の扉が開いていて、中に色白の華人女性がいて、何かわめいている。そして、廊下には、薄汚い感じのインド系やマレー系の比較的若い男性が2,3人、しょぼんとした感じで佇んでいる。順番に待っているようなのです。(つまり、それだけ供給不足、需要過剰なのです)。そんなことが何度かありますが、こちらも耳栓をして寝ているし、寝ぼけているのでよく見ません。同じ女性が毎晩同じ部屋に来て仕事をしているようでもあります。私が寝る10時ごろまでは何の物音もしません。

そういうわけなので、マレーシアで買春とか考えないことが肝心です。マレーシアに限らず、東南アジアへの買春旅行は、恥ずかしいことなので、やめてほしいと思います。

 

 

 

 

性奴隷と日本の「淳風美俗」

従軍慰安婦が日本軍や日本の官憲の「強制連行」でなかった、というか、慰安婦に関する朝日新聞の報道が嘘だったことを朝日新聞が白状したことで、右翼たちは大喜びしているようですが、欧米人から見れば、そんなことは何の特別な意味もないことであり、彼らの日本に対する見方が変わるわけではありません。「強制連行」がなかったということは、韓国や福島みずほ氏にとっては痛手ですが、欧米の日本に対する評価には何の影響も与えません。日本人が悪いことをしていたという事実、日本人は今も反省がなく、今も悪いことを実は続けている、という事実。この認識を欧米は断固としてもっています。アメリカ国務省が、日本の女子高生売春を人身売買だというのは、ふざけているのではなく、彼らの真面目な認識です。女子高生売春の話は極端だとしても、この欧米の認識は根拠のないものとはいえません。

いまさら言うまでもないことですが、日本においては、売春は常に人身拘束と不可分なものでした。小作人が凶作やデフレで小作料を払えなければ借金しなければなりません。娘がいれば前借り金で拘束された「年季奉公」に出すことになります。娘がいるなら娘を「売る」べきだ、というのが日本では当然の「義務」でした。親(親権者)が法定代理人として契約する、契約の効果(権利義務)は未成年者本人に帰属する、つまり親が売るわけですが、人身売買に変わりはありません。風俗産業における事実上の人身売買は今でも続いており、たとえば「吉原」で売春している人が本当に「自由意志」で働いているなどというのは事実に反したことです。彼らの大部分は今でも事実上の性奴隷であり、嫌でも逃げられない人々なのはちょっと想像してみればわかるはずです。オカルト右翼(「日月神示」関係者)のブログに次のような記述を見つけましたが、これが日本の保守層の常識水準なのでしょう。

日本軍が強制的に慰安婦として連行したというのと、自分から仕事として慰安婦になったのでは180度違うわけです。歌舞伎町や吉原の風俗店で働いている女性は、自分の意志で働いているのであって、強制連行されたわけではないことは、誰でも知っています。http://blog.goo.ne.jp/hitsuku/e/6b1c8998e6bc3c554cf9abe9b4ef8d0f

「誰でも知っています」と言い放つこの感覚が問題でしょう。欧米人が問題にしているのも、日本に土着しているこの感覚だと思います。我々はあいかわらず何の反省もなく変わっていません、とわざわざ言っているようなものです。

右翼はよく、売春は戦前は合法だったのだから問題ないとか、戦前は普通のことで、現代の感覚で判断してはいけない、などといいます。このような言い訳をすればするほど、彼らは不利になることがわかっていないようです。

戦前、「禁足制度」を伴う公娼制度の廃止は、我が国の「家族制度」「淳風美俗」を害する、と大まじめに主張する愛国者たちがいたのですが、慰安婦問題で「日本は悪くない」と言いつのる人々は、自分たちはこのような愛国者たちの後継者だと主張しているようなものです。「禁足制度」を伴う日本の公娼制度は国際的な基準からかけ離れたものである、という認識は、戦前にも存在したのです。1935年に書かれた戸坂潤「日本イデオロギー論」(八 復古現象の分析 ――家族主義のアナロジーに就いて)より。

….内務省は一九三五年の四月を期して全国的に公娼廃止を断行することに決定したと伝えられる(実は四月には断行されなかったが)。すでにこれまでに、秋田・長崎・群馬・埼玉・の各県では、公娼廃止即ち遊郭廃止が実行されている。前年警視庁では公娼制度に固有な禁足制度を撤廃し、同時に自由廃業の実質的な自由を多少とも尊重する方針を取ったが、之は内務省の今の方針の先触れをなすもので、天下の大勢がどうやら廃娼の必然性に帰着したように見えることは、否定出来ない事実だ。

….今日まで廃娼運動が目標として来た直接の目的は、婦女子児童売買乃至一般に人身売買と、それに当然伴わなければならぬ人身抑留とを、国家が法的に保護の責に任じるという、所謂文明国では非常に珍らしい公娼制度につきている。

…併し注目すべきことは、これよりしばらく前、二千名の全国貸座敷業者が、やはり同じ趣旨に帰着する処の存娼大会を持ったという事実である。処がその発表された宣言が今何より大切なのである。
曰く「西洋文明に心酔せる為政者識者が、徒らに国法無視の私娼を奨励して、国法に準じ家族制度を尊重して永き歴史を有する貸座敷業者を圧迫することは、将来救い難き禍根を淳風美俗のわが国家社会に残すものとして絶対反対す」というのである。之は決して楼主達の与太気焔ではない。全く彼等の生活の叫びなのだ。そればかりではない。例の娼妓愛好家の議員達の云いたくて流石に云い切れなかった一点を、極めて率直に勇敢に云って退けたものに他ならないのだ。私は議員達の大半が楼主達に買収されたとは到底考え得ない。それから実を云うとまさかそんなに愛娼家揃いだとも思わない。するとつまり彼等天下の選良達は、公娼制度がわが日本の「家族制度」と「淳風美俗」とかから離れることの出来ないものであり、いやしくも之を疑う者は之即ち「西洋文明」の唯物思想(?)に他ならぬ、と私かに信じているものと見做す他はあるまい。….

….つまり公娼制度の必要は、わが国三百年来の、否三千年来の、淳風美俗たる家族制度から結論される一結論だというわけである。処がこの滑稽な哲学は、案外一部識者の手近かな常識と縁遠いものではないのではないかと私は思う。無論こうした馬鹿げた常識(?)は、そのものとしては取るに足りないが、併しこうした馬鹿げた気分の動きが、案外思わぬ処で、民族精神の或る一つの秘密を告げているということが大切である。
公娼制度の問題は大にしてはその本質に於て無産者農民の桎梏の問題だが、之とつらなる家族制度の方は、抑々日本民族生活の本質なのだと今日主張されている。だから例の貸座敷業者の亭主達は、決して馬鹿に出来ない民族主義的社会理論の一端を本能的につかんでいるわけなのである。その成否はとに角として、存娼運動は、現在日本に於ける、復古観念の単に最も色情的な一表現に他ならないのだ。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000281/files/3596_39403.html