Category Archives: 人権

8月6日に

​原爆を落とされた被害者だということは、天皇をはじめとして(天皇が被害者のわけがないが)しつこいくらい言われてきた。しかし、日本が調子が良かった頃から(心にゆとりがあった頃から)日本人の加害の歴史については殆ど語られず学校でも教わらなかった。今「そんなハズはない」となる原因。

日共はよほど与党になりたいんだろうね。沖縄へも行かず、民進党は批判せず、鳥越を担いだことへの当然あるべき内部批判は封殺。蓮舫でも尻馬に乗るのか。民進党の存在意義はないが、日共の存在意義もやはりまったくない。

日本人は理性も何もない愚民なので、憲法なんかちょっとでも手を付けたらどこまででも行くよ。憲法知識も全くないので憲法廃止まで突進するだろう。日本人はどっちみち自滅するしかない民族。賢い人は愚衆を変える虚しい努力はやめて自分が日本人でない者になる努力をすべき。

理性のない日本人を矯正してくれるのは外力しかない。その意味で米軍が駐屯していてくれることが最後の歯止め。少なくとも彼らはキリスト教徒。沖縄の基地を内地で引き取って主要都市に置くのが歯止めとして有効。沖縄に日本人への歯止めとしての米軍基地は要らない。

ネトウヨが「外国人と日本人が同等な権利なんてありえない」と書いていたが、これが間違い。人権は普遍的なものだから権利は平等が基本。権利を制限する(国籍による差別をつける)方がその合理性を立証しなければならない。「日本は日本人だけでない」は至言。これを明言できない自称進歩派は偽物。

「日本は日本人だけのものではない」は至言。このことを明言できない自称リベラル・自称人権派・自称進歩派はすべてニセモノ。@Kuantanlog

https://twitter.com/Kuantanlog/status/761722870137360385

インドネシア、出稼ぎメイドの斬首刑でサウジに抗議

サウジアラビア―変わりゆく石油王国 (岩波新書 新赤版 (964))

親日指数世界一の国! インドネシアで快適に滞在するにはコツがある (B&Tブックス)

サウジ男がインドネシア人メイドを強姦するのは毎日のこと。サウジ男がメイドを殴り殺しても無罪だろう。妻を殴り殺した男が、裁判で平然と「教育のためにやった」と弁明して通る国。サウジほど悪党な国も世の中に少ないと思う。

マレーシアでもサウジから来ている観光客のマナーは非常に悪い。マレー役人は白人にも媚びるが、当然のようにサウジ人に媚びる。私は、KLCCでサウジ男にいちゃもんを付けられてトラブルになったことがあるが、私だけ犯罪者扱いされ、地下の「万引き懲らしめ室」に連行された。それ以上のことはなかったが、万引き懲らしめ室では、万引き犯が被害者に跪いて足に接吻したりして謝っていた。そういう地下室に連行された。単なる口喧嘩だが、サウジ人の方は最初からお咎め無し。私だけ犯人扱いだった。サウジ女も非常にたちが悪い。マクドナルドやケンタッキーで横入りというより、最前列に割り込むのは当たり前。それがサウジのルールらしい。マレー人もそれを許容している。

白人も列への割り込みをやるが「良くないことだが、俺は白人だから許される」という意識でやっている。サウジアラビア人の場合は「割り込みは良くないこと」だとまったく思っていない。どちらがいいとも言いがたいが。とりあえず、スンニ派はクズ。

インドネシアのスシロ・バンバン・ユドヨノ(Susilo Bambang Yudhoyono)大統領は23日、サウジアラビアで雇い主を殺害したとして有罪となったインドネシア人メイド(54)が斬首刑に処せられたことについて、サウジ政府が国際関係上の「規範と礼儀」を破ったと国民に向けたテレビ演説で非難し、「最大限の抗議」を行うと述べた。

via インドネシア、出稼ぎメイドの斬首刑でサウジに抗議 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News.

イスラム教徒として言おう。「言論の自由」原理主義者の偽善にはもう、うんざりだ | Mehdi Hasan

はっきりさせておこう。ジャーナリストや漫画家を撃ち殺すことに正当性は一切ない。それは私も同意する。だが、人の神経を逆撫でする権利に責任が伴わないという主張には、私は同意できない。神経を逆撫でする権利は、逆撫でする義務になるわけではないのだ。

via イスラム教徒として言おう。「言論の自由」原理主義者の偽善にはもう、うんざりだ | Mehdi Hasan.

シャルリーエブドが襲われたのは自業自得だと思います。

Before Charlie Hebdo: French Terrorism During The Algerian War (English Edition)

私はシャルリーエブドほど悪趣味ではないので、挑発してアクセスを稼ぐためにこういうことを書くのではありません。

ここ2,3日ツイッター等でいろんな人の意見を見たり、マスコミの評論を読んだりして、自分なりに考えてみましたが、やはり自業自得だと思う。シャルリーエブドがどういう漫画を載せていたのか(漫画というものはもっと高尚なものなのでCartoonというべきかもしれませんが)もよく見たほうが良いと思う。

「表現の自由」などの自由権は、基本的に、個人と国家の関係を律するものです。新聞社や出版社が役所の検閲を受けたり、発禁処分を受けたり、記者が拘束されたりした場合には、シャルリーエブドであろうとなかろうと、言論表現の自由の明らかな侵害になります。

しかし、言論の自由もその他の表現の自由も(シャルリーエブドのは「言論」ではないと思いますが)、「大方の顰蹙を買わない権利」や、「人を怒らせない権利」、「第三者の怒りからも自由でありうる権利」までは保障していません。

人権規定が私人間にも適用されるかという問題は、憲法学の専門的な議論であり、私がここで正確に述べることはできませんが、基本的には自由権は私人間には直接は適用されません。

「自由に喋らない」「勝手なことを言わない」という契約も、内容次第では有効です。そういう職場はいくらでもあるはずです。ただ、その契約の内容があまりにも行き過ぎていて、人権の本質を無にするようなものである場合には、「公序良俗違反」としてそのような契約は無効になることはあります。また、言論が民事上の不法行為とされる場合もいくらでもあります。刑事罰の対象になる場合もあります。刑法の名誉棄損罪や侮辱罪、民事上の名誉毀損によって不法行為責任を問われることは、憲法の表現の自由の保障に反するものではないと解釈されています。これは日本に限らないことです。

要するに、シャルリーエブドには「表現の自由」があり、フランスの役所や警察によって検閲されたり発禁処分を受けたり記者を逮捕されたりしない権利はありますが、「第三者(国家とシャルリエブド以外の者)の怒りを買わない権利」はないし、第三者の感情を害したことについて法的な責任を問われることもありうる、と私は信じます。フランスの法制がどうなっているか知りませんが、私の人権思想においてはそう言えるということです。

もちろん、人の怒りを買ったとしても、殺されなければならないということはありません。怒ったとしても、人を殺すことが違法であることは明らかです。みだりに生命身体を害されないということも基本的人権の基本中の基本です。だから、テロ犯の行為が悪いことであり、違法であることは言うまでもありません。しかし、そのことは、シャルリーエブドの言論の自由とは関係のない、別問題です。人を殺したものは、処罰されなければなりません。それは、殺された人が誰であろうと同じことです。ジャーナリストを殺したから通行人を殺したよりも罪が重い、というようなことがあったとしたら、それこそ平等原則に反するでしょう。

テロ犯の行為は明らかに「不正義」ですが、だからといって被害者側になんらかの「正義」があったわけではなく、そのように推定される理由もありません。

表現する者は、自分の表現の影響力を自覚すべきでしょう。もちろん、それは法的な義務ではありませんが、事実上の責任です。

シャルリーエブドにはどんな表現の自由もありますが、相当の影響力を持つメディアでありながら、ことさらある人々を刺激し彼らの怒りをかきたてることが明らかな表現をする以上、違法なものであれ現実に怒りの噴出を、報いとして受けることがありうることは、覚悟すべきだったと思います。

繰り返すと、シャルリーエブドには表現の自由があります。しかし、その表現による人の怒りを抑えつける権利はありません。シャルリーエブドの表現に怒る自由も万人に保障されています。これも思想の自由、表現の自由です。その怒りを「殺人」という形で表現することは違法です。ただ、現実には、違法な報復がなされる可能性は高く、それは容易に予測できたことです。

私も、もし実名と住所を晒しているなら、「天皇一族を処刑せよ」どころか「天皇制を廃止せよ」とさえ書かないでしょう。それは卑怯だからでなく、むしろ節度です。身元を晒してする発言は、匿名の発言より影響力が大きくなります。私はそうすることが正しいと信じていますが、社会人としてそういう発言をする以上は相当のリスクを覚悟すべきなのは当然だと思うからです。

名誉毀損―表現の自由をめぐる攻防 (岩波新書)

生活保護「現物支給」を主張する者は、「住居」「タバコ」「酒」「本」をどう考えるのか

低所得者に対する支援と生活保護制度 第3版 (社会福祉士シリーズ 16)

まず「住居」ですが、彼ら「現物支給」論者は、「限界集落」に「救貧院」を作って押し込めろ、ということを平然と主張しています。

現在でも、居住者がほとんんど生活保護受給者ばかりというアパートは存在していますが、彼ら現物支給論者の主張は、生活保護を求めるような者には憲法22条の「居住、移転、職業選択の自由」を認める必要がなく、保護の条件として公権力がいわばゲットーに押し込めても構わないということです。つまり、彼らはそういう思想の持ち主だということ。なお、職業についている場合にも、収入が生活保護基準を下回っている場合は生活保護による補填を受ける権利があるので、「限界集落の救貧院」に押し込めるということは、貧者の職業選択の自由も「保護」と引き換えに奪って良いということになります。国民年金(6万円)の場合も同じ。

「救貧院」など作ったら、その場所だけでなく、その周辺も、「特殊な地域」ということになるでしょう。日本だということを忘れてはならない。千年祟る新たな「部落問題」の原因を作るようなものです。救貧院経営の効率性を考えると

次に、タバコと酒ですが、私はタバコも酒もやらないし、タバコは大迷惑なので日本中の人がやめてくれれば良いとは思っているのですが、現物支給論者は、これも現物で支給せよというのでしょうか。あるいは禁止しろということでしょうか。ニコチン中毒やアルコール中毒は医療の力で治療すべきでしょうが、それに至らない「嗜む程度だが必要」な喫煙や飲酒にはどう対処するのか。医者にニコチンとアルコールを処方させろとでも言うのか。通常の喫煙や飲酒は、憲法13条の個人の尊重に関わるものであるし、25条の「健康で文化的な最低限度の生活」の範囲内とも言えるでしょう。

「許容しうる」のタバコと酒の量を決めて、お上がこれを現物支給すれば良いというのか。そうなると、酒もタバコもやらない人間は、その分損をしているということになります。自分は酒もタバコもやりますと申告して、現物支給を受け、横流しをしたほうが良い、となるでしょう。そのようなルートは必ずすぐにできます。

「本」はますます問題です。読書をする権利は、13条の個人の尊重に関わり、25条の「健康で文化的な最低限度の生活」に文句なく含まれるものですが、これも現物支給しろというのでしょうか。図書館で借りて読めとでもいうのか。しかし、まともな図書館は大都会にしかない。救貧院に押し込められていて交通費も支給されないのでは図書館に行くこともできない。また、常に手元において線を引いたり書き込みをしたりしながら読みたい本についてはどうするのか。お上に申告して書籍の現物支給を受けなければならないというのは、思想の自由の侵害にほかなりません。

世の中の現物はほとんどお金で買えますが、現物の大部分もお金に変えることができます。公的な現物支給が始まればますますお金に替えやすくなる。江戸時代の米使いの経済みたいなものですが、闇経済が大きくなるだけだろう。

生活保護の現物支給論者のポイントは、財政とかなんとかではなく、憲法13条の規定している個人の尊重、個人の自由がイデオロギー的に嫌いでたまらない、貧乏人どもが自由な生活をするのが気に入らない、ということにすぎません。彼らは自分の全体主義的な思想(ないし思想傾向)の表現として「生活保護現物支給」を唱えているだけです。

How to 生活保護【生活保護法改定対応版】―申請・利用の徹底ガイド

【衝撃事件の核心】誓約書に「死んでも責任問わない」 フィリピン人女性が提訴した〝ブラック〟?介護施設の実態(1/3ページ) – 産経WEST

【衝撃事件の核心】誓約書に「死んでも責任問わない」 フィリピン人女性が提訴した〝ブラック〟?介護施設の実態(1/3ページ) – 産経WEST.

従軍慰安婦 (岩波新書)

週刊 金曜日増刊 特別編集 従軍慰安婦問題 2014年 10/29号 [雑誌]

日本人というものは、今でもこういうことを平気でやる国民なので、戦時中の従軍慰安婦強制連行や戦場レイプなどは、なかったと考えるほうがどうにかしています。日本人が非常に残忍な民族であるということを、よく認識すべきです。また、その民族性の頂点にいるのが天皇だということも忘れてはならない。天皇制を廃止すれば多少の変化はあると思います。天皇明仁のキレイゴトのウソを許してはならない。

プライバシーについて

社会的な重要性、つまり地位や資産のない個人(例えば私のような)には、「プライバシーの権利」は実質的な意味をもたない、と思い込んでいる人が案外多いのではないだろうか。

しかし、実際には、どんなに社会的な重要性のない(「価値のない」)個人の情報も、日本国民であれば、利用できることがあるようだ。つまり、犯罪に利用できる。その道の人の手に渡れば、ニセのパスポートや身分証を作ったり、偽名義の銀行口座を作ったりできる。

だから、プライバシーを満載したパソコンやスマートフォンは安易に廃棄してはいけないと思う。削除というのは上書きに過ぎないし、フォーマットしたくらいでは、プロの手にかかればそこにあった情報を再現できるそうである。

パソコンやスマホを捨てる(または譲渡する)ときには、メモリー部分を物理的に破壊すべきなのだろう。

プライバシー大論争 あなたのデータ、「お金」に換えてもいいですか?

世の中の(あまり教養のない)人々の中には、「プライバシーの権利」と「パブリシティ権」の区別がついていない人も多い。

かつてニフティのココログ担当者が、(私のブログによる)「一般人の肖像権の侵害の疑い」に関して「パブリシティ権」を持ちだして論難してきたので失笑したものである。タイなどで売春婦を連れ歩いている白人男の「肖像権」についてである。

日本独特の底辺ポピュリズムブログの代表格とも言える「ネットゲリラ」(山田博良)も、「顔がカネにならない一般人には肖像権なんかない」と、無教養丸出しなことを何度も書きたてていたものだ。これも「プライバシーの権利」と「パブリシティ権」との区別がついていないからだが、それ以前に、この山田という人間の、「個人の人権」(個人の尊重)という基本的な観念についての絶望的な無理解が伺われる。要するに「百姓」(またはそれ以下)ということだ。