Category Archives: ダラン

ヒマラヤ・グリーンティー

砂糖はつかない。客も皆、砂糖を入れずに飲んでいる。グリーンティー20ルピーという良心価格。(100ルピーを覚悟していた)。ダランで。リンブー族の店。

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お湯を入れたポットをつけてくれる。2煎目を飲むため。この辺はトゥンバと同じ発想か。

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ダランからカカルビッタ、シリグリを経て、コルコタ着。2

ダランのNava Yugホテルの前の道をバスパークの方へ歩き、四つ角を左に曲がったところの、向かいに警察署がある辺りに、カカルビッタ行きのローカルバスの発着場がある。その近くにはWi-Fiのあるカフェもある。

5月25日午前7時40分頃、カカルビッタ行きのバスに乗り込んだ。ローカルバスはポンコツで、バサンタプル発ダラン行きのバスよりもボロい。乗り心地は悪く、トイレ休憩もない。8時きっかり発。カカルビッタまで200ルピア。

ダラン近辺では外人扱いされることは少なかった。自分と似たような顔立ち、肌色のネパール人は珍しくないし、同じような(センスの)服装をした人も多い。若い女性はカトマンドゥよりおしゃれな人が多いと思う。

11時ちょうどに(きっかり3時間で)カカルビッタに着く。聞いていたより早かった。

バスを降りるとすぐに路上両替屋が寄ってくるが、違法である。ネパールルピーで「大金」を持っていたので、格子のある店を構えている両替屋でインドルピーに両替。レートは固定で、1インドルピアが1.6ネパールルピアだが、0.04コミッションが付いて、買いレート1インドルピア=1.64ネパールルピアだった。

両替屋の隣に前記事のバウンの旅行代理店があり、シリグリ発コルコタ行きのノンエアコン「デラックス」バスのチケットを買う。インドルピアで700ルピー。前記事に書いた通り、シリグリまで同行してもらう。

シリグリの旅行代理店の前がコルコタ行きバスの発着場で、旅行代理店の前で自分の荷物の番をしながら、7時半まで待たなければならなかった。

カカルビッタからインド側に入って目についたのは、マオイストの存在感。ネパールではすっかり影が薄くなったが、インド側では健在のようである。ハンマーと鎌の赤旗があちこちにあり、「CPI(M)」(インド共産党毛沢東主義派)という文字も目につく。

もう一つ新鮮だったのは、鉄道があったこと。国境を越えるとすぐに鉄道がある。ネパールにはないものである。

インドのチヤ(チャイ。シリグリではチヤで通用した)の量の少なさと高さと不味さにも驚いた。高さ3センチぐらいのプラスチックの使い捨てカップで1杯5インドルピアもする。まずい。売り物とは思えないものだった。チヤはバサンタプルが美味い。特にマデシの菓子屋のチヤ。

ムスリム女性の姿も久しぶりに見かける。

シリグリの空気は悪くなかった。すでにベンガル気候なのか、地面は汚いが、空気はネパールのように埃っぽくはない。

ダランからカカルビッタ、シリグリを経て、コルコタ着。1

シリグリからコルコタまでの夜行バスが大変だった。カカルビッタで買ったシリグリ発コルコタ行きのノンエアコン夜行「デラックス」バス(Green Line)で、所要15時間。夜は肌寒いくらいでエアコンは要らないが、デラックスとは言い難い座り心地。ローカルバスに毛が生えたようなポンコツだった(外から見ると結構立派に見える)。A1という特等席にしてもらったが(隣席はない)、足は伸ばせない。リクライニングシートだが、十分に倒したら後ろの席の人が潰れてしまうので、押し返されて倒せない。首もたせも十分でなく首が痛くなった。3回ぐらい休憩があった。

2階席にベッドシートがあったが、バサンタプルで聞いた限りでは評判が良くなかった。カカルビッタの旅行代理店でも勧められなかった(満席だったのかもしれない)。

カカルビッタの旅行代理店は、外部スタッフらしいインド人が国境越え(ネパールのイミグレからインドのイミグレまで距離があるのでリクシャが必要)、国境からシリグリまでのローカルバスに同行し、代金も請求しなかった。すべて込みで、コルコタまで700インドルピア。シリグリからコルコタまでのバス代金は500ルピアとチケットにあったから、シリグリまでの付き添いを考えれば妥当な代金だろう。シリグリまでのローカルバス所要時間は1時間半くらいだった。

カカルビッタの旅行代理店はSharmaとあったからバウンだ。そこの息子らしい若造は、非常に態度が横柄で、ネパールのバウン特有の人を馬鹿にしきった態度が顕著だった。しかし、シリグリまで付き添ってくれたウッタルプラデシュ出身のインド人の男は感じの良い人だった。

5月25日午後7時半にシリグリを出発して26日午前10時半にコルコタのバスパーク着。声をかけてきたタクシー運転手にすべて任せて、ホテルの部屋を探してもらい、言い値で払う。タクシー代150インドルピア。開いている部屋がなかなか見つからないようで、あちこち電話をかけていた。コルコタ出身のベンガル人だった。New City Hotelというところに、物置のような天井の低い部屋(トイレ、シャワー、電気、テレビ付)を見つけてくれたので、そこに入る。990インドルピアだとか。周囲はスラム街っぽい。フロントでWi-Fiが使える。

地図もガイドブックもないので、ここがどこなのか見当もつかない。Googleマップは通信環境が悪いと使い物にならない。

バサンタプルを出る。ダラン着。

今朝6時のバスでバサンタプルを出た。ちょうど2か月(と1日)バサンタプルに滞在した。ネット環境が悪く、車が多くなって砂埃が立つようになり、さすがに終盤は退屈したが、自分のアパートでもあれば何か月でも籠もっていられるかもしれない。

午前2時に起きて、停電で真っ暗な中をアンナプルナホテルの裏木戸を開けて外に出て、ブルケダラの水場まで行き、全裸になって冷水浴をした。外は寒く、風も吹いていたが、水を浴びている間は寒く感じない。裏木戸の錠前は予め頼んで開けておいてもらった。

町並みはどんどん変わっていくが、ローカルバスは相変わらずポンコツで、乗り心地が悪い。ダランまで5時間。280ルピー。

途中で何度も休憩し、バス停などない所で客を乗せたり降ろしたりしながら、午前11時きっかりにダランのバスパークに着いた。標高2200メートルのバサンタプルから標高400メートルほどのダランへ5時間かけて降りたのだが、最後の1時間で1000メートルくらい高度を下げた。

バサンタプルからヒレまでの2時間が一番長く感じた。道が悪いからだろう。バサンタプルとヒレの間にあった小さな宿場が大きな町になっていた。ヒレは10年前の面影は全くなくなっている。(グーグルマップではHileが「ハイル」となっているが、ヒレである)。バサンタプルに住んでいたある若い亡命系チベット人女性(ヤンジ)は、「ヒレはタマンが多いから嫌いだ」と言っていた。一見同じように見えるチベット仏教でも、タマン族のチベット仏教とシェルパのチベット仏教とは別物らしい。宗教的に近いからかえって嫌いということもあるのかもしれない。タマンは洗練された感じのする人が多く、美男美女が多いが、シェルパ(東部のチベット人のことである)はゴテゴテした顔の人が多い。ヒレには何とも言えないトゥンバのオブジェができていた。

ダランは当然ながら暑い。町はすっかり変わってしまって、バスパーク、クロックタワー付近を除けば、数年前の面影はない。芭蕉のいっぱい生えたドブ川沿いに数件あったローカル茶屋は全滅していた。大きなスクティを作っていたタマンの店も見当たらない。若い女性の姿はカトマンドゥより洗練されていてオシャレである。暑いせいか、ネパールで数年前まではほとんど見なかった、「スカートに生足」の若い女性も見かける。

数年前まで時々泊まったNava Yugホテルに入る。シングル、バスルーム付、外窓なし、の部屋が700ルピー。600に負けてもらった。Wi-Fiなどはない。(今はバスパーク近くのカフェで書いている)。

ダランに来て、日本を出てからずっと起きていなかった「自分の声が右耳に響く症状」が再発した。疲れたせいか、気圧の変化のせいか。

ダランはそんなに面白いところではない。ヒマラヤ・グリーンティーというお茶屋が目を引いた。砂糖を入れない。ローカル客に人気のようだった。客のマナーはネパールだが、カーストを問わずみな砂糖を入れずにお茶を飲んでいた。東南アジアよりは進んでいると思う。東部ネパールならではの店だろうか。店主はリンブー族だった。写真を上げる予定。

ダラン

ダランはネパール東部の中核都市の一つ。カトマンドゥからヒレやバサンタプルに行くにはここでバスを乗り換えるのが普通(ヒレへの直行バスはあったかもしれない)。バサンタプルの「ヤクホテル」は、町の他のロッジに比べて食事が断然うまかった。特にコメがほかと違っていた。聞くと全部ダランから仕入れているという。ダランは、もちろん、カトマンドゥよりインドに近い。バサンタプルからはバスで半日の日程。バサンタプルからダランまでの間にバンダ(ゼネスト。各種政党や地域勢力による道路封鎖・占拠)があることも。バンダの時は、バスが元気な人たちに乗っ取られていたり、バスの運転手がお金を払って通してもらったり(その分なぜか私に請求されたことがあったが断るとすぐに引っ込めた)、兵隊が地域勢力の人たちと話し合いをしていたり(「なぜ実力行使しないのか」と聞くと、これが我が国の習慣だからとか説明する人もいた)、いろんな場面に出くわした。カトマンドゥからバサンタプルまで行くのは大変である。

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2009年2月。


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ネワール

ネワールはカトマンドゥ盆地の先住民族とされ、カトマンドゥを中心に、バクタプール、パタン(ラリトプル)、キルティプルなど、独特の都市文明を築いています。言語的にはビルマ語系らしいですが、血統的には多様で、いろいろな容姿・肌色の人がいます。バウン、チェトリを中心とするいわゆるアーリア系民族に征服された、ということになっていますが、今でも大地主や金持ちが多く、ネパールの有力な勢力のようです。アーリア系のヒンドゥカースト秩序から見れば、ネワールは一括して「バイシャ」になるのでしょうが、ネワール内部にも複雑なカースト制度があり、バジラチャリヤ、シャキャ、カルマチャリヤなどが上位カーストのようですが、アーリア系と同じシャルマSharmaというカーストもあります。ネワール内部にもヒンドゥ色の強いカーストと仏教色の強いカーストがあるようで、非常に複雑でわかりにくいです。バジラチャリヤは仏教系の神官カーストです。よく出会うのはシュレスタ(スレスタ)というカーストですが、ネワール内では中の上くらいかと思います。独特の様式美をもつ都市を作って集住する習慣があり、ネパール東部の丘陵地帯にもネワールが集住する都市があります。ネパールの東の果ての山の中の何もない交通の便も悪いところに、小さいながら洗練されたネワール都市が忽然と現れるのはちょっとした驚きです。

ネワールの子供。田舎では、タマン族に近い印象を受けます。どちらも豊かで、洗練されていて、美男美女が多く、他のカーストからやや敬遠されているような・・・(嫌われていたり、嫉視されていたり)。タマンとの混血も多そうです。
チョウキで。
2008/5/16
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2008/4/19
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ダランで。
2008/5/11
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こんな感じの地域に・・・・、
2008/4/24
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突然、こんな洗練された都市が現れる。チャインプールです。こんな静かな街(村)に、Western Union Money Transferなどがあるのはカネを持っている証拠。この辺りの他の街にはありません。
2008/4/22~23
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話せるネワール語会話―ネパールの民族語