牧師の説教とは随分違う

東方正教会司祭の説教より

http://ift.tt/2mDQkiW

牧師の説教とは随分違う。
以下一部引用。

>
神が存在するということ、神の子が処女の胎から人として生まれたこと、十字架による罪の赦し、ハリストスの復活、教会に溢れる聖神の恵み、ご聖体が主のお体や血であること、再臨と最後の審判、こんな途方もないことをさらりと「信じられる」と言えるとしたら、その人は嘘つきか病気、また宗教を「商売」にしている人です。そうでなく、「信じられないこと」を潔く認めた上で、それでも「信じる」ことを「不退転の決意」として決意し、そこに人生の一切を、生も死も、ゆだねきる、即ち「信じる者になる(イオアン20:27)」、これが信仰です。「ハリストスというお方を己の人生に迎え入れる、そうすれば俺は新しい自分によみがえることができる」、そう信じる生き方に躍り込む、そこから信仰は始まります。スイッチを入れるのです。

Leave a Reply

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out / Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out / Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out / Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out / Change )

Connecting to %s