日本人はなぜ「困っている人は助けなくても良い」と考えるのか? February 25, 2017 at 03:16PM

日本は実際は貧困率が高い。貧困に苦しんでいる人が多く、生活保護を受けている人は少ない。(OECD加盟国で)

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比較の対象としてよく取り上げられるOECD加盟国だが、アジアからの正式加盟国は日本と韓国だけ。非西洋世界としては貧しいこと自体はやむを得ないかな、という感じはする。

ただ、相対的貧困というのは、その社会の中で普通の人ができる生活ができない、ということを意味するという。「自分も普通である」ことを何よりも大事にする日本人社会では、自由社会におけるよりも、相対的貧困は、深刻なストレスになるだろう。日本の社会では、いろいろな場面で、「自分も普通であること」を証明していくことが要求され、それに逆らえば、徹底的に排除されるから。

日本は、「困っている人は助けなくても良い」という考えの人が、世界で一番多い国だという。このような考え方はどこから来ているのだろう。

ヒンドゥー教国のネパールでは、今生(こんじょう)の不幸は、前世の因果だから、いま苦しんでいる人は前世の業を落としている最中であり、苦しませておいてやるのが良い、と本気で思っている人が多いようである。タイでも、「前世の因果」思想。ネパールよりもっと自己責任論に近いかもしれない。ある程度恵まれている人々は、「自分は前世でそんなに悪いことをせず、あんな真っ黒の下層民に生まれなくて良かった」と素直に胸をなでおろして終わり、という感じらしい。こんな国でもかつては左翼運動が存在したことがあったが、分離運動との絡みを除けば、原始的な「妬み」「やっかみ」の情念の噴出に過ぎない。

日本の場合は、輪廻転生思想とはあまり関係がないと思う。日本の自己責任論は、日本の文化や美意識に根ざしている。困っていてもそれを口に出さず、どうにもならなくなった所で「静かに自殺する」のを立派だとするのが、日本の美意識である。弱者は、自殺するところまでやらないと同情されない。貧困であれなんであれ、自殺ないし心中ですべて自分で解決できるのだから、困っている人を他人が助ける必要はない、ということになる。

日本の自己責任論の根底にある思想は、このように、「死の美化」だと思う。要するに自己責任論者の言いたいことは、「見苦しい境遇に陥って自力で這い出せないなら、自殺しろ。(自力で麗しく這い出てくれば美談にしてやるが)」である。福祉施設での大量殺人犯人も、良いことをしてやったと信じており、この思想に依っている。

日本の保守思想、右翼思想、国粋主義思想等はすべて、この死を美化する思想を根底にもつ。彼らが弱者に恩を着せて与えようとするのは、「死」、麗しい死、に過ぎない。右翼や愛国主義者の中に、国家社会主義的な平等主義の主張をする者がいるように見えるが、彼らの施しも、せいぜい一緒に涙を流して自殺に共感してやるよ、ということだと思って間違いない。

日本人は、無償で与える、報いを期待しないで与えるということを嫌う。与えられることも嫌うようだが、与えることを何よりも嫌う。これも日本文化である。インターネットのサービスひとつとっても、日本のものはグロテスクな広告だらけ。日本がインターネットで遅れを取ったのは、言語や技術よりも、グロテスクな営利主義が原因ではないかと思う。とにかく、見返りをもとめないで与えるということが、日本人は嫌いである。

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