Monthly Archives: September 2015

「そこまで」

日本に帰ってわりと暇な生活をしています。旅行中はタブレットとスマホだけだったのが、いまはパソコンがあることもあって、主にインターネットで日本語の文章をじっくり読むことが多くなりましたが、変な日本語が気になります。

特に、「そこまで」という言い方。

最近使われるようになった表現だと思いますが、本来なら「それほど」とか「それほどまでに」と言うべきところを、「そまで」と言っているようです。話すときは「こ」を上げるようです。

これは私には日本語の乱れとしか思えません。しかも、誰も指摘しないようです。

話し言葉だけならともかく、文章にまで「そこまで」が出てくるのは不快です。

タイのサタン硬貨

古い荷物から出てきた無駄なもの。1バーツ未満のコインで大きい方が50サタン、小さい方が25サタン。今でも使えるのか。
(上の3つはインドネシアルピア)

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因みにネパールではパイサどころか1ルピアも見なくなった。

帰国

昨日9月8日は、クララルンプールは珍しく朝からずっと雨で、私も変に体調が悪かった。マレーシアで腹を壊すようなことはあまりないが、朝から下痢だった。ここ2、3日「ネスカフェクラシック」を飲み過ぎていたかもしれない。コンビニで瓶入りを見つけゲストハウスの湯で入れて一日何倍も飲んでいた。もっとも、ゲストハウスの湯が悪かった可能性もある。

正午にチャイナタウンのWheelers Guest Houseをチェックアウトする。もう泊まることはないだろう。ゲストハウスをレイトチェックアウトなどするよりは気持ち良いだろうと思って向かったklia2は、あまり気持ちの良い所でもなかった。

飲食するところは色々あるが(KFCやKKスーパーもある)、のんびりできるところがない。楽ではなかった。WIFIだけは時間無制限で使えた。

エアアジアX、関空行きの飛行機が出るまで、そこで12時間ほど潰したが、ずっと下痢が続いていた。水様の下痢。

バゲッジドロップは、飛行機が出発する4時間前から。私は18キロのバックパックを持っていた。その他に5キロぐらいの手提げ袋(15リンギの安物で、すぐにチャックが壊れたがそのまま使っていた)、および2キロぐらい(超えるかもしれないがキャビンバゲッジは7キロまでなので2キロということにしておく)の20リットル入りバックパック。それらを、引きずったりトロリーに乗せたりしながら9時までウロウロしていた。

搭乗直前まで下痢が続いていたので、やむを得ず「イモジウム」を一カプセル飲んだ。これは効いたようで、飛行機に乗ってからは、下痢はすっかり影を潜めた。ただ、気持ち悪い感じが続いていた。

9日午前1時出発予定のエアアジア関空行きが実際に離陸したのは、午前1時20分だった。

大気の状態が悪かったようで、なかなか食事が出てこなかった。夜行飛行機でも、気分的には食事は出たほうが良いので予約しておいた。食事が配られたのは午前3時頃だった。

日本入国にあたっては、すべての乗客が税関に申告書を出さなければならないようになっていた。そのフォームが英語のみだった。

税関申告書のフォームにはunaccompanied articlesとかいう項目がありナンノコッチャと思ったが、商品などを別便で送ることなのだろうか。宝石とか金貨とか。

昔は列車でも「チッキで送る」というのがあったはずである。あの制度(祖母がしゃべっていたのを聞いただけだが、「チェック」のことなのだろう)は今でもあるのだろうか。

エアアジアのキャビンクルーは、オレに「外国人用」の外国人入国記録フォームまでくれた。

ところで、なぜネットでは「スチュワーデス」のことを「CA」(「キャビンアテンダント」)というのだろうか。機内放送でもそういう言葉は聞いたことがない。「キャビンクルー」というのが普通だと思う。

なお、「スチュワーデス」も欧州で使われている。以前、チェコ航空だったかエア・バルチックだったかに乗った時は、頭上のボタンの所にStewardessとはっきり書いてあった。

飛行機は、揺れ続けた。マレーシア時間午前7時25分(日本時間8時25分)頃、関西空港に着陸。

関空に降りて印象的だったのは、空港職員にまともに英語が話せない人が多いようだったこと。エアアジアのクルーとのやりとりに苦労している人がいた。

その他の職員も英語が話せない人が多いようだった。マレーシアのKLIAなら、掃除のオバサンでも英語を話すだろう。(掃除のオバサンにインド系が多いからでもあるが)。

関西空港に長居はまったく無用なので、すぐにJRに乗った。JR関西空港駅の案内所兼切符売り場(緑の窓口)に行って切符を買う。

JR関西空港駅案内窓口には、当然外国人客も来るので、職員は英語でも応対できるようになっているはずである。実際、外国人客が来てあれこれ聞いていた。

日本の鉄道は複雑で、日本人にもわからないことが多い。例えば、マレーシアのように特急なら特急で切符一つというのでなく、特急券の他に乗車券があるというのは、そういう制度のない国の人にはわかりにくいと思う。

そこで、職員の話す英語を聞いていたのだが、一応はしゃべっているのだが、まったくの日本人英語で、「反省のかけらもない」という感じだった。

Thは完全にSになっている。ThはSで発音するよりはTやDで発音したほうがまだ通じやすいと思う。本来の筋から言えばそうであろう。ドイツ語の進化の過程で落ちこぼれた辺境のゲルマン語(である英語)に、古いThの発音が残った、という歴史からもそう言えると思う。

「特急はるか」に乗ったが、はるかの車窓から見る大阪の街は実に汚かった。こんなに薄汚い町は、東南アジアにもそうないと思う。本当にうさぎ小屋のような小さな家があるのに驚く。それも田舎の陋屋とかスラムというのではなく、普通のビルの隣にあったりして、普通の人が生活しているように見えるのだ。特に大阪の町は汚かった。

日本のような、何事も分かりにくく、閉鎖的で、よそ者に不親切な国に、どんな魅力を感じて外国人旅行者が来ているのか不思議である。半年以上日本を離れていたが、「懐かしさ」のようなものや、「帰った」という喜びはまったく感じられない。

自分の家はまだあった。自分の持ち物もだいたい残っているようである。

もうすぐ帰国します。

少し余裕をもってクアラルンプールに帰ってきたのは、ゲストハウスの割引があるのと、休養と、ボーディングパスの印刷などのためでしたが、ボーディングパスはパンタイ・スリ・トゥージュー・リゾートの事務所で印刷してもらえたし、タイ人客が泊まるような変なゲストハウスで無駄な時間を潰さないで、マトモなホテルに一泊ぐらいして夜行バスに乗った勢いで日本行きの夜行飛行機に乗ってしまえば良かったと、ちょっと後悔しているところです。(こういう長い文は、日本語としては悪文の典型で、文章が下手な証拠です。日本語には関係詞などがなく、非制限用法の関係詞なんて便利なものもないため、文が長いと修飾関係がわかりにくくなるし、接続助詞や否定詞が節や文の最後に来るので、何を言いたいのかわからなくなりやすいからです。一般的に言えば、日本語は短い文が良いと言えます)。

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旅行に持っていった本は二種類だけだったので、日本に帰ったらちょっと読書とか、勉強とかしたいと思っています。持っていったのは、光文社古典新訳の純粋理性批判の1(超越論的な感性論)と、キリスト教の「新共同訳聖書」だけでした。超越論的な感性論は、以前からいろんな解説本を読んでいたのですぐに飽きてしまい、結局ネットか「聖書」かという不健全なことになっていました。もちろん私はキリスト教徒ではありません(未来永劫あり得ません)。しかし、アラビア語も読めないので、これ一冊ということになると「聖書」という選択になってしまいます。

去年は本当に大変だったのですが、色々な方のおかげでなんとか生きられました。日本のAさん、Kさん。一番キツかった時に助けていただきました。本当に感謝しています。

色々な問題が重なっていますが、「鬱」に関しては転地が有効だったようです。日本を離れたら楽になった、というと都合良く聞こえますが、現実にその通りです。

去年の一時期は、本当に、ちょっと動くだけで(比喩でなく)奈落に落ちるか狂ってすべてを失うか、というぎりぎりの線の上の恐ろしさと現に対峙させられていました。

「転地」が良かったのは、日照の関係もあるかもしれません。ネパールは温暖な時期ではありませんでしたが、紫外線を浴びてよく歩いたのが良かったと思います。

日本に帰って日本の風土にあてられたら、またぶり返すかもしれません。その時は、カネの続く限り、逃げようと思っています。前途のない「逃げ」であっても、とにかくいま生きること、(比較的)正常な精神状態で生き延びることが大事だと考えています。