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パンタイ・スリ・トゥージュー Pantai Sri Tujuh

パンタイ・スリ・トゥージューはプンカラン・クボールの近くだが、プンカラン・クボールからのバスはないようで、もし行くならタクシーになる。

コタバルの市内バスステーションからトゥンパTumpatへ行くバスに乗り、運転手に頼んでパンタイ・スリ・トゥージュー・リゾートの前で降ろしてもらうのが一番安上がりな方法だと思う。

パンタイ・スリ・トゥージューは公営(クランタン州政府?)のビーチリゾートで、一番安いシャレーが現在は税込み106リンギ。

午前11時半頃、コタバルのAzamホテルをチェックアウト。Tunpatに行く43番のバスは待機していた。ただなかなか出発しない。12時10分過ぎにようやく出発。43番のバスはオンボロで小さい。

あちこちを回り、客を乗せたりおろしたりしながら一時間ぐらいかけてTumpatの町まで来る。その辺りでパンタイ・スリ・トゥージューへ行きたいと運転手に言って、運転手のすぐ後ろの席に座っていたが、止まってくれない。

結局、プンカラン・クボールPengkalan Kuborまで来てしまう。運転手は降りろと言い、エンジンをかけたまま何処かへ行ってしまった。

これでは話が違う。プンカラン・クボールへ行くのなら、27番のバスが快適で早い。ぜひともパンタイ・スリ・トゥージューまで行ってもらわなければならない。バスはエンジンをかけたままだから、しばらくすればコタバルへ戻るのだろう。とにかく、運転手を捜しに行く。

運転手がスタスタと歩いて行った方向に行ってみると、Transnationalの小さな事務所があった。入ってみると、礼拝所があり、運転手は礼拝の最中だった。そこにいた人に、自分はパンタイ・スリ・トゥージューへ行きたいのだというと、わかっている、バスの中で5分待て、というので、待つことにした。

30分ぐらいは待たされたが、思ったとおり、同じ道を戻っていき、今度はビーチリゾートの正門(?)前で止まってくれた。

ビーチまではまだしばらく歩かなければならない。シャレーがたくさん立ち並んでいる。数年前の面影はない。午後2時10分ぐらいになって、ようやく管理事務所を見つける。

一番安い部屋が106リンギだったので躊躇した。前に来た時は70リンギくらいだった。リンギも下がっているが円も安くなったのでレートはほとんど変わっていない。二晩だけ泊まることにしてチェックインした。安い部屋は週末は予約で埋まっている。これは数年前と同じ。

政府の施設であるせいか、「警察官立ち寄り所」になっていて、レセプション前のWi-Fiのあるロビーには警官たちが屯していることもある。極めて健全なリゾートだといえる。

浜の近くにあったフードコートはなくなっていた。砂浜は広い方である。ゴミが落ちていてあまりキレイではない。

私が泊まる部屋。

コタバル着。

タイ時間午前11時40分、ナラティワトのタンヨンTanyongホテルをチェックアウト。レセプションにいたのは、カタコトの英語を話す感じの悪い色黒のタイ族女だった。

肌色でどうこう言いたくないが、事実、経験則として、色黒のタイ人女は、人に「イヤーな」感じを与えるのが非常に上手いことが多い。英語をしゃべるのは尚更。タイに旅行するとしても「色黒のタイ女」はできるだけ避けるのが精神衛生上良い。旅行の楽しみにも影響する。

その女に呼んでもらったモーターサイクル(バイタク)で、ミニバスの発着場まで行く。10分ぐらい。40バーツ。

ナラティワトに普通のバス停はない。ミニバスの発着場にはミニバンを改造した大きめの車もあったが、タクバイへ行く車はピックアップトラックを改造した天井の低い乗り心地の悪い「ミニバス」だった。こういうのに乗るのは何年ぶりだろう。インドネシアのアンコタよりはるかに粗末な乗合自動車である。ネパールでも今はこんなのはないのではないか?

幸い乗客が少なかった。ヒジャブをつけた若い女の子が二人、向かいに座ってマレー語の方言らしい言葉で話していた。精一杯おしゃれをしているようだが、全体に薄汚く、とてもみすぼらしい。貧しいだけでなく、社会の辺縁に追いやられていじけてしまっているような印象を受ける。対岸のマレーシアのマレー人とはまったく境遇が違う。

このソンテウ(と呼ばれる乗り物だと思う)はタクバイまで40バーツ。50分ぐらいでタクバイに着く。

タクバイでまず両替をする。9バーツ1リンギでぼり取られた。

タイのイミグレーションオフィスへ行き、スタンプを押してもらった後、再びタクバイの町に戻り、コピを飲み、国境の川スンガイ・ゴロクを渡るボートに乗る。ボートは1リンギ。フェリーもあるが、わざわざ乗る意味はない。ボートは頻繁に出ているし安い。

マレーシア時間、午後2時半ごろ、対岸のプンカラン・クボールに着く。マレーシアの入管窓口でスタンプを押してもらい入国。

窓口はワークパーミットをもったタイ国民もパスポートを持っている者も同じだったが、ワークパーミットを持って入る連中が、ここはワークの窓口だ、とか言って割り込んできたので混乱した。そうなのかと思って、窓口のマレー人女役人に確認すると、頷いたので、いったん列を離れて2階の事務所に行った。スタディか、とか聞かれツーリストだと言うと下へ行けと言われる。

この辺りで気持ちの悪いタイ人男につきまとわれた。気持ちの悪い大きな声で英語をしゃべり、あれこれ話しかけてくる。

プンカラン・クボールで27番のバスに乗り、コタバルに向かう。気持ちの悪いタイ人男も同じバスに乗っていた。離れて座ったが、ネットリ気持ちの悪い大きな声で話しかけてくる。明らかにタイ族である。ところが、母親と妹も一緒にいて、彼女たちはちゃんとヒジャブをしている。ムラユなのかと聞くと、タイだと言う。マレー語は話せるかと聞くと、少しだけという。タイ族ムスリムだった。

午後4時頃、コタバルの市内バス停に着く。

コタバルで一泊することにした。数年前に時々泊まったAzamホテルに入ってみた。以前、バス停近くではこのホテルくらいしか泊まるところがなかったように記憶しているが、周囲に安宿がいくつもできていた。そのせいか、昔より宿代が安くなっていた。老朽化もしているようである。ロビーにだけWi-Fiがある。窓無しの一番安い部屋が74.20リンギ。窓無しだが、ダブルベッドで、かなり広く、エアコンはもちろん、湯沸かし器と無料のインスタントコーヒーなどが付いている。まあまあ快適そうである。Azamホテルは、数年前は一番安い部屋でも80リンギ以上だった。しかも週末は一週間以上前に予約しておかないと泊まれなかった。

ナラティワトを出ることにした。

ナラティワトで少しゆっくりしようと思って来たが、2泊で逃げ出すことにした。行きと同じルートで、今日マレーシアに戻る予定。

ナラティワトが悪いわけではない。住民の大部分はマレー人である。しかし役人やホテルはタイ族ばかり。

国家磁気のようなものがあり、どうしてもタイの国家磁気から逃れられない。そのタイの国家磁気が、私はとても嫌で、本当に気分が悪くなるのである。

国家というのは不思議な化物で、気持ちの悪いものだ。北アイルランドがイギリスから独立できないのも、沖縄が日本から独立できないのも、この国家磁気にあてられてしまっているからだろう。国家は貨幣と同様の魔術的な引力をもつのだと思う。それを振り払うことは、領内にいる限り難しい。

昨夜は嵐だった。雨に濡れた早朝のナラティワトのビーチ。

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ナラティワトでは白人はまったく見ない。タクバイのイミグレにたくさんいた白人は、どこへ行ったのだろう。

これを食べてみたかったのだ。

タイの甘い菓子だが、マレー人が売っていた。甘いもち米とこれまた甘い熟したマンゴに、ココナッツミルクをかけて食べる。マレーシアでは見ない。

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これは甘すぎるので、しょっちゅう食べるものではないが、たまに食べると美味い。45バーツだった。

私が唯一評価するタイ料理は、「ただの餅米」である。タダのもち米に辛い緑色のペースト(名前は忘れた)を付けて食べると美味い。

マレー人の経営する食堂でも、タイの魚醤の臭いをぷんぷんさせている店もある。私は、あの臭いがたまらないので、そういう店は避ける。

数年前に来た時によく見かけた、「マレー人によるマレー人のための小さな茶店」は、ほとんど見なくなった。コピとテーだけで食事はでない、マレー人の避難所のような、小さな茶店が所々にあった。タイ当局によって陰に陽に弾圧され、消えてしまったのかもしれない。「テロ」(つまり反タイ的な運動)の温床になっている、とかいう口実で。

タイ族警官によるマレー人住民監視

街の各所にこのようなタイ警察の検問所があり、マレー人住民を常に監視している。植民地支配が続くマレー半島の町、ナラティワトで。タイ族警官ほど気持ちの悪いものはない。

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もともとマレー人のイスラム国家であったところを、タイ族が侵略占領したのである。モスクを破壊し建設を規制したりするだけでなく、自分たちの偶像崇拝を押し付けてきた。神格化されたタイ国王崇拝を、マレー人に強制し、国王や王族の写真を神殿のような所に嵌め込んで拝ませている。学校などではもっとひどいだろう。

そんなことをやっていれば、たまに爆弾がはじけたりするのは、むしろ自然ではないか?

タイの歴史は、タイ族による他民族の地の侵略占領、および同化強要(タイ化強制)の歴史である。

もともと雲南の少数民族であったタイ族が、モンゴルに圧されて流民化したのが小タイ族(現在のタイ国家の支配民族)の始まりである。インドシナ半島に侵入し、先住の(古い時代にインドから移住したドラヴィダ系といわれる)モンMonやクメールの土地を侵略し、彼らを底辺に追いやった。さらにはマレー半島を侵略し、マレー人を抑圧している。これがタイ族である。

もっとも、もともと雲南で「中華」の隷属民であったので、中国系には弱い。現在の国王も、元をたどれば「鄭」という華僑の商人の家柄である。しかも謀叛を起こして国王に成り上がった恥ずかしい一族だ。

力がすべて、カネがすべて、という考えなので、「強い者をその強さの故に崇拝する」こと、その前に跪くことに、タイ人は何の抵抗も感じない。

東南アジアには、昔から白人が来ていて、その強さを見せつけていたので、白人を崇拝することは、タイ人にとって昔からまったく自然なことであった。

白人に媚びへつらい、女でも何でも差し出して、「独立」=王族をはじめとする特権層の利権、を守ってきただけである。

対照的に、白人の前に跪かなかったビルマの王家は、イギリスにすべての財宝を奪われ、悲惨な目にあっている。

タイ王室は昔から白人が大好きで、婚姻関係も抵抗なく結んでいる。(日本の天皇家も近い将来そうなるかもしれないが)。

ネトウヨは「タイは親日国!」などと叫ぶことが多いようで、タイに親しみを感じるようだが、それはおそらく、タイ人の「強い者をその強さの故に崇拝する」心性に、自分と共通のものを感じているからではないかと思う。「親日的」という尺度を強いて当てはめるなら、太平洋戦争末期に日本が劣勢になったと見るや日本軍の駐屯地を襲撃したりして連合国に媚を売っていたタイよりも、ミャンマーやインドネシアのほうがはるかに「親日的」といえるのだが、ネトウヨはタイのほうが好きなのである。

タイの陸路入国でビザなし滞在30日もらえた。

タイのビザなし陸路入国は15日になったと聞いていましたが(そのことに怒った白人が暴れて捕まったというような事件も報道されていました)、今回タクバイからの入国で、私は30日もらえました。

ビザなし30日に戻ったのでしょうか。あるいは、入管役人の気まぐれまたはミスかもしれません。他の国境でも同じとは限らないし、このあと陸路でどこかの国に出て、もう一度入国しようとした場合にどうなるかはわかりません。

私は、現在のパスポートにタイのスタンプを捺されるのは初めてです。つまり、キレイなパスポートを持っている、とタイの役人も認識したはずです。

【写真】パンタイ・チャハヤ・ブランまとめ