Monthly Archives: January 2015

「自己責任」は金融商品取引用語 「自己責任」と文学

証券取引における自己責任原則と投資者保護

コンプライアンスのための金融取引ルールブック

最近、というか、この十年くらい、「自己責任」という言葉が流行しています。まるで日本人がまだよく自覚していない「近代的な自由主義の大原則」であるかのように語られているようです。

私は一応法学部というところを卒業しており、在学中もわりと授業に出ていたほうなので、それが近代的な自由主義の大原則(つまり近代法の大原則)だとしたら、いくら二流大学とはいえまったく聞いていないということはないはずなのですが、法学部の先生が教壇で「自己責任」という言葉を使うのを聞いた覚えがありません。

「個人の尊重」「個人の尊厳」「個人の自由」「個人主義」「自由主義」「私的自治」「個人意思自治」「過失責任」「連帯債務」「人格的自律の存在」「人格形成責任」などという言葉は聞いた覚えがあります。「責任主義」という言葉も聞いた。しかし「自己責任」という言葉は聞いた覚えがない。

結論から言えば、「自己責任原則」は近代法(近代自由主義)の原則でも何でもなく、単に、金融商品取引の業界用語です。

近代法の大原則は、まず「個人の自由」ということです。個人はどこまでも自由だということ。それと所有権の不可侵です。

個人は法律上も事実上も自由に行為することができます。その結果(効果)として、権利や義務が生じます。英米法では権利だけまたは義務だけ生じる契約は無効とされるようですが、日本法では贈与契約のような片務契約も完全に有効です。故意や過失に基づく行為によって他人の権利を侵害すると、その効果として損害賠償責任が生じることがあります。一方に損害賠償請求権という債権が生じ、他方に債務が生じるということです。また、犯罪を犯すと、刑事責任が生じます。つまり、犯罪行為を要件として、行為者に対する国家刑罰権が発動するという効果が生じるということです。どれをとっても、自由な行為によって権利や義務が生じるということであって、他から請求されたり非難(責任非難)されたりすることはあっても、「自己責任」というものは出てきません。流行の「自己責任」に一番近いのは、不法行為責任の「過失相殺」だと思います。

「自己責任」は文学用語だと思うべきです。「文学的な表象」に過ぎないものを、まともな「概念」だと思い込むのは、日本人の昔からの悪い癖です。「自己責任」を唱える者は、自分のしゃべっている言葉の意味がまったくわかっていません。文学とはそういうものです。他人が感心してくれさえすれば自分が何を言っているかもわからないタワゴトでも良いのです。「文学」だからです。

自己責任論の嘘 (ベスト新書)

責任という虚構

ワッハーブ派(サウジアラビア)はナチスと同じ。

イランのシーア派イスラーム学教科書 (世界の教科書シリーズ)

私は以前、テヘランのMarvi通りにある神学校でちょこっと講習を受けたことがありますが、そこでシーア派の先輩たちが強調していたことは、イスラエルやアメリカが悪いという話ではなく、サウジアラビアこそ恐怖国家だということでした。サウジの国教であるワッハーブ派は、シーア派などは皆殺しにして良い、皆殺しにすべきだという思想を本気で信じており、国是としています。そんな国を庇護しているのがアメリカです。中東を旅行するときはシーア派だと言わないほうが良い、危ないから、ともアドバイスされた。

イスラム国 テロリストが国家をつくる時

アブドゥル・ワッハーブの主要な教義のひとつがタクフィール(不信仰者の宣告)の主要な考えとなった。タクフィールの教義のもとでアブドゥル・ワッハーブと彼の追随者たちは、何であれ絶対の権威(すなわち王)の主権を侵害するような活動に携わった仲間のイスラム教徒を異端者とみなすことができた。アブドゥル・ワッハーブは、死者、聖人、天使をあがめたイスラム教徒すべてを非難した。そのような感情は、神に対し、また神にのみ示されるべき完全な服従を損なうと考えたのだ。よってワッハーブ派のイスラム教義は、聖人や死んだ愛する人に祈ることや、墓や特別なモスクへの巡礼、聖人をたたえる宗教的祭り、イスラムの預言者ムハンマドの誕生日を祝うこと、そして死者を葬る際に墓石を使用することさえ禁じた。

この考えに従わない者は殺されるべきであり、その妻や娘たちは犯されるべきであり、その財産は没収されるべきだと彼は書いている

アブドゥル・ワッハーブは服従を要求した――物理的、具体的に示される服従だ。彼は、イスラム教徒すべては1人のイスラム指導者(カリフ、もし存在するならば)に個人的に忠誠を誓う必要があると論じた。この考えに従わない者は殺されるべきであり、その妻や娘たちは犯されるべきであり、その財産は没収されるべきだ、と書いている。死に処されるべき背教者のリストには、シーア派、スーフィー派、そして他のイスラム宗派、すなわちアブドゥル・ワッハーブが決してイスラム教徒であるとは考えなかった人々が含まれていた。

ここにはワッハービズムとイスラム国を区別するものは何もない。裂け目は後に現れることになる。後の、ムハンマド・イブン・アブドゥル・ワッハーブの教義を制度化した”1人の支配者、1つの権威、1つのモスク”―― これら3つの柱のそれぞれがサウジ王、すなわち正統ワッハービズムにおける絶対的権威を現す、そして”言葉”を支配することだ(つまりモスクだ)。

これが裂け目――イスラム国による、スンニ派が全権を振るうこれら3つの柱の否定――、すなわち他のすべての要素についてはワッハービズムを受け入れるイスラム国を、サウジアラビアの深刻な脅威としているものだ。

まともな文明人なら、サウジアラビアもイスラム国もどちらも殲滅しなければならない悪党だと理解できるはずです。

日本にも中田考という「イスラム国」の走狗がおり、ワッハーブ派のようです。北大生だけでなく、彼のやったことも私戦予備陰謀に該当するのは明らかではないか。「イスラム国」が国境のない国なら日本にもイスラム国がすでに侵攻していると言えるから外患誘致罪に該当するとも解される。内乱予備または陰謀罪に該当してもおかしくない。それらの教唆は明らかだから、少なくとも破壊活動防止法で逮捕すべきだ。それ以前に、中田考のような恥知らずな外道は、「人道に対する罪」で国際社会の管轄も時効もない法廷に引き出されて死刑にされて当然だと思う。

ISISにつかまった後藤さん

写真で見ると立派な顔立ちをした人である。ピシッとしている。ひとかどの人だと思われる。「ネットゲリラ」のようなひねくれた差別主義者は、彼が「在日韓国人」らしいというだけで何かいちゃもんをつけているようだが、まさに日本人らしい差別発言に過ぎない。マスコミの記者が怖くて行けない(記者を出せない)所に一人で行って取材をし報道することは、誰かがやらなければならない有用で立派な仕事だと思う。外国記者の評判も良かったようだ。

イスラーム国の衝撃 (文春新書)

ひとかどの人は、顔立ちもしゃんとしている。もう一人の人の方はそうではなかったようでもあるが、人間はやはり顔が大事だ。(公開された処刑写真等は簡単に合成できるようであり、どこまでが本当で、現実にどうなっているのかはわからない)。

人間は男も女も顔で決まるところがある。ところが私は顔が非常に醜い。ちょっとでも人前に出せるような顔だったら、自己顕示欲の強い人間なので、アイコンに自分の顔を使っていただろう。それをとどまらせるほど明らかに醜いのである。自分の顔を見るたびに(滅多に見ないが)、自分は「選ばれていない」と確信する。

そのうえ、私は物心ついた頃から、酷薄で底意地の悪い「兄」(どうせ血は半分しか繋がっていないだろうが)や父(血は繋がっていない)から、容姿の醜さをこれでもかこれでもかといじくり回されて育ったので、「醜さ」が自分の原点、アイデンティティのようになってしまった。次が「頭の悪さ」である。「兄」とされる男は、音信もないが、ニフティ「ココログ」で「鮎釣り」のブログをやっていて、まったく現実とは違う「良い人」を演じているようだ。彼らはまるで爬虫類人間である。

なお、突然出てきたイスラム国などというものは、誰かが人工的に創って操っているに違いなく、やっていることはナチスと同じで、到底認めることはできない。人類文明の敵であり、殲滅すべきだと思う。アメリカは陸戦をできないので、佐藤優氏がいうように、イランやロシアの特殊な部隊が悪党を皆殺しにしてくれるのを期待するしかないだろう。そもそも、スンニ派イスラムというのは人類にとって害でしかない。サウジアラビアのような国家が存続していることは、イスラエルよりも人類にとって有害だと思う。サウジやその周辺のスルタン国家を崩壊させない限り、世界はなかなか平和にならないと思う。東南アジア諸国(タイ、マレーシア)もそうだが、彼らは欧米の植民地のままでいたほうが良いのだ。

神の罰

神曲 地獄篇 (河出文庫 タ 2-1)

私は自分の存在が罰であることを、最近になってようやく納得できるようになった。これからも、苦しいことしかないと思う。今まで経験したことのなかったような悲惨なことがあるか、非常に苦しい発作のようなことが断続的に降りかかってくるのか、ということはわからないが、先が良くないことははっきりとわかるようになってきた。客観的な情勢を見ていて、それが十分にわからなかった今までが愚かすぎたのだ。どこかに挽回の「期待」をもっていた。しかしこれが苦の基である。

私は「輪廻転生」はもちろん信じないし、最後の審判があるという話も信じられない。ただ、地獄は確かにあると思う。自分はすでに地獄に落ちていて、ただ今まではっきりそのことに気づいていなかっただけであるように思う。睡眠中に「発作」が起きる時、その本当の現実を見せられるのかもしれない。つまりその瞬間に自分が地獄にいるという事実を垣間見るのかもしれない。

毎度初めて経験するような、言葉で表現できない恐怖感とすべてが穢れる感覚を味わう。つい先日もそれが起きた。「てんかん」発作だと思っていたが、てんかん専門医の診断を受けると、何度受けても「てんかんではない」と診断される。単なる「悪夢」、「睡眠障害」だという。発作中は痙攣しているらしく翌日は体じゅうに筋肉痛が残る。私の発作は睡眠中にしか起きない。私は結婚も同棲もしたことがないので、現場を見た人はあまりいないが、飛行機の中で発作を起こした時に、硬直したようになって泡を吹いていたと教えてもらった。その時は、機内放送で呼ばれた乗客の日本人の医者から「みんなに迷惑だから飛行機などに乗るな」とはっきり言われた。医者など無用だったのだが。海外の旅行ガイドブック(ロンリープラネットなど)には必ずdisabled touristsのための案内が載っているものである。日本人は根っから冷酷で、底意地の悪い民族だと思う。

先日の発作では、意識を半ば回復してから起き上がり朦朧状態で少し歩き、バタンと床に倒れたようだ。夜中に非常に大きな音を出したらしく、階下からジジイが上がってきた。この軽蔑すべきジジイは多神教徒で、「神仏」を崇拝しているだけでなく、自分だけは「神仏」に加護されており、自分の家柄は最高である(ただし自分の子どもたちは嫁の卑しい血が混じっているので穢れている)という信念をもっている。まさに邪教徒である。このような信念は、どこから見ても邪教だろう。しかしその時は、そんなジジイに助け起こしてもらわなければならなかった。自分だけは「神仏」に守られていて選ばれて高貴であると信じ込んでいて、行いはあくまで卑しく自己中心的で、先妻も今の妻も虐待する男。このようなジジイが健康で長生きしているのである。

「罰」だと思うと少し気が楽になるのは事実

神罰 (叢書・ウニベルシタス)

日本人が旧約聖書などを初めて読むと、ヘブライ人の神はどうしてあんなに残忍で、酷薄で、嫉妬深く、不条理なのか、不自然な感じがして馴染めないのが普通だと思う。神様から、お前たちにあの土地をやるから、そこを攻めて原住民を皆殺しにしろ、と命令されたのに、侵略して占領はしたが、原住民を一部見逃して皆殺しにはしなかった、というようなことも神に背いた「罪」とされる。それが後々までも祟ることになる。イスラエルに都合の良いことが書いてあるというだけでなく、書き手が自ら好んで罪深い者になりたがっているような気配さえ感じられる。人間の目には良さそうに見えることでも、「神の目」には「罪」であり、人間は罪から逃れることがほとんどできないということを言いたいのだろうか。また、人間の目には不条理に見えることでも、神の目には正当であり、不条理な苦難と思われることでも当然の罰である、というのだろう。

自分が生まれてこの方さっぱりついておらず、良いことが何も無く、特別悪いことをしたつもりもないのに、自分に対しては悪いことばかり起こり増えていく、という時、これを不条理だと思うとまさに不条理でしかないが、これは神意である、自分には理解できない人間の理解を超えた神の論理があり、これがきっと自分にふさわしい「罰」であるに違いないと思うと、少し気が楽になるものだ。まぁ、オレは存在自体が天罰だと思っていれば間違いない。ダメな人間の実例として創造され、ダメな人間がどういうふうにもがき苦しむかを示すために生かされ、ダメなものからはダメなものしか生じず、ダメなものはますますダメになり、ダメな方向を自分で選んで進んでいくという法則を世界に示すために、今後も生かされて野垂れ死にすることになるのだろう。

西洋中世の罪と罰 亡霊の社会史 (講談社学術文庫)

日本人はいったん社会から「落伍」した人間にぞっとするほど冷たい。

https://twitter.com/aki_traducteur/status/559683018110275584
https://archive.today/3ZvqE#selection-717.0-717.86

日本人はいったん社会から「落伍」した人間にぞっとするほど冷たい。規範や常識という名の同調圧力に耐えて生きる日々の鬱憤が、弱者や異端者へのサディズムとして回帰するのだと思う。

ほんとにまったくこの人の言う通りだと思う。

確かに、日本で餓死することは少ない。(実際は路上生活者は多く、路上生活をしばらくしていればほとんどの人が体を壊す。路上生活者の病死はありふれていて報道もされない。生活保護を断られて餓死した事例が21世紀になってからもあり、これは報道されて問題になったが、病気を持っているなら病死で処理され報道もされなかっただろう)。

しかし、やはり人間は食い物だけで生きられるものではない。だから日本は飛び抜けて自殺者も多い。

事故物件サイト・大島てるの絶対に借りてはいけない物件

日本人の「恐ろしい冷たさ」、日本社会の「ぞっとする」冷たさは、日本に滞在していてヒシヒシと感じる日本人の体質、日本の風土、日本の宗教である。

人気のあるブログもたいていは右翼ブログか勝ち組ブログで、弱者やマイノリティを攻撃するか嘲笑することでアクセスを稼ぐものばかりだ。そういうサイトを読んで「気持ちよくなる」日本人が多いのである。

朝日新聞のような「勝ち組センチメンタリズム」もすでに「ぞっとする冷たさ」を持っているが、それを叩く「勝ち組アンチ<お涙頂戴>」ブロガーも人気である。経済理論などはまったく理解できない愛読者もたくさん獲得しているはずである。「救いのない結論」に喜ぶのだ。消費税を上げ、福祉予算を削減するのが最も理にかなった経済政策であり、日本にはそれ以外の手段はない、ということを経済学の最新知見で論証する、とか。そういう政策によって地獄に落ちる人が増えることも認める。楽しい思いをする人々と苦しむ人々との格差が大きくなることを合理化するためには、哲学の知識も用意している。日本はそういう言論が人気を博する国なのだから仕方がない。日本人はそういう国民なのだ。

私はもうすぐ日本を離れる。ちょっとでも知り合いのいる日本にいるよりも、誰も知る人のいない国に一人でいるほうが、孤独感が少ないのである。しかしいずれは日本に帰らなければならない。飛行機でも落ちてくれれば一番良いと思っている。

希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く (ちくま文庫)

発表当時、非常に話題になり、かなり売れた本だが、内容自体は極めて粗雑で流行語を作ったということ以外には何の価値もない本だろう。