Monthly Archives: November 2013

「秘密」とは

法律の文言には、どんな解釈をしても乗り越えることのできない枠があります。たとえば「秘密」は、その法律でどんな定義をされていたとしても、「秘密」といえるものでなければならない。

「秘密保護法」と呼ばれている法律は既に存在していますが、その法律では次のように定義しています。

日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法

第一条 この法律において「日米相互防衛援助協定等」とは、日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定、日本国とアメリカ合衆国との間の船舶貸借協定及び日本国に対する合衆国艦艇の貸与に関する協定をいう。
2 この法律において「装備品等」とは、船舶、航空機、武器、弾薬その他の装備品及び資材をいう。
3 この法律において「特別防衛秘密」とは、左に掲げる事項及びこれらの事項に係る文書、図画又は物件で、公になつていないものをいう。

「秘密」という言葉を使う以上、どんな解釈をしても、「公知でない」ことが条件になります。

また、上記の法律は、「特別防衛秘密を探知し、又は収集」「陰謀」「せん動」などの行為をも処罰しています。煽動や陰謀を処罰している法律は、外患誘致罪など他にもあります。

要するに、ネットにゴロゴロ転がっている情報は、どんな理屈をつけても「秘密」にはなりません。したがって、ネットの情報を拾って論評しているだけのヒキコモリの反体制ブロガーが特定秘密保護法を怖れる理由はありません。また、外国語で既に公開されている情報を日本語に訳して紹介しても秘密の暴露にはなりません。(これが秘密の暴露になると考える人がいるとしたら、恐ろしい土百姓か戦前の人だと思います)。

みんなが知っていることを公開して罪になる場合もありますが、たとえば猥褻物陳列罪とかですが、それは「秘所」だからであって「秘密」だからではありません。

共謀、陰謀、煽動などは、今ある法律でもでたらめな運用をすれば人権はいくらでも侵害できます。それを許してしまうかどうかは、法律の問題というより、国民自身の問題です。

私は、天皇制は廃止すべきであると考えており、ロシアが好きなのでロシア軍が東京まで占領して天皇を廃位させてくれることを希望しています。毎晩その陰謀をめぐらしていますが、外患誘致罪の陰謀にあたるかもしれませんが、ぜんぜん逮捕されません。

特定秘密保護法案に関連して問題があるとすれば、「弾圧」ではなく、過剰同調でしょう。これは日本国民自身の問題です。憲法でプレスの自由が十分に保障されているにもかかわらず、自主規制をして記者クラブを作り、集団になって自分の自由を捨てる。日本人に自由がないのは、国民自身が自発的に自分の自由を制限して全体に同調しようとするからでしょう。

国家と個人は永久に対立し常に緊張関係にあるものであり、国家と個人の間には冷戦はあっても和合はないのだということを、日本人一人ひとりが受け入れられない限り、自由を知ることもないのだと思います。国が自由を保障してくれないなどという不平はお笑いです。私は、日本人が自分たちの力で天皇制を廃止できない限り、日本人が本当に自由になることはないし、自由にふさわしくもないのだと考えています。

民主主義のおかげで王党派

タイトルで終わってしまいました。
普通の生活をしてる人にはブログは難しいですね。

タイトルとは関係のない話。

保守主義の父と呼ばれて一部で誤解されて喜ばれているエドマンド・バークは、「ホイッグ党」でした。つまり、イギリスの基準で言えば王侯貴族側に対立する自由主義者。

同様に、読まない人に人気のハイエクも、自分は古典的自由主義者だとして「エドマンド・バークに倣いオールドホイッグと呼ばれることを好んでいた」ということです。

「保守」というものは、「進歩」とか「革新」とか「大革新」とか「革命」というような言葉が叫ばれるようになってから、それに対するアンチテーゼとして出てきたものです。「進歩」等のスローガンがないところで「保守」を求める人がいるはずがありません。

現実に対しては「進歩」や「革新」がアンチだといえるとしても、思想のレベルでは、実は「保守」のほうがアンチであり、「保守」思想というものが存在するとしたら、それは「アンチ」であるということ以上の内容を持たない空疎な思想であると思います。もっとも、黙っている限り、「保守」は豊かな内容をもちます。「黙っていられる」ことが保守の証明だと言ってもいいくらいでしょう。

バークは「ダブリンで富裕なアイルランド国教会徒の家庭に生まれた」ということで、「豊かな国教会信徒」までは「黙れる要素」といえますが、「アイルランド」がちょっと引っかかるところで、「黙っていられない要素」だったのかもしれません(これはただの妄想ですが)。ハイエクは、ウィーン生まれですが、ボヘミアの(下級)貴族の末裔だそうです。(ボヘミアというのはおよそいまのチェコで、スラブ系の民族です)。その後、イギリス国籍を取り、最後にはアメリカで勲章をもらいます。このくらいの怪しい出自・身上では「王党派」には入れてもらえません。

思うに、「保守」をあえて言葉で言えば、いま自分がその中にいる現実を支配している「」を尊重し、それに従うということだと思います。その「力」が変な動きをしていて自分に合わないと思うなら、「黙ってそこを離れる」、離れられる力をもつ、そして自分の一身上の自由と安寧を確保するだけの「力」は現に味方につけている、ということだと思います。

「旧皇族」という新奇なブランド(だけ)で売り込んでいる自称憲法学者がいますが、(「立憲主義」とは何かもまったく知らない人が「憲法」を教えているK大学も恐ろしいところだと思いますが)、彼らの一族は、「」によって皇族身分を剥奪されて平民に落とされた者です。もっと言えば昔なら首がつながっていなかった立場の人です。彼らがいまも息をしていられるのは、ひとつにはアメリカのお情けですが、「人権」思想のおかげです。その「力」はいまも健在なのであり、この国で「保守派」だというのならもっとも尊重すべき現実の力です。この力に対して不平を言う没落貴族は、没落貴族であって「保守」とはいえません。この「旧皇族」は、憲法教師でありながら「立憲主義」を全否定しており(憲法の授業で日本神話を教えているという)、したがって現体制の根幹を全否定している者なので、過激派です。

「他者の人格を尊重」すること

東京と田舎とはどこが一番違うのか、といえば、「他者の人格を尊重する」習慣が曲がりなりにもあるかどうか、ということだと思います。東京が素晴らしいかどうかはともかく、日本の田舎に決定的に欠けているのは「他者の人格を尊重する」ということ。田舎と言っても、そんなにすごい田舎に限らず、たとえば名古屋とか、その辺で、本人たちは都会のつもりでいるような「地方」を含みます。彼らの絶望的なところは、自分たちにそれが欠けているという自覚がまったくないことです。

「他者」の「人格」を「尊重」する、のどこがいちばん欠けているのか、どこが一番難しいのかといえば、やはり、「他者」ということを理解することでしょう。これが田舎(中途半端に人が集まっている地方を含む)の人間には、どうしても理解できません。他人は、自分とはまったく違う背景、事情、ものの考え方や体質を持った人間であり、「別の人間」なのであり、予断を持ってはならないのだ、ということが、地方の人間にはどうしても理解できません。

特に「名古屋」を中心とするいわゆる東海地方は、日本でもっとも後進的な地域です。「個人の尊重」からもっとも遠い地域であると言えます。「名古屋大学卒業」が最高学歴であるような場所が多いのですが、この地方に育って安穏と名古屋大学に進むような学生は、知的に凡庸であるだけでなく、志も覇気も何もない者とみなせます。名古屋大学卒業などという学歴が通用するのは名古屋を中心とするこの地域においてだけですが、それは彼らにもわかっていたはずで、つまりこの地方から名古屋大学に進む者は、「オレは一生東海地方でいいや」と思っているのです。全国区で活躍したいのなら東北大に行くほうが名古屋大よりは良いとわかるはずであり、ちょっと無理をしてでも一橋大以上の大学を目指すでしょう。志のある若者なら名古屋大学という選択はないはずです。

知的にも精神的にも凡庸で、凡庸であることによって評価されて育った「良い子」たちが、ダラっと集まり、地域の指導者層をも形作っているのが、名古屋を中心とする東海地方です。

この地方の人間には、「他者」ということの意味は一生理解できません。彼らは「他者」に出会う機会も持たなかったし、「他者である」ということについて深く考えた経験もないのです。この地方で生きている限りその必要がないからです。当然のように、「自己」を知るということもありません。彼らは一生、惰性で、土着生物として、まさに彼らの方言のような美意識で、どぶ川が低地に流れるように生きていくだけなのです。

「社会経験を積んでいる35歳までの方」に限る

日本共産党機関紙「赤旗」日曜版にも求人広告が載っています。(日刊紙の方は見たことがないのでわかりません)。労組書記、生協職員、出版社などで、共産党と深い関係にあるフロント企業・組織の求人だと思いますが、「35歳くらいまで(キャリア形成のため)」と明記しているものが多いです。

なかには「社会経験を積んでいる35歳までの方」と書いてあるのもある。「社会経験」ってなんだろう。実家が百姓で、家の手伝いをしていた、というのでは社会経験とは言わないでしょう。大学に行っていた、大学院に10年いたというのでも、社会経験とは言わない。社会経験とは、要するに、「商工業の分野で働いた経験」ということになります。資本主義にどっぷり浸かった経験ということでしょう。資本主義以前の社会では、今の意味での社会経験のある人間はほとんどいなかったわけですが、社会経験のない人間もまったくいなかったとも言えます。家族や親族と隣近所で完結する社会なら、家にいてとにかく食えているだけで立派な社会経験だということになるはず。

共産主義を目指して運動しているはずなのに、資本主義への適応能力がないとダメ、というわけですが、求人広告に年齢制限を入れること自体、年齢差別として違法になる国もあるのではないでしょうか。

今の時代、求人広告の「社会経験を積んでいる35歳までの方」という条件を見ただけでグサッと来る人も少なくないはずです。つまり、この言葉を見ただけで心が傷つき、精神的損害を被る人も少なくないと思います。自分がいちばん聞きたくない言葉を活字で見せられて傷ついたから慰謝料を払え、と言いたくなる人もいるでしょう。

「しんぶん赤旗日曜版」より。(広告として出している部分なので、既にパブリックドメインにあり、ここにコピーすることが著作権の侵害にあたるとは考えておりません)。

「赤旗」をとっている者の中にも「敵」がいるということですw

共産党というのは俳優や芸能人に強いようで、赤旗日曜版には大物芸能人のインタビューも毎回のように載っていて、政治的なアジテーション以外では面白いところもあります。

労組書記ってどんな仕事だろう。タバコの煙のこもった事務室にいる目付きの悪いスレッカラシの活動家というのを連想しますが、大労組の「書記」には東大教養後期出身の学者とかもいるみたいです。

社会保障は「植民地収奪」「野蛮人略奪」と不可分

日本社会で最底辺にいる人も、世界的に基準で見れば豊かな上位10%の人々の中に含まれます。国際基準で「絶対的貧困」は、「一日一ドル以下の生活」とされているそうですが、もし現金でそんなに入るなら(月3000円もらえるなら)、貧しい国々では相当豊かな方だといえます。

「パンとサーカス」という言葉があり、日本では愚民政策のことのように理解されていますが、この言葉はもともとローマの社会保障政策を指したものです。

ローマでは、ローマ市民に対しては、一種のベイシックインカム制度が認められていました。これが「パン」です。「サーカス」というのは、サーキットのことで、円形競技場で行われる戦車競走を指します。円形競技場は皇帝席もあり、市民が喝采によって皇帝を承認する場所で、古典民主制の広場の名残でもあり民主主義の場所です。度々市民暴動の発端にもなりました。

ローマ市民に対するこれらの社会保障制度は、西ローマ滅亡後はビザンチン帝国に受け継がれ、暫くの間はコンスタンチノープルで続いていました。

ローマ市民の身分を持つ人々がどんなに貧しくなっても、最低限の生活は保障されるのが原則だったようです。

このローマ市民の特権を支えたのは、エジプトその他の属州植民地からの収奪であり、辺境略奪、ローマの戦争によって略奪された富です。

すべての道はローマに通ずと言われますが、ローマが作った道は通商のための道ではなく、軍事のための道でした。属州から搾取した物資や、辺境の異民族に戦争を仕掛けて略奪した物資を、ローマに送り込むための道だったのです。

こういう構造は今の先進国の豊かさにおいても変わっていません。収奪のプロセスが複雑になり見えにくくなっているだけです。

豊かな国における規制や社会保障は、貧しい国、世界的に見て弱い国々から収奪した富を、豊かな国の外部に流れないようにし、特権的市民に無償の「パンとサーカス」を与えるためのものに過ぎないのです。

正義と公正を厳格に見つめると、あらゆる「規制」や「社会保障」が正義に反していることが理解されるはずです。

できる限り規制をなくし、あらゆる個人の自由な活動を尊重し、社会保障のような「野蛮人略奪の合理化」を廃止することが、いちばん正義にかなっているのです。

日本共産党機関紙「赤旗」が求人広告で年齢差別

こんなことがあるようですよ。

日共機関紙の赤旗日曜版を見ると、労組書記や出版社の求人広告がよく乗っているが、殆どが「35歳まで(キャリア形成のため)」と明記している。
これって明らかに年齢差別だろう。国によっては違法なのでは?どんな適性や能力があるかも問題にせず、35歳で門前払いという、いかにも日本的な慣行
https://twitter.com/kuantanlog/status/398472968134602752

赤旗に求人をのせる労組や出版社は共産党と一体と見てよいが、共産主義運動が、野党段階ですでに、道徳的にも自由主義に敗北しているのが明らか。
「求人広告で門前払い的年齢差別をしないTPP体制」のほうがはるかに、個人を尊重している。
日本国憲法の規定で最も重要なのは13条である。
https://twitter.com/kuantanlog/status/398473705384185857

参議院選挙で議席を伸ばしてしまった日本共産党は、アカです。  
日本共産党が「コミンテルン日本支社」として誕生した政党であることを、知らない人が多すぎです。 
コミンテルンがどんな組織なのかや、日本共産党が出来た当時のロシア。共産党員のロシアでの様子を掲載しました。 
日本共産党は、確かな野党ではなく「確かに野党」。 大和系の日本人は、それ以上の期待をしてはいけません。 この書で「アカ」の意味や「アカ」の恐ろしさを知ってください。

「クールジャパン」「お・も・て・な・し」は恥ずかしい。「微笑みの国 タイランド」と同じくらい

安心・安全…繊細サービス 外国人を魅了する「お・も・て・な・し」

タイランドは「微笑みの国」と言われます。実態は「シカメッツラの国」ですが(日本人ツーリスト等にとっては特に)、白人ツーリストにとっては「微笑みの国」といえるのかもしれません。

しかし、「微笑みの国」であることによって、タイが欧米人に尊敬されているかどうかは疑問です。現地に行って欧米人旅行者に聞き、現地での欧米人の言動を見聞きすればおよそ分かることです。

あまり努力しないで得られるような価値、何かを「緩めれば」得られるような価値、もともと持っているものを市場に売りに出せば得られるような価値、そのような価値を拠り所にするのは、売春婦的な生き方です。

クールジャパンは、「微笑みの国」同様、一種の売春国家路線です。

欧米人のほとんどは、自分たちがアジアで優待されることは、当然のことだと思っています。

自国できない行為が「アジアでなら許される」のも当然だと思っています。その行為が許されなければ許されないでかまわないのですが、いったん許されれば当然のことと思うようになります。安い値段で良いサービスを受けたとしても、基本的には「当然」と思うだけです。

アジアは基本的に「遅れた貧しい地域」であり、「アジア人は我々欧米人ツーリストが来てくれることを何よりも望んでおり、われわれのカネに依りすがっているのだ」というのが彼らの標準的な認識です。

日本は東南アジアの途上国とは違う、と思っているのは日本人だけです。

普通の欧米人にとっては、「日本もタイも同じ」です。YouTubeなどを見ても、日本は素晴らしい、タイも同じように素晴らしかった、という書き込みを添える欧米人を見かけます。

欧米で得られないアジア的なサービスを受けられるが、その反面、衛生や治安に警戒しなければならないとも思ってるようです。治安面はともかく、日本は不衛生な国だと思っている欧米人も少なくないようです。日本に来たことのない欧米人で、日本の水道の水が飲めると思っている人はあまりいないのではないでしょうか。(「パリの水道の水は飲めない」というのもウソのようですが)。

アジア人が欧米人に対して、良いサービス、親切な応対、良い品を安く提供しても、すぐにそれが「当然」になります。「日本はそういう国だから当然」ということになるだけです。

そうでなかった時には、却って「ボラレた」と思われるようになります。「日本で差別された」と言い出すかもしれません。

非常に安い物をさらに値切っている欧米人もアジアでは普通に見かけます。(イスラエルの方が多いのは確かですが、イスラエル人に限りません)。かなり清潔でホットシャワー付き一泊300円という部屋もネパール辺りにはありますが、そういうのを100円にさせようと30分も粘る白人がいるのです。

「お・も・て・な・し」などを日本の売り物にするのは、国家の安売り路線、土人売春国家路線というほかないです。


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