Monthly Archives: November 2012

文法書に出てくる面白い例文

私は文法書を読むのが好きな方なのですが、文法書も「文学性」を問われるものだと思っています。

この文学性というのは、むやみに面白くするとか、物語性があるとか、時事的なリアリティがあるとか、そういうことではなく、文法学習書としての「文学性」です。

文法書が面白いかつまらないかは、文法書としての文学性に左右されます。そこでは、著者編集者の「常識」水準が表現され、読者の常識水準も問われる事になります。

前記事で紹介したケンブリッジ大学の文法学習書は、圧倒的に「普通」な内容で、しかも飽きさせません。彼らの「常識」の分厚さを感じさせる書物です。

大量の例文が出てきますが、どれも「普通」で、ことさら面白くしようとしたりチャラチャラしたり奇を衒うようなところはまったくなく、クセも嫌味も出て来ません。いわば「透明な普通さ」に圧倒される本です。

そんな文法書のなかに隠れているちょっと面白い文章。

134.3  Put in the correct preposition.  

He loves his job. He thinks        his work all the time, he dreams        it, he talks        it and I’m fed up with hearing        it.

日本の文法書でこういう文章が可能でしょうか。

私は疑問です。全体がこういう「ノリ」になっているわけではないからです。日本だったら、歪んでいるとか、斜に構えているとか、そんな批判が来そうな気がします。下手すれば「空気を読め」と言われるかも。

日本で以前、「新明解国語辞典第四版」の語釈が話題になりましたが、明らかに奇を衒ったものでした。全体的にそういう「ノリ」で編集していたのだと思います。

私は日本語の文法書もたまに読みますが、イマイチです。

☓太郎が次郎をなぐったので、次郎が太郎をなぐりかえしたので、太郎がなきだした。

・きのう政夫君は、ぼくをなぐろうとしたが、にいさんが政夫君をにらみつけたら、政夫君はにいさんが政夫君をなぐるのだとおもって、にげていった。

高橋次郎「日本語の文法」より。


Essential Grammar in Use Edition with Answers and CD-ROM PB Pack (Grammar in Use)

おすすめ英文法書

有名な本ですが、これがおすすめです。


English Grammar in Use with Answers and CD-ROM: A Self-Study Reference and Practice Book for Intermediate Learners of English

Oxfordの文法本には、パッと開いてヤル気が失せる印刷・デザインのものがありますが、これはCambridge大学出版。パッと開いてみて「やりたくなる」ような魅力的なデザインです。

見開き左ページが文法解説、右ページがエクササイズという形式。

左ページの文法解説は、日本の英文法参考書のようなスコラ的な説明ではなく(日本語の訓練を先にしないと理解できないような抽象的な説明ではなく)、簡単な事柄から順番に重ねていき、簡潔な説明で新しい知識を頭に馴染ませていく、という方式です。

右のページのエクササイズも、日本の「問題集」とは違い、理解度を確かめるための問題ではなくて、作業しながら理解していくためのエクササイズになっています。簡単に正解できる似たような問題を何度も繰り返し解きながら、間違えやすい点や、やや難しいところにも触れていくというものです。

例えば、未来時制で「予定」はbe going toだということは日本の文法書にも載っています。だから、「予定」のときはbe going to、という知識はあるのですが、「予定」と覚えているだけで、その予定とは具体的にどういうことかわかっていない場合も多いと思います。この本で練習すれば、be going toの使い方が感覚的に理解できるようになると思います。

この本の良い所は、なんといっても、やって楽しいところです。簡単なことの繰り返しで、そんなに難しいことをやっているわけではないのに、知的な刺激になります。もちろん、印刷・デザイン・挿絵等の良さもあります。(イギリスでillustratedというのは「DQN向き」という意味だという話がありましたが、絵がないよりはあるほうが良いです)。

日本の教育者も、「人間は単純作業が好きだ」という事実をもう少し重視したほうが良いのではないかと思います。簡単な作業を繰り返すことにより身につくことが非常に多いと思います。わかっていること、知っているはずのことを、何度も繰り返すことによって、それを使いこなせるようになるだけでなく、もっと難しい事柄に近づくこともできます。

さらに、イラストの人物に注目。デザイナーや編集者が、「人種」に非常に気を使っていることがよくわかります。様々な肌の色の人物がバランスよく登場します。日本の英語テキストなどは、人物画があれば白人の絵ばかりではないでしょうか。

日本の英会話学校や留学の広告は、「白人」の写真ばかり目立つものが非常に多いですが、教養ある欧米人がそれを見てどう感じるだろうかと思います。

まして、「白人」を強調した広告ばかりの日本の英語学校に応募する英米人教師の意識はどんなものだろうか。教養ある英米人が「真面目な仕事」としてそんな職場に応募するとは、考えられないように思います。

なお、アマゾンのレビューに、この本は「イギリス英語」のテキストだからアメリカ英語を学びたい人は避けたほうが良いなどと書いている人がいますが、どうかと思います。ネイティブによれば、標準的な英語に関しては、イギリス英語も米語もそれほど大きな違いがあるわけではなく、近年は差異がさらに小さくなる傾向にあるということです。中級レベルの英文法を練習する日本人が気にすべきことかどうか疑問です。centre,colour,favourite、だからどうだということもないでしょう。アジアの国々には、英語といえば当然「イギリス英語」が模範という国が多いです(フィリピンや韓国などを除き、東南アジア、南アジア、中東の多くの国々)。これからは「アジアの時代」だとすれば、ますます「イギリス英語」を勉強したほうが良いということにさえなるかと思います。

アメリカ英語版はこちら。このシリーズでEnglishはイギリスと言う意味らしく、米語版はGrammar in Useとうタイトルになっています。

内容に関して評価が高いが、パッと開いてヤル気が失せるデザインの本の例。
 ↓

Practical English Usage

日本=飯山一郎のコミュニティ

日本とはどんなものか、日本社会とはどんな社会か、を知りたいなら、飯山一郎のコミュニティを覗いてみればおおよそわかります。そこに参加しているメンバーも、典型的な日本人、日本人の典型のような人ばかりです。

実は私もそこにちょっと参加して、まぁ、早い話が、袋叩きにされ、追い出されたわけですが。お笑いです。(参加したといっても、もちろん、リアルではなく、あくまでネット上です。リアルは、マジで危ないかもしれません)。

私が伝えたかったことは、ひとことで言えば、西洋文明(中東を含む)の優位性と西洋的価値の普遍性を直視しよう、ということです。

日本やアジアの文化や文明が生み出したものに価値あるものがあるとしても、それは個別的なものであり、偶然的なものであって、そこには普遍性をもつ価値や理念はありません。

欲すると欲せざるとに拘らず、これから世界はいっそう狭い一つの空間になっていきます。そこで、われわれは嫌でも、今以上に、普遍性をもつ価値、優位性をもつ文明、すなわち西洋文明や西洋の価値に、自らを明け渡していかなければなりません。その際に抵抗すればするほど、逃げまわれば逃げまわるほど、失うものが多くなると思います。

われわれは西洋文明や西洋の価値の前で、もっと謙虚になる必要があります。

それはたしかに屈辱的なことかもしれません。

しかし、首狩り族の首狩りの風習も、純粋な文化相対主義、価値相対主義の見地からは、悪いとも遅れているとも言えません。彼らも何百年何千年にわたってその習俗を尊んできたのかもしれません。

「われわれは首狩りをやるが、それは厳粛な儀式をともなう先祖代々の営みであって、お前たちのように、毎年3万人が自殺し、1万人近くが車に惨殺されても、何事もなかったかのように冷淡に事務的に処理するロボット人間ではない」と言われたらどう答えるでしょうか。これに本当に反論できる人がいるでしょうか。

しかし、それにもかかわらず、われわれの文明は首狩りを排するのです。それは、日本の文明が排するのではなく、西洋文明が排するのです。われわれは西洋文明のいわば印籠を借りて、そういうルールを作っているのです。日本の農村でも、戦後に至るまで、人身御供(余所者や村八分にされた者を本当に殺してしまう)の習慣が残っていたようです

今後どんなに価値観の自由が尊ばれるようになっても、「首狩り」の習慣が容認されることはないでしょう。かりに戦争による虐殺が横行していても、少数民族たる「首狩り族」の習慣が外部から強圧的に取り締まられることがないということには決してならないでしょう。

日本固有の習慣や「美徳」も、日本人が美徳だと思っているだけで、程度の差こそあれ、普遍的な文明の立場から見れば、「首狩り」の習慣と同様に、受け入れがたいものである場合が多いのです。捕鯨が典型例ですが、日本の慣習や、条理、常識などにもそれに類するものがたくさんあると思います。

異質な文明を、自分たちの文明より優れた文明として受け入れていくことは、常に屈辱的なことではあります。しかし、これは不可避なことなのです。首狩り族が、どんなに屈辱的でも、首狩りをやめなければならないように、われわれも、たとえ屈辱的であっても、世界に通用しないさまざまなレベルの固有ルール(「美徳」とか「美意識」と称されるものを含めて)を捨て、自らを普遍的な文明に明け渡していかなければなりません。

日本の民族主義はもちろん、アジア主義とか「東アジア共同体」「大東亜共栄圏」などの思想は、この際の「屈辱」をなんとか処理したいという動機から出てきたものにすぎないのです。このような悪あがきは、結果的に、失うものを大きくするだけです。

そんなことを伝えようとしたのですが、相手の見極めがまったく間違っていた。飯山一郎にそんなことを理解する頭はない。まぁ、それに気づかなかった私が馬鹿なんでしょうが。

飯山一郎は「日本のやさしさ」をまるで西洋よりも優れた美質であるかのように強調していますが、「やさしさ」などはどんな国にもある。首狩り族にもあるだろう。

結局、飯山が押し付けようとする「日本のやさしさ」とは、日本的な「空気の支配」の原則、私事の詮索、内心の推知、同調強要、横並び、出る杭は打つ主義、などに他ならないのです。

ただ、日本人の典型のような連中が集まっているので、日本人観察としては面白い書き込みもあります。2,3紹介したいと思います。

この「南のモモ」というのも、カルト風で私にはちょっと理解できませんが、やっぱり日本人の典型でしょう。(ここに出てくるebrahimが私です。「特別待遇」などというのはこの人の単なる妄想)。ブロック体にした部分は、まさに「百姓」という感じです。

http://grnba.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=13652197

882:南のモモ:

2012/11/15 (Thu) 07:51:38 host:*.ztv.ne.jp
文殊菩薩ブログは力が入っているのがよくわかります。大変ありがとうございます。阿修羅でもチェックしたりしてましたが,阿修羅にはゴミも多く,時間かかります。新聞TVやめてから1年。ネットの情報をよりたんねんに読むようになりましたが,文殊は秀逸です。
ebrahimさんは,掲示板を準備してもらい,特別待遇を受けていることをようく考えたほうがいいと思います。このへんが飯山様の懐の深いところだと思います。御自身でおこした掲示板ではこれほどの人は読んでくれないでしょう。飯山様人気で人が集まり,ついでに読んでもらっているわけですね。
そもそも人様の掲示板というものはどんどん過去に流れるもので,長い自説を強力に展開する場ではありません。他にもおられますが,そうされたいときは自分のサイトで十分になさるべきです。私にはebrahim様の文は何度読んでもあまりよくわかりません。それと,他人よりも意見が多く,何としても自説を通したい人は素性をさらすほうがより多くの人を共感させることができると思います。その人をつくっている背景がきちんとわかるからです。
昨今は私も身をさらしつつ物を書いています。このままでは日本は確実になくなるからです。

私も負けずに突っ込んでみた。
http://grnba.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14096378

27:ebrahim :
2012/11/16 (Fri) 12:09:12 host:*.asahi-net.or.jp

私がebrahimです。このスレッドは私が立てたのではない。また、私が要求したのでもない。
こっちのスレッドで私にインネンつけている人がいてhttp://grnba.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=13652197私が特別待遇を受けているなんて行っていますが、私はそんなことを要求した覚えはないです。このインネン屋(南のモモ)は、前に本【ebrahimスレッド】にも書いているのに、なぜか【飯山スレッド】で私を批判している。つまり、私に言いたいというより、管理人に見せたかったのだろう。「チャース、こいつ生意気です。やっちゃってください」って感じか。

「南のモモ」

31:南のモモ :
2012/11/17 (Sat) 09:33:02 host:*.zaq.ne.jp
あはは。あのね。全然違うなあ。「チャース、こいつ生意気です。やっちゃってください」って感じか。笑いまくりました。ありがとう。
そもそもこの場所は いわば喫煙車両であって,ほとんどの人に有害なものと認定された人(飯山氏に)はこちらへ移動してもらいたいという配慮なのだ。
喫煙者は喫煙車両なんかに乗りたいわけじゃない。できたら禁煙車両でたばこを吸いたいのだよ。空気のいいところで。誰だって,煙もうもうのところでたばこを吸っても気分いいわけない。
例えが適切かどうかはわからないが,禁煙車ではないので,時々やってきて一波乱起こすのは読んいても面白い。でも常時だと,ゴミをよけつつ読まないといけないので,困る。飯山氏におもねて書いたわけではない。むしろこういうサイトをつくり,追いやる態度は太っ腹というより彼は老練だ。真似できないすごさがある。
ヨーガをする人は絶対に敵じゃない。私はそう思っている。今後もがんばって色々書いてもらいたい。わからない文もあるけど じ~っと読んでます。

飯山一郎の書き込み。まぁ、よくある中傷文句を並べているだけだが。

34:飯山一郎 :
2012/11/17 (Sat) 14:22:00 host:*.ocn.ne.jp
ebrahimクンは、はっきり言って、ヒトに好かれないタイプだな。文章を読んでいて不愉快になるのは、鷲だけ蛇ない。とくに、鷲のスレは、気のあった鷲の仲間のスレなので、ebrahimクンは、仲間の集まりにチンピラが乱入したよーな噴霧器。だから、ebrahimクン専用のスレをつくった。こんなことも分からんかったのか?! ebrahimクンは。にぶいなーーー。(爆)

前記のような点について何を問うても、飯山から返ってくるのは揚げ足取りのみ。その上「からかってやっただけだ」などと公言する。そして最後にはこの通り、「お前の文章は不愉快だ」。本当にチンカスみたいなやつです。

このチンカス飯山一郎が鹿児島に囲っているという知識人(?)の本がこちら。


賢く生きる―藤原肇対談集

ドストエフスキー「悪霊」


悪霊 (上巻) (新潮文庫)

先日久しぶりにこの「悪霊」を読みました。3回目くらいです。最初に読んだのは学生の頃ですが、(って、今でも学生みたいなものですが)、女の子じゃあるまいに、クライマックスにかけて自然に涙が出てきて、そのうち声まで出てきて、本当に泣いてしまい、そんな経験は初めてだったので自分ながら大いに驚いた記憶もあります。その前に「カラマーゾフの兄弟」も読んだのですが、こちらはアラが目立って不完全なイメージが強く大して感動もしなかった記憶があります。(小説としての不完全さでいえば、悪霊も未完成なのですが)、そういうこともあって、「悪霊」は、私にとってはドストエフスキーの最高傑作、というより小説の最高傑作という位置づけでした。

10年ぶりくらいに読んでみたのですが、確かに面白いのですが、なんで昔あんなん感極まったのかが、ちょっとわからない。それで、読書は本当に糧になるのか、とか、いろいろ疑問に思ってしまいました。

この小説の不完全なところは、やはり「スタヴローギン」が描かれていないところ。なんとなく読者との「お約束」のように処理されています。

宣伝文句には、「スタヴローギンは世界文学が生んだ最も深刻な人間像」なんて書いてあることがありますが、描かれていないものはなんとも言いようがないし、(お約束なら)なんとでも言える、ということになります。

とはいえ、長い小説ではありますが、最初の方から軽妙な描写で、飽きさせません。「カラマーゾフの兄弟」のように飽き飽きすることはないと思います。

私にとって魅力的な登場人物といえば、(スタヴローギンは描かれていないのでどうしようもないですが)、ステパン氏、そして、キリーロフです。シャートフの描き方はやはり、センチメンタルすぎ、ちょっと日本漫画的。ヴィルギンスカヤ(左翼の産婆)も興味深い人物。

【頭の体操】整序問題


憲法 第五版

題材は憲法ですが、国語力(と中卒程度の常識)だけで正解できる整序問題です。

第一問はできないとマズイ問題。(国語力があるのに分からないという場合は、いっそう深刻な事態かも)。

問題1

正しい順番に並べかえなさい。

  1. 天皇を象徴として認めている以上、天皇の行う国事行為以外の行為が多かれ少なかれ公的な意味をもつことは否定できない。したがって、天皇の国事行為以外の公的行為を象徴としての地位に基づくものとして認める考え方(象徴行為説)が学説の多数に支持されていることにも、相当の合理的な理由はある。
  2. そこで、公的行為は天皇の公人としての地位にともなう当然の社交的・儀礼的行為である、と解する説(公人行為説)も有力である。
  3. こう考えると、このような公的行為を認めず、天皇は国事行為を行う他は、私的行為を行うことができるにすぎないと説く学説が注目される。 
  4. ただ、この説にも、象徴行為説と同じく(あるいはそれ以上に)、公的行為の範囲が明確でないという問題がある。
  5. しかし、この説は、象徴に積極的な意味を付与することになること、公的行為の範囲が明確でないこと、摂政や天皇の代行は公的行為を行うことができるかどうか疑問が残ることなど、問題も少なくない。

問題2

正しい順番に並べかえなさい。(1.が一番)

  1. なお、平等あるいは平等原則が互換的にいわれることが多い。
  2. 確かに、「人格の尊厳」とは異なり、「人格の平等」は他の人格との関係において成立するものである。
  3. 「人格の平等」は、「人格の尊厳」と結びつき、そのような尊厳をもった存在として人は等しく扱われるべきであるという要請を内実としている。
  4. 「平等」が関係概念であって実体を有せず、平等を権利といっても、実体的権利ではありえない、ともいわれる。
  5. しかし、だからといって、「人格の平等」がそれ自体として無内容な概念であるというのはいいすぎであろう。

こういう整序問題、もっと簡単にたくさん作れるかと思いましたが、なかなか、短くて気の利いたネタが見つかりません。また今度ということで、本日はお開きです。

出典
問題1 芦部信喜「憲法」
問題2 佐藤幸治「憲法」

ロシア文学を読むときの心得


新版 ロシア文学案内 (岩波文庫)

(素人が日本語訳で普通に読むときの心得という意味です。)

西洋文学の中でも、イギリスやフランスはなんとなくイメージをつかみやすいかと思います。

イギリスの暗い小説の荒涼とした背景に登場する若い女主人公、ということなら、なんとなく目に浮かぶでしょう。映画で見たことのあるような場面でもあり、その人がどんな顔をしていそうか、わりとリアルにイメージできると思います。

ロシア文学の場合は、そういう意味ではあまり馴染みがなく、登場人物の名前も聞いたことのないようなものが多い。あまり「ブランドつきの西洋」のイメージではありません。その上、日本語訳では女の人が「・・・してくださるわね」みたいな言葉づかいをしていたりするので、ついつい、日本人の感覚でイメージを作りあげてしまいがちです。

つまり、頭の中で、日本の漫画の登場人物のような「国籍不明で、かつ日本的」なイメージを作り上げて読んでしまうおそれがあります。

そこで、ロシア文学をよりリアルに読む方法です。

今はネットの時代なので、「ロシア人」がどんな人たちか、ネットでいくらでも見ることができます。いろいろなロシア人の画像を見てイメージを修正しながら読んでいけば、ロシア文学もよりリアルに読めるはずです。例えば、若い女性が登場したら、russian young girlで画像検索しながら読めば良いのです。

なお、登場人物が多い長編小説では、特に名前に慣れていない場合は、素直に人物相関図を書きながら読むと良いと思います。

※画像検索をするとこんな掘出物も出てきます。
http://kenuchka.paslog.jp/image/josiyounen-3.jpg