Monthly Archives: February 2011

Nepalese airport officials threaten Japanese tourists with "arrest" and "jail",when we protest against their touching our private parts in the name of security check.

In the name of security check,Nepalese airport officials touch the whole body over of all Asian or “coloured” passengers,including the inside of theigh,often going so far as to touch our private parts.

Meanwhile,in whiteys’ turn,they only feel the body of western or “white” passengers in excuse.

I protested against their racistic treatments of passengers,demanded their apology and urged their reflection.However,their answer was only threatening me with “arrest and jail you”.

It is very clear that the Nepalese officials have the racist standards of security check.

They are originally “Aryan” supremists,but now they are lowly asian White-supremists.Anyway they are bad racists.

I believe it is no need at all to spend our tax for Nepalese aid.

Japan’s ODA to Nepal should be stopped immediately.It is merely benefiting Nepalese corrupt officials,parties and the privilaged castes,but in fact it is protecting the racistic socil system of Nepal.

(I never intend to say the Japanese are not racists.The human rights,the rights for the dignity of the individuals is universal.Anybody can claim for the human rights.)

The Economics of Development Assistance - Japan's Official Development Assistance Program (ODA) in a Symbiotic World
The Economics of Development Assistance – Japan’s Official Development Assistance Program (ODA) in a Symbiotic World

RACIST NEPALI AlRPORT OFFICIALS

暴れてみた。といっても有形力を行使したわけではなく、口で暴れただけだが。写真中央奥の小男が実行犯で、一番悪そうなやつ。マオイストにもよくいるような雰囲気だ。

チェックと称して空港役人がチンコまで触るのはネパールだけ。

白人客には言い訳程度にさするだけ。有色人種客には本当にべたべたべたべたなでまくる。盛んにARRESTだのJAILだのと脅す。こっちは一向に構わない。事が大きくなるほど面白い。彼らの検査に抗議するのは何か違法なものでも持っているからに違いないと思い込んだらしい。

別室行きになりズボンまで下げさせられたが、パンツまでは脱がされなかった。

ネパール役人は、英語が出来てもRACISTという単語すら知らない。それほど意識が低い。

人種差別がないかチェックの様子を監視させてやるということになり入り口のチェックの様子をしばらく見ていたが、私が見ている間は昨年よりは多少マシになっていた。見ているのを知っているから当然だが。

ネパールに援助はいらない。まったくの無駄金。

日本大使館も不要。インドの日本大使館が兼務すれば良い。


Racism: A Short History
Racism: A Short History

エアアラビアでシャルジャへ

エアアラビアでカトマンドゥからUAEのシャルジャへ。

ネパール人客がほとんどのカトマンドゥ発のエアアラビアでは、クルーがまず客室に消臭剤を撒く。前回もやっていた。エアアラビアでも他の路線では撒かない。実際、ネパール人は臭い。体臭も強いのだろうが体をろくに洗わない。

ネパールにはろくなトイレもないが、機内では異常に頻繁にトイレを使い、空く暇がない。ここでも人が入っているトイレを、赤サインを無視して執拗に開けようとする。初めは綺麗だったトイレも何時間か後には見るも無惨になる。紙をやたらに使う。エアアラビアではクルーがたびたび手入れに入るのでそれほどひどいことにはならないが、ロイヤルネパールはひどい。

同じくネパール人客がほとんどのクアラルンプール発のロイヤルネパール機では、スチュワーデスが最初に「痰たんの吐きかた」を指導する。紙袋の中に痰を吐く真似までしてみせる。実際私の隣のネパール人もその通りに痰を吐いていた。

ネパール人はそんな下等な群衆なのだが、エアアラビアの美しいクルーたちは、嫌な顔もせず(もともとニヤケたりはしないが)、差別もせず、立派に接客している。

Lawrence of Arabia
Lawrence of Arabia

「引き寄せの法則」説は、「偶然」という不条理に耐えられない心の弱さのカルト的表現。「日月神示」教はカルト!

神の目にはすべての因果が明らかだろうが、人間にはすべてを知ることは許されていない。それは人間である限りは誰にもできないことであり、最後までできないことである。このことが大切。

神の目には「必然」であっても、人間にとっては、どんなに頭を絞っても(頭が狂っていない限り)「偶然」としかみなし得ないことがある。

この事実を直視できない心の弱い人間が、「引き寄せの法則」説や「輪廻転生」説に走る。

人間が生まれながら不平等に出来ていることは、「不条理」であるし、事実である。

肌の色、才能、資産、親、遺伝、容姿、など多くのことが当人の意思や責に帰すべき事由によらないで、ほとんど生まれつきに決まってしまう。

肌の色は生まれつき決まる。それによって現実に大きなハンディキャップを負うもの、特権を得る者、さまざまである。白人ならば世界中どこに行っても特権的な扱いを受ける。有色人種なら世界中どこに行っても白人に比べて不利な扱いを受けることが多い。これらは生まれながらに決まることである。

このような人間の世界の「不条理」に耐えられない心の弱い人間が、心のもやもやをすっきりさせる為、「輪廻転生」説や「引き寄せの法則」説にすがり、合理化を求める。

ある人は、目当ての異性の誘いを受けて心踊り、着飾って家を出た直後に、交通事故に遭い、障害者になる。

これは「偶然」であり、何の「因果」でもなければ、「引き寄せ」でもない。

一部の、オカルト的な政治経済ブログが盛んに宣伝している「引き寄せの法則」説や輪廻転生説は、われわれが不条理な偶然に充ち満ちた世界に生きており、これからも生きていかなければならないこと、人間である限り「すべてを知って満足する」ようなことはあり得ないこと、を直視し耐えることができない心の弱い者の逃げ道であり、そのような逃げ道を用意する一種のカルトであると言える。

このような「心の弱さ」が人種差別等の土壌になることに注意しなければならない。

タイの仏教は肌の色の黒い者が現世で不当に扱われることを、「前世の行いが悪かったから黒い肌に生まれた」と説明し合理化する。障害者についても同じである。

仏教の影響の強い国ほど肌色差別(色黒差別)が激しく、「引き寄せ」論や「輪廻転生」論、即ち、【本人責任論】的な合理化が盛んに行われているのである。

カルトの特徴は、心理的な「脅し」にあり、健全な要求の力を内に向け、自虐的な方向に誘導し、そこに慰安を見出させるところにある。(この成り行きについては、ニーチェの「道徳の系譜」が面白い)。

障害者が「健常者になりたい」と願うことは、決して叶うことはないが、それにもかかわらず、「健全」である。

そのような障害者に対し「健常よりも価値があることがある」「障害は個性である」などと誘導し慰撫しようとし始めるなら、カルトである。それは健康な生に逆行しようとする思想という意味で、自虐思想と言える。不幸な者に自虐的な慰安を与えつつ増殖するのがカルトである。

「あなたの障害は、あなた自身の心が作っている」と説教し始めるまであと一歩である。

その人は自分の心が障害を作っているのだと洗脳されることになるが、心をいくら入れ替えても障害はなくならない。

それはよっぽど重い「罪」が心に宿っているからに違いない、ということになるだろう。その「罪」は、「因果」でも「因縁」でも何でもいい。

大抵の宗教の「脅し」、「脅し」系の宗教の論理はこのようなものである。

気の弱い人に対して、「すべてはあなたの心が引き寄せているのです。心を入れ替えない限り、ますます悪くなります」と説教すれば、気の弱い人はたいてい内省的なので、「そうかも知れない」と真剣に思い込み、怖くなる。

この説教が十分「脅し」になっていることに注意すべきである。

「引き寄せ」法則を振り回している者は、明らかにカルト的な手法で、気の弱い者を「脅し」によって【帰依】させることを画策していると見てよい。

インターネットに表れている「日月神示」教を見ていると、1930年代の「日本主義」とそっくりなのではないかと思う。

「日本」精神こそ、古今東西の文明・文化・宗教すべての良いところを集め、悪いところをそぎ落とした、素晴らしい完全な精神文明であるという、無内容な妄想が「日本主義」である。

「日月神示」教もほぼこれに等しい。彼らはきまって「引き寄せの法則」の信奉者である。

日本では、社会不安・危機の時代にこのような無内容な何でもありの「総合」主義が流行し、人々を全体主義・排外主義への導くことが多い。

「引き寄せ」思想は一種の心的因果思想であり、輪廻転生説の一環である。

「引き寄せ」説は、あらゆる現実は当人の心のエネルギーが「引き寄せ」た(=望んだ)ものと解釈する。

最近の輪廻転生説でも、「前世の報い」とか「因果」という言葉は使わず、「高度の自己」の意思によって「学ぶために」この生を望んだ、などと説明する。まさに「引き寄せ」説である。あるいは、前世の「波動」が今生の境涯を結果したなどという。波動は共鳴するということであり、引き寄せ説にほかならない。

「引き寄せ」説は輪廻説と一体であり、インド系のカースト差別思想は輪廻説と不可分のものである。

Destroying the World to Save It: Aum Shinrikyo, Apocalyptic Violence, and the New Global Terrorism
Destroying the World to Save It: Aum Shinrikyo, Apocalyptic Violence, and the New Global Terrorism

ネパールの家内奴隷制

ネパール東部の丘陵の尾根の上にある町、バサンタプルで。

右の子がこのホテル(食堂のこと。たいてい上階にロッジがある)の住み込みの下働き。タマン族(モンゴロイド系カースト)の11歳。日本なら7歳ぐらいにしか見えない。

左は家の娘。(チェトリ、「アーリア系」カースト)。

このチェトリ経営のホテルに一人住み込みで働くようになって4ヶ月だという。学校には行かせてもらえず、料理の手伝いや掃除など、朝7時頃から夜10時頃まで、一日中働く。料理は、熱湯の鍋を担ぎあげたり、小さな子供には危険な仕事もある。ネパール人客が汚した身の毛のよだつような汚いトイレの掃除もこの子の仕事。上階のロッジに泊まる酔っぱらいの部屋に料理などを持っていくことももちろんある。休みはない。

給料はおそらく無し。食事と最低限の被服のみだろう。(このあたりは大人の女中でも給料タダのことがある)。

仮に給料を貰っていたとしても最高で月500円くらい。カトマンドゥの児童労働がそのくらいだと聞いた。(それももちろん本人が受け取るわけではない。親が前借金として受け取る。)

家の主人とはカーストも違う。どういう縁でここに来たのかは聞かなかった。

独力で家に帰ることももちろんできない。一人で住み込んでいて、身近に友達もなく、雇い主以外に保護者がいない。

家内奴隷というほかはない。

このような関係は、ネパールでは広範に見られる。まさに、at the mercy of(家の主人)という言葉がぴったりの境遇である。

児童労働が問題なのは、子どもが働くことが有害ということもあるだろうが、なによりも、このような支配関係になりがちだからだろう。

マオイスト(ネパール共産党毛沢東主義派)も、このような家内奴隷的関係に極めて寛容である。

こういう関係を問題視する者は、ネパールには全くいないと言ってよい。

各派の共産党がもしこれを問題視するというなら、学校に行かせない児童労働、賃金を現金で払わない無償労働、危険な労働、女児の住み込み労働、などの「犯罪化」を提言して当然である。

日本は長年にわたり、ネパールに多大の援助をしてきたが、そのカネはほとんど貧しい人々のところには行き渡ることはなく、ネパールの特権層と日本側関係者の懐に入ってしまったと考えられる。

日本はネパール援助ではトップクラスの国であり、ネパールの貧困問題、経済的格差の問題にも責任をもつといえる。外国からの援助が経済の支柱になっているような国に著しい貧富の格差がある場合には、それは援助の仕方に問題があるからだと言わなければならない。途上国援助では必ず援助する側にも利権が生じる。これだけの援助をしてきた日本の援助のあり方が、現在のネパールの非人道的で反人権的な社会関係を温存してきたと言って過言ではないと思う。

日本は、日本が援助していることを宣伝したがらない。当該国民にもあまり知らせようとしない。

ネパールの山村には定期的にAmbulanceが回ってくるが、その車の脇腹には”GIFTED BY THE GOVERNMENT OF INDIA”と大書されている。インドからの援助であることがだれにも分かる。

ところが日本はそういう事をやりたがらない。http://bit.ly/hvqhrQ

謙遜の美徳だろうか?私はそうは思わない。援助には援助関係者の利権がつきまとう。宣伝してもしなくても援助にまつわる利権は同じである。むしろ、あまり人に知られたらカネの出入りについての監視も厳しくなる。

だから、日本政府にはたっぷり援助させるが、援助についてはあまり宣伝しないで、不透明な部分、双方の甘い汁の部分を温存しようとしているのである。

日本のネパール援助は一旦中止すべきだと考える。

そして援助を再開するのは、絶対的な貧困、社会的な差別、人権侵害、児童労働、家内奴隷的住み込み労働、などの解消に向けた具体的な目に見える努力を条件とすべきである。人権教育の普及にも目標を定めさせ、その目に見える達成を援助額と関係付けるようなことをする必要がある。

日本的な「郷に入れば・・・」とか「現地の文化習慣の尊重」などという耳障りの良い言葉には何の価値もない。

日本国の拠って立つ価値は、人権(個人主義)なのだから(憲法13条)、その価値をうけいれ具体的に実現させることを途上国援助の条件とするのが当然である。「郷に入れば・・・」式の特殊主義は有害無益である。

日本の国是は普遍主義(憲法97条 http://bit.ly/i4lTmO 、13条)であることを忘れるべきでない。人権(=個人の自由、個人主義)が日本の国是、国家イデオロギーである。外国に対しても普遍的な価値への帰順を要求するのが普遍主義の普遍主義たる証である。

http://www.youtube.com/watch?v=mgm_8uIal-U

. . . If You Lived When There Was Slavery in America
. . . If You Lived When There Was Slavery in America

「ローマにいるときはローマ人のように行え」を「郷に入りては郷に従え」と訳して恥じない日本人の致命的な土人性

「ローマにいるときはローマ人のように行え」は、日本でいう「郷に入りては郷に従え」とはまったく違うことである。むしろ反対の意味をもつといえる。

先進的で普遍的な法をもつローマにいるときはせめて、田舎者も、自分たち固有の土着的で特殊な習慣に執着するのをやめて、普遍的な法に則って行為せよ、という意味である。

一方、「郷に入り手は郷に従え」は、そもそも<上から目線>でいながら、遅れた現地の特殊性・後進性におもねって後退して見せよ、それがマナーである、という教えである。唾棄すべき日本的な猿股土人思想といえる。

しかしながら、ほとんどの在外日本人が、この猿股土人思想をまるで「普遍的な」原理であるかのように信奉し、怠惰で卑怯な「現地同化」にいそしんでいる。猿股土人日本人の間では、一番現地人の遅れた習慣や思考を自分のものにして、まるで現地人のようになった者が「優等生」なのである。一方で、仮に現地の学生がどんなにヨーロッパ語がよくできて日本人学生よりも欧米の学問・思想に親しんでいたとしても、それを真似てそのような努力することはしないし、現地でそれをした者が日本人の間で賞賛されることはない。あくまで現地の後進性(少なくとも大方の日本人の通念からはそう見えるようなもの)をみごとに真似ることができた者が、日本人の間では賞賛される。

「郷に入れば・・・」は、(上から目線で)「土人の習慣に合わせて喜ばせてやれ」という思想である。

このような態度の日本人が、現地人たちに「尊敬」されることはありえない。

普遍的な立場に立って、未開な人々を「教化」し「啓蒙」しようとする西洋人が、後進国の現地人から尊敬されるのは、この意味で当然といえる。

When In Rome (i Do As The Romans)
When In Rome (i Do As The Romans)