Monthly Archives: May 2009

しゃべくりながら応対し入国カードを渡し忘れるマレー女入管役人

マレーシアの出入国の際には窓口の役人をよく見て選んだほうがいい。マレーが多いがインド系もいるのでベールをしていない女を選んで行ったほうがいい。マレー女だけはさけたほうが身のためである。マレー女役人は見るからに性格が悪いが、その通りに性格が悪い。それ以上に極めて低脳である。

今日もちょっと嫌な予感がしたが、隣のマレー男役人と不機嫌そうな話に夢中になっていた。バンバンバンとスタンプを押してパスポートを投げてよこす。

入管を出てバゲッジクレームの所まできてパスポートに入国カードが挟まっていないことに気づいた。入管のカウンターに戻るとその女はいない。テーブルの上にカードが放置してある。役人たちはまるで私に非があるかのような態度だ。

私はカードのことを知っていたから良かったが、マレーシアにあまり来たことのない人だったら、そのまま入国してしまい、出国のときにまずいことになっただろう。

KLへ

東京から解放されるのはほっとする。それに、自分の国は多かれ少なかれうるさいものである。言葉が通じ過ぎるだけでなく、自分の歴史が残っているし、「文脈」がある。単細胞な人はここですぐに反祖国になってしまう。そういうことを野放図にしていると国は成り立たないので、国家には洗脳機能が必要である。

成田空港でのマレーシア航空のチェックインはいつもよりうるさかった。航空会社の日本人女子職員が人のパスポートの履歴をめくって見ている。航空会社の職員にどういう権限があって何のためにそういうことをするのかはわからない。そして、帰りの航空券はあるか、どのくらいマレーシアに滞在するのかと聞く。私はKL発券日本往復のチケットを持っている。帰りのチケットはない、他の国に行く、というと、そのチケットはあるかという。ないと答えるとそれ以上は追及してこなかった。

こういうことを聞かれるのは、日本発KL行きでは初めてだった。昔日本発バンコク行きのタイ航空のチェックインで、リターンチケットの代わりに札ビラを見せさせられたことがある。20万円ほど見せたらOKになった。そのときだったかタイ航空では機内の日本語アナウンスでヒステリックな調子でトイレでタバコを吸うなと繰り返していた。

リターンチケット確認にうるさくなったのはマレーシアお上の意向を受けたものだろう。しかし、そういうことならマレーシアは隣接諸国との陸路国境を外国人に閉鎖したほうがいい。タイへもシンガポールへも飛行機で行けというのか。

マレーシア航空は、機内で携帯を使えることもある。先日日本に帰ったときには、わざわざアナウンスで携帯が使えると宣伝していた。ただし、下の国で自分の携帯が使える場合だけらしい。

ところが今回は、巡航中もすべての電子機器を切れということだった。英語アナウンスを聞いている限り、離着陸のときは電子機器を切れということだったと思うが、日本人スッチーによれば巡航中もすべての電子機器を切らなければならないという。

これまで、マレーシア航空で巡航中に携帯に入力していてクルーに注意されたことは一度もない。ドバイからKLに来たときも携帯で何か文章を書いていた。今回も1時間ぐらい携帯を操作していて、飯も来て、何度もクルーが見ていたが、マレーシア人のクルーは何も言わなかった。その後日本人が来て、すべての電源を切れという。

携帯だから駄目なのか?しかしどっち道圏外で発信しないのだからパソコンと同じではないか?「離着陸のときは電子機器の電源を切れ」という注意の意味がさっぱりわからない。

アル・ガザーリー

日本の漫画喫茶は好きな音楽を聴きながら自分だけの空間に耽溺し本を読みながらネットもできるすばらしい場所である。ここで犯罪があまりおきないこと、漫画やヘッドセットやマウスを盗んで行く者がいないらしいことがすばらしい。東南アジアの国だったらパソコンごと盗まれるかもしれない。キーボードもマウスもすぐに消えてしまうだろう。

<物の根拠や原因を知的に定義して見せる人が、必ずしもその物に心から親しんでいる者ではない。「酔っ払いは、酔っ払うこととは何ぞやという定義もできはしないし、自分が酔った『根拠』を論理的に把握してもいない。それでもやっぱり彼は酔っ払っている」

 信仰もこれと少しも違わないのである。信仰を論理的に演繹して見ても何になろう。数学的に分析して見ても何になろう。それらの徒な試みは、そのあまりにも浅はかな故をもって、真の信仰に生きる人を淋しくするのみである。人は寧ろ行為と感情と意志の力によって自らの魂を高めることを志し、そうすることによって自ら「酔っ払わ」なくてはならないのである。すなわち宗教は体験されなければならないのである。

 しかし、勿論ガザーリーは無批判な盲目的な信仰をよしとした訳ではない。当時彼を四方から取巻いていた人々、哲学者や思弁神学者のように知にあって無知なるものも、頑迷で狭量なる伝統主義者のように信あって盲なるものも、共に彼の痛烈に非難するところであった。「徒に伝統的教えのみに固執して悟性を無視する者は愚人であり、悟性のみに頼ってコーランとスンナを顧みぬ者は迷っている」。彼が注意するのは、ただ心の領域と悟性の領域との限界を忘れないように、徒に悟性をもって宗教の裁判官としないようにというのである。よくガザーリーは哲学を否定したというが、決して彼は哲学そのものを否定したわけではなかった。その頃の哲学者が悟性の限界を弁えず、神の秘儀や、霊魂の不滅や、彼岸の生活等の問題にまで論理的判決を下そうと努力していた、それを彼は攻撃したのである。・・・・>

以上は、世紀の大天才井筒俊彦先生著「イスラーム思想史」から。このへん、内容がどうというわけではないが、文章がすばらしいと思う。

「白人より良い結論」=過去の発言が波紋-米次期最高裁判事 共和党保守派が「人種差別主義者だ」と激しく攻撃

この発言を捕まえて「人種差別」だと批判する者は、労働基本権も差別だから廃止しろというのだろう。アメリカ共和党だからそれで良いのかもしれない。

このブログでは既にくどく述べているように、「人種」とは、自らを「白人」と称し、自らを「有色人種」(白人でない者)と区別し、「白人」は優れていて美しく人間らしく特権にふさわしいと主張した白人が、「白人」を定義しようとしたところに始まる概念なのであり、白人を非白人から当然区別せよ、と主張したのは白人自身なのである。そして、その白人は、自分たちが数百年主張してきたこの「白人イデオロギー」自体を自己批判したことはないばかりか、今なおそれが有効な場合には(たとえば東アジア、ことに東南アジアにおいて)彼らは遠慮も躊躇もなく「白人」の特権を最大限に利用し搾取しつくすのである。「白人」と括られるべき勢力は明らかに存在し、その括りが彼らに利益をもたらすときにはそれを最大限に利用するにもかかわらず、白人勢力が政治的に劣勢になって白人で括られると白人に不利なことが出てくると今度は「白人で括るな」と言いはじめる。日本でずっと前から白人が振り回してきた論法である。(日本では従来他の比べて、白人の特権が十分に享受できるとはいえないところがあったから)。卑怯というほかはない。

白人と非白人参照

彼ら白人にとって「差別でないこと」とは何なのか。「非白人は神が白人に奉仕させるために創ったものである」という真理を人類として認め、当然のように非白人を奴隷にできる法律にしたがって、合法的に奴隷を売買し使役し、そのようなことについては疑義をはさまないことは、「差別のない状態」かもしれない。家畜を売買したり使役したりするのは「差別」ではない。

白人より良い結論」=過去の発言が波紋-米次期最高裁判事

5月30日16時29分配信 時事通信

【ワシントン30日時事】米国の次期連邦最高裁判事に指名されたヒスパニック(中南米系)女性のソトマイヨール連邦高裁判事が、自らの人種に関連し「白人男性よりも良い結論を出せる」と過去に発言していたことが波紋を広げている。共和党保守派が「人種差別主義者だ」と激しく攻撃し、オバマ大統領は沈静化に追われている。
プエルトリコからの移住者の家庭に生まれ、苦学して法曹界で身を立てたソトマイヨール氏は、2001年にカリフォルニア大学で講演し、少数派の立場から、能力による評価の重要性を訴えた。その際、「経験豊富な賢い中南米系女性の方が、経験のない白人男性よりも良い結論を出せるだろう」と発言した。

歌舞伎町のマクドナルド

歌舞伎町という場所柄、人は多いし風俗姉ちゃん風もいないわけではないが、昼の時間に行く分にはそれほど荒廃している感じではない。ここは外よりはいいところである。東京に住んでいた時はこんな所にわざわざ来たことはなかった。やはり旅行だと思うと何でも珍しくなり面白くなる。

ここに入る前に食べた松屋のカレーはわりとおいしかった。店員さんはシナ人だったが。外食ではカレーしか食べたくないので、日本にも安くてうまいカレー屋がもっと出来るといいと思う。

しかしこういうところで見ていると、世の中には本当に馬鹿っぽい女子供がたくさんいるんだと納得。国民の民度を憂う知識人はたんに民衆をあまり見たことがないだけだろう。何かの機会に垣間見るとそのメディアが馬鹿を作っているように思い込んだり。

私は今日他人のブログにこんなコメントをした

私は今日ある人のブログにこんな匿名コメントをしてしまった。

Unknown (Unknown)

2009-05-30 11:34:16

「馬鹿」でなく賢かったら、東大コンプレックスや官僚コンプレックスなど持たないでしょう。東大には入れれば馬鹿でないとはいえませんが、東大入試程度にその気になって合格できないのは馬鹿といえます。

馬鹿の定義が問題になっていますが、知恵といい智慧といい知能といい知識といいいずれも情報に関する能力です。基本になるのはメモリーの力と情報処理の力です。

だから、入試などで問われる程度の学力は、あらゆる知能と知性と教養と知恵の前提条件、必要条件なのであって、これに追いつけなくて反感を抱いている時点でその人は「明らかに馬鹿」だといえます。

大衆社会は馬鹿で成り立っています。ほとんどの人が馬鹿なのです。彼らの欲望、欲求もやはり馬鹿の要求です。

民主主義や人権は、馬鹿なモブが暴動を起こさないために必要ですが、それ以上の意味はありません。ソフトをダウンロードするときに読まされて承諾させられる条項のようなものです。大衆には何もわかりません。自分が本当は何を欲しているのかもわかっていないのです。

それはそれでよいのであって、選ばれた人々のソサエティがあれば良いのだと思います。

http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/31977b4878e083cffab01a7effa7bc56#comment-form

株式日記と経済展望

匿名ブログとはいえ、自分のブログにはこんなことは書かなかっただろう。これはいくらなんでも言いすぎである。でも、これを書いているときはそんなにひどいとは思わなかったのだ。

ブログのコメント欄をありがたがる人がいるが(書く人も書かせる人も)、他人のブログにコメントを書くときの態度は、(2チャンネルに書き込むときよりはマシかもしれないが)、自分の匿名ブログを書くときとさえ違ってくるのである。