Monthly Archives: March 2009

どの国でも若い男よりは若い女のほうがマシ(実務的に言って)

後進国の男ほど口先だけで当てにならず、嫉妬深く、あとあと面倒なものはない。

後進国の男と結婚する日本女が少なくないが、ペットでも飼うつもりなのだろうか。

もっとも後進国男は、女がらみだけでなく、先進国の男、または先進国自体に、いわば「原発的に」、嫉妬するようだ。これは東南アジアが特にひどい。

後進国では若い女が頼りがいがある。何か頼んでも合理的に処理してくれることが多い。ネパールなどでは力仕事を含めてよく働いている(タイ女は働かない)。

先進国はどうか。フランス(先進国?)の若い男はわりと合理的に動いているようだった。ことばがよく通じなくても、相手の意思を解釈して動いてくれる。これは東南アジアでは期待できないことである。やはり、東南アジアのどの国の男よりもすぐれている。

フランスの若い女のほうは、かわいかったし、悪い感じはしなかった。パリの都心のカフェに座っていた若い白人女にいきなり道を聞いたときも、親切に教えてくれた。英語は一言も通じなかった。確かに白人だったが、たたずまいが土着的で白人風でなかったので聞きやすかった。しかし総じて言えば、フランスでは女のほうが馬鹿っぽく見えた。(パリに一週間いていろいろ歩き回っても見たが、東京の表参道のようなおしゃれなところは見つからなかったし、日本の女の子のようなめかし込んで町を歩いている女も見なかった。私がたまたま見なかっただけかもしれないが)。
 

日本のような静けさはヒマラヤでも経験しない

日本のしんと静まりかえった静寂は、私の知るアジアのどの国にもないものだ。

ヒマラヤの標高3000メートル級地域に行ってもなかなか経験しない。5000メートル級のトレッキングルートならなおさらである。

仮に「静か」であっても静けさの「質」がどこか違う。日本のほうが圧倒的に深い静けさがある。

ヒマラヤの3000メートル旧地域には活発な人の生活がある。

それ以上に、人がいなくても常に話し声が聞こえてくるような、ざわついた感じがある。何か「生き物」の会話があたりにいつも聞こえているような。(私の頭がおかしくなって幻聴を聴いているからではないと思う)。

日本特有の静寂が嫌いだ、耐えられない、という人もいるだろう。しかし私は、日本の静寂を懐かしく感じることがある。日本の静けさは好きである。

日本では、都会の住宅地はもちろん商店街でさえ、ちょっとした真空スポットのような圧倒的に静かな地点をあちこちに見つけることができる。

日本が好きな人は、なかなか日本を捨てられない。それは、他国では決して得られないものが、確かに日本にはいくつかあるからだろう。(現在の「皇室」などではない。それは糞である)。

大都会のいたるところにある真空スポットのような静寂な空間、その静けさの「質」も、日本にしかない日本の良さだと思う。

あれは、おそらく、日本の基層に普遍的に充満している静けさなのだろう。

「日本を見つけた人びと」、日本人の多くにとってはこれは宝である。語られないが、「日本の価値」の大きな部分である。私はそう考えている。

だから、経済情勢がいくら悪くなったとしても、それだけでなし崩しに日本が崩壊することはないと思う。

但し、この「静けさの質」「基層に満ちている価値あるもの」自体を破壊する外国人を、大量に日本に移入した場合は別である。

多くの人はここで中国人を想定するだろう。

しかし私はむしろ、公平に言って、「白人」こそが日本の基層をなすこの「日本の卓越性」に対して最も攻撃的で破壊的な、最も効果的にそれを破壊する集団であると考えている。

明治神宮の鳥居の礎石に座り込んで鳥居をくぐる参拝者を睨みつけていた若い白人ツーリストグループ、山谷の一泊3000円の安宿にたむろする白人ツーリスト、女目的・日本人の少女幼女目的の英会話教師など、白人による基層からの日本破壊は着実に進んでいるはずだ。
 

「残忍なくして祝祭なし」

「人間が自己に記憶をなさしめる必要を感じたとき、血や拷問や犠牲なしに済んだ試しはかつてない。」(ニーチェ「道徳の系譜」第二論文の三)

「残忍なくして祝祭なし」(同書、第二論文の七)

天皇制を廃止する場合には、旧皇族を含む全皇族の処刑が必要である。

それも、特別の処刑施設を設置した儀式的な、公開の、記憶に残る処刑でなくてはならない。

我々が現在分有し享受している民主主義も人権も、そのような血の儀式を経てはじめてこの世界に定着したものであることを忘れてはならない。

旧皇族には気の毒かもしれないが、雅子を追い出せなかった親類を恨んでもらうしかない。

雅子を追い出せない以上、皇室は日本国にとっても日本民族にとっても、穢れであり厄病そのものでしかないだろう。

性感染ウィルス持ち女が後代の皇族を作っているのでは・・・・潰すしかないだろう。

異議があるだろうか?
 

チベット人の性悪さを知らない反シナ日本人の能天気

左右を問わずだが、「知らぬが仏」というのが「チベット」信仰の基本である。

チベット人など一度も生で見たことがなく、チベット仏教の知識など何もない人たちが、チベット人を善の権化のようにいう。

私はそういう人たちよりはチベット人を知っている。

シナ人が良いというわけでは決してない。しかし、シナが悪いからチベットは善だということにもならない。

チベット人は私の見るところ、朝鮮人と似たところがある。シナの周辺民族として自然の成り行きかもしれない。

大げさな話が好きで、大法螺を吹く。自慢話が好き。「被害者の特権」を振り回すのが好き。ネットワークで行動する。そして、おそらくは朝鮮人以上にカネにがめつい。

また、タイ人にも似たところがある。これも同じくシナ周縁民族として自然なことかもしれない。

タイ人ほどではないが(この点でタイ人に及びうる者はどこにもいないが)、白人によく媚びる。

白人(イギリス人)に利用され、また彼らを利用することで、ネパールやインドの現地人の水準から見てかなり豊かな生活を確保してきた歴史もある。

何年か前、ネパールから陸路のチベットツアーに行ったとき(チベットはネパールからはツアーに参加しなければ行けなかった)、添乗したチベット人ガイドの白人客へのはいつくばるような媚びようと、これ見よがしの日本人蔑視は、タイ人並みにひどかった。

それに呼応するように、ツアー参加者の白人たち(独、仏、豪、伊。私以外はすべて白人だった)の、唯一のアジア人客に対する態度も、(ヨーロッパ旅行では経験しないような)人種差別丸出しだった。

自分たちは人が寝ているときに深夜まで騒いでいながら、私が早朝にちょっと自分のかばんの中をさぐっていると、「うるさい、眠れない」としかりつけて来るフランス女とか。白人はアジアに来ると本性を現す。

白人はアジアに来ると変容するのである。これを「トランスフィギュレーション」という。白人文明の伝統に即した由緒正しい態度なのだ。

天皇制を廃止する場合には、旧皇族を含む全皇族の処刑がぜひとも必要である。そうしないと、皇室承継資格者が(イギリスなどの謀略上手な)白人反日勢力によってダライラマのように海外で担ぎ上げられ、政治的に利用される恐れがある。

女系を担がれることもありうるので、女子も含めてすべて処刑しなければならない。

傭兵

今も行われている「グルカ兵」は、イギリスが主宰する傭兵商売で、一種の兵士人材派遣業である。

まず、「ブリティッシュアーミー」に雇われて、英会話授業や軍事訓練を受けたあと、英連邦の国などに売られる(派遣される)。

シンガポールやマレーシアもネパール人グルカ兵をいまも雇っている。

ボルネオでマレーシアとインドネシアが国境紛争で衝突していたとき、マレーシア軍としてジャングルでインドネシア軍と闘っていたのはネパール人のグルカ兵が主力だった。(マレー人やマレーシアのシナ人やインド人にまともな戦闘はできない)。

イラクにも派遣されて命も落としている。

傭兵は命の安いトレードであり、命の使い捨てである。

傭兵などという「人権侵害」は、「従軍慰安婦」よりもさらに悪質な「人道に対する罪」だと思えてならないが、誰にも文句を言われることなく大手を振って現在も行われている。

傭兵商売の元締めがイギリスだからである。

中村元訳「ブッダのことば スッタニパータ」訳者註「グルカ族」のデタラメ

「グルカ族」なるものは今も昔も存在しない。

グルカ兵」のグルカは英語。ゴルカが訛ったものだが、民族とは関係ない。

ネパールに「ゴルカ」という地名はあるが「ゴルカ兵」は存在しない。

グルン族」は存在するが、「グルカ族」と呼ばれることは決してない。

グルカ兵(現在も存在している英軍の傭兵部隊、および英国の兵士人材派遣業)に「グルン族」が多いことは確かだが、グルンはモンゴロイド系の山岳民族で、釈迦とは無関係。

釈迦はバラモン教時代のクシャトリアで、当然アーリア系。

釈迦時代には、グルンはまだ(いまの)ネパールに来ていなかったと思う。

印欧祖語の語順

ネパール語は印欧語系(インド・ヨーロッパ語族)だが、語順は日本語に近い。日本語とほぼ同じといっても(初心者向けには)間違いとはいえない。

というよりも、「『印欧語』の語順は英語やドイツ語みたいのはずだ」というのが偏見だったのだ。

ペルシャ以東の印欧語系の言葉の語順はだいたい日本語に近いらしい。

印欧祖語」と想定される言語も、語順は日本語とほぼ同じだったと考えられているという。

つまり、英語やドイツ語や中国語やタイ語やマレー語とはまったく違う語順だったということである。

ただし、ネパール語も、語順としゃべる時の「意識の流れ」は日本語に近いといえるが、文法構造やその発想は日本語とはまったく異なる。性や数による複雑な語尾変化があるし、日本語には本来存在しない無生物主語が頻出する。

最初はごく少数の血族が話していた言葉(印欧祖語)が、その一族の政治的な優位性によって全世界に分岐しながら広まったのである。

このように、樹系図的に広まる言葉と「ジェノサイド」とは切り離して考えることができない。征服地の先住者の言葉と、文法(ルール)において妥協し混交することをしなかったから、樹系図的な言語系統を描くことができるのであろう。

私は、印欧語に頻出する「無生物主語」は、奴隷制社会の痕跡だと思う。

人ではなく物である奴隷が何かをするとき、人称代名詞を使わず無生物代名詞を使ったのだろう。

奴隷が行為をするのだから、石や机が行為をしても一向に不自然ではない。

日本人は、印欧祖語を使った一族が持っていたと思われるような奴隷制度を持ったことはない。
 

奴隷制といえば、ヒマラヤに来る白人トレッカーは、ガイドやポーターを雇うことを好み、その使い方も上手である。

白人たちは、下人との距離のとり方、従わせ方がうまいし、そういう作業にストレスを感じない。

手ぶらで山道を楽しげに歩いていく2,3人の白人の後ろを、巨大な荷物を背負わされたポーターたちが息を切らしてふらふらついていく光景を見ることは珍しくない。白人は、英語でご主人様のご機嫌伺いをするガイドの相手は適当にするが、ポーターなどは眼中にない。

白人はこれをやっていて心から楽しめるのである。

これはわれわれから見ると、ひとつの特殊な才能といわなければならないだろう。

彼ら白人は奴隷制の感覚になじみやすく、奴隷所有者の素質があるのだといえる。

これに対して、日本人トレッカーはガイドやポーターを好まないことが多い。ガイドやポーターの使い方(距離のとり方、従わせ方)も下手なようだ。

ガイドを使うのでなく、ガイドにうまく使われてしまっている日本人が多いように見える。(ガイドのほうも日本人だと足元を見てくるのだろう)。