Monthly Archives: November 2008

昨日のフィギュアスケートを見て

  
日本で行なわれた試合であることもあり、日本の女の子が上位を占めた。そのうち二人は確かに可愛いが、スケートが美しかったかどうか。

この競技の目的は何だろう。目的といって悪ければ、価値は何か。
何回も回転することに価値があるのだろうか。

針金が踊っているように見えたりもした。

成熟が足りない?

しかし、もっと歳の若いイタリアの女の子は更に美しかった。

あのイタリア人選手の舞いは確かに美しかった。彼女が、回転が多数出来なかったとしても、高い評価を受けないことには、必ずどこかで不満が生じているだろう。

フィギュアスケートが「美」を競う競技なら、つまり、この競技の目的ないし価値が、「観客に美しく見せる」こと、つまり美であるならば、何回転したかということは従属的なものでしかないはずだ。

美を競う競技でないというなら、あんな衣装はやめて皆同じ運動着を着るべきだろう。そうしたほうが衣装による錯覚の危険を排して技術審査がより公正公平になるはずだ。それをしないということは「表現力」と言い換えられている「美」の評価を棄てていないということだろう。

やはりこの競技は欧米の競技、白人の競技だと思う。

日本人が調子に乗れば必ずしっぺ返しを受けるだろう。

私たちが共有している美の基準に基づく「見た目の良さ」、という点で、日本人が白人にかなわないことは、今も変わらない。

「欧米的な美」から独立の美の基準をまだ誰も作れていないからだ。

「白人は見た目が美しいし、力強く、知的にも優れている。」

器用であるとか、技術的に巧みであるとか、算数が速いというようなことは、人間の価値を高めるものではない。人間の「卓越性」とは、何か別の目的のための手段のようなものではなくて、それ自体が目的であるような有能性でなければならない。そういう有能性において、白人は優れている。これは白人が種として優れているということでもあるが、同時に白人文明が人類の文明として優れているということでもある。「日本人も美しくなった」というのはいろいろな方法で(食習慣や生活様式や整形手術〔歯の矯正などで顔立ちは随分変えられるらしい〕や化粧によって)「白人風になってきた」ということでしかないのではないか?つまり、独自の美を打ち立てたわけでなく、白人の美に従属的に追いかけているだけである。現に、すごい「ブス」はどんなに才能があっても美を見せる競技などでは成功しない。すごい「ブス」とは白人的な基準から遠く離れた「あまりにアジア的な」容姿の人のことである。そういう基準で許容範囲の中にある人のうちから、能力のある人が選ばれるのだろう。

そんなことはないという人は本当に、この疑問を完全に吹き飛ばすことが出来るだろうか?白人的な美の基準から完全に独立した美の基準を誰もまだ作れていないにもかかわらず。


フコイダン

「土人売春国家」=タイ

今に始まった騒ぎではないが、日本のテレビを見ていたら「連合」による国際空港占拠が大きくとりあげられている。日本発の飛行機が欠航に追い込まれたりしたからだが、しかし、ずっと前から政府が政府官庁から追い出されて、旧国際空港に間借りしたりしていたのである。

それにしても、日本のタイ関係ニュースに決まって出てくるキャッチフレーズは、相変わらず、「微笑みの国」である。

NHKがこんなフレーズでタイを売り込むのは偏向報道というほかない。報道機関が観光業者が作り上げたようなイメージで外国を語っていいものだろうか。あるいは、それほどまでにある外国を舐めてかかっていいのだろうか。

現実のタイは「微笑みの国」というよりは、「しかめっ面」の国である。

他の東南アジアの国々に比べても、タイ人の「しかめっ面」はひどい。

私の経験から言えば、タイなどに比べれば、【フランス】は文字通り素晴らしい「微笑みの国」だ。恐らくタイはヨーロッパのどの国よりもひどい「しかめっ面の国」といえるだろう。

そして、なによりも、タイは「人種差別の国」である。【人種差別】はどの国にもあるというかもしれないが、タイ人は【人種差別】が「大好き」なのである。

そして、タイ人の「優れた」ところは「人種差別の本質」を良くわかった上でそれを大いに愛していることである。

「人種差別の本質」とは、【白人至上主義】に他ならない。

しかも、タイの社会倫理においては、【人種差別】は少しも悪いことではなく、むしろ「良いこと」なのである。

タイの人種差別は単なる排他主義ではなく、「白人至上主義」のキモを押さえたものなので、タイの事実上の宗主国である白人列強はキレイゴトでそれをたしなめるようことは決してせず、むしろ大いにそれを奨励し、白人メディアもタイの【微笑み】(=白人上げ)を大いに美化して語ってきたのである。

タイが「微笑みの国」というのは、タイのキンキラの仏像が間抜けな表情で「微笑んでいる」ように見えるという意味かもしれないし、タイ人も微笑むことはあるだろうから、タイが「微笑みの国」だといっても全くのウソとはいえないかもしれない。

しかし、それは少なくとも、タイ国の本質を突く「真理」とはいえない。

「勝義」において、タイは、「人種差別の国」であり、【白人至上主義の東南アジア国家】である。

つまりは、「土人国」である。

そしてなにより、タイが他の国と違うのは、「女」で外国人ツーリストを集めるという経済政策を何十年にわたって採ってきた・採ってこれた国である、ということである。

そのような政策は一見簡単そうに見えるが、どんな国でも任意に採れるものではない。

そういうことを受け入れるような風土がその国にもともとなければできないものである。仮にミャンマーがそれを真似しようとしてもできないことなのである。

そういう政策を取れるためには、自国民の貧しい少女たちが、外国人の男たち、異人種異民族の男たちに、買いあさられ、便利で安価なレンタルワイフとして外人に連れまわされるのを傍で見ていても、とくに何も感じない、平気である、という感性が共有されていなければならない。

つまりタイはそのような感性と風土の国である。

タイが正しく「土人売春国家」の名に値するというのはこういう意味である。

なお、タイの政治デモは、ほとんどカネで動員されるものだが、糞尿弾が飛び交ったりもするそうである。糞尿弾とは、ビニール袋に糞尿を詰めて投げるのだとか。

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「人種差別」に関する考え方

私が以前作っていたブログのなかで、とくに多くの人に見ていただきたいカテゴリーの一つです。

http://kuantan.bo.lt/hizuke_cat_jinshusbetsuni
http://kuantan.bo.lt/hizuke_cat_hakujinhanazehakujinka
http://kuantan.bo.lt/hizuke_cat_hakujingahuerukotonokyoui
http://kuantan.bo.lt/hizuke_cat_honraitekinaiminojinshusabetsu
http://kuantan.bo.lt/hakujinwanazehakujinka

http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/cat5203597/index.html

ココログが嫌になってきたことについて

ココログには前からいろいろな問題があったのですが、最近本当に愛想が尽きてきました。

本格的にブログを移転しようかな、と考えています。

管理画面に宣伝を強制的に入れる。それも有料ブログの管理画面です。その宣伝やら変なプロモーションやらを見えないように出来ない。

良くわからないのは、その宣伝というのが、商品の宣伝ではなくて(それもあるかどうかは良く見てませんが)、こういうネタでブログを書きなさいといったようなプロモーションがブログ作成画面の真上に大きく目立つように出るのです。

ブロガーも投稿したはずの記事が見えなかったりということがあったし、細かい説明や案内が英語だったり、やっぱり外国のブログなので日本人には使いにくいところがあるとはいえますが、それでもココログよりは良いかも知れない。

なによりも、政治的な介入には(少なくとも日本国内からの小規模な介入に対しては)、ニフティに比べれば強いだろうと期待できると思います。国際的な、或いはアメリカの巨大な力に睨まれるような栄誉なことがあればまた話は別でしょうが。

ニフティという会社は、力のある人(必ずしも政府とか財界とかに限らず、日本のマスコミとか、外国人とか、ある種の力ある「市民」とかを含むと思いますが)が特定のブログに憤慨して、これを閉鎖しろといえば、早速ブログ製作者に削除や閉鎖を一方的に通告してくる会社です。そういう事例が複数あり、抗議するものがあっても反省するということは全くないようです。そういう体質の会社といえます。

たとえば私のこのブログがニフティによる閉鎖恫喝を受けました。
「日付のある紙片」 (ブログの左欄を御覧下さい。)
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/

植草一秀氏のココログが一時強制閉鎖され、記事削除を余儀なくされた問題について。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/journal/2008/10/post-2967.html
http://iscariot.cocolog-nifty.com/times/2008/10/post-4397.html